ダニエル・ペドー
ダニエル・ペドー（Dan Pedoe）は、1910年10月29日に生まれ、1998年10月27日に88歳でこの世を去った、イングランド出身の著名な幾何学者です。彼は60年以上にわたり幾何学の研究に専念し、約50報の研究論文や解説を学会誌などで発表しました。また、数学や幾何学に関する数多くの書籍を執筆しており、その中には長年にわたり重版され、様々な言語に翻訳されたものもあります。特に、ウィリアム・ホッジとの共著である『Methods of Algebraic Geometry』や、『The Gentle Art of Mathematics』、『Circles: A Mathematical View』、『Geometry and the Visual Arts』、そして深川英俊との共著『Japanese Temple Geometry Problems: San Gaku』（日本の算額に関するもの）などがよく知られています。
生い立ちと初期教育
ペドーは1910年、ロンドンで13人兄弟の末っ子として誕生しました。彼の父シュムル・アブラムスキは1890年代にポーランドからイギリスへ渡ったユダヤ系移民で、家具職人として生計を立てていました。母リフカ・ラシュカ・ペドヴィチは、ポーランド立憲王国（当時はロシアの衛星国）ウォムジャ出身です。父方の姓アブラムスキは祭司家系（コハニム）に由来し、ロンドン到着後一時的にコーエン姓を名乗りましたが、潜在的な反ユダヤ主義を考慮し、12歳頃には母の旧姓を短縮したペドー姓を使用するようになりました。
「ダニー」と呼ばれた少年時代は、イーストエンド・オブ・ロンドンの大家族の中で、必ずしも豊かではない環境で育ちました。彼はCentral Foundation Boys' Schoolに通い、教科書や校長ノーマン・M・ギビンズから強い影響を受け、幾何学の世界に魅せられます。在学中に彼は最初の論文「The geometric interpretation of Cagnoli's equation」を執筆し、これは1929年に学術誌『The Mathematical Gazette』に掲載されるという早熟ぶりを見せました。その後、難関の入学試験である「ten plus」に合格し、ケンブリッジ大学で数学を学ぶための奨学金を得ました。
ケンブリッジ、プリンストン、そしてキャリアの発展
ケンブリッジ大学モードリン・カレッジに入学したペドーは、最初の3年間を著名な論理学者フランク・ラムゼイの父であるアーサー・スタンリー・ラムゼイのもとで数学を学びました。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインやバートランド・ラッセルの講義も聴講しましたが、彼らのスタイルにはあまり感銘を受けなかったようです。幾何学への関心を深めた彼は、代数幾何学の大家であるH. F. ベイカーの指導のもとで研究を進め、博士号を取得し、いくつかの論文を発表しました。1935年にはケンブリッジを一時離れ、プリンストンの高等研究所でソロモン・レフシェッツと共同研究を行いました。
1936年にイングランドに戻ったペドーは、サウサンプトン大学数学科の助講師に着任しました。翌1937年には、ベイカーの代数曲面理論に基づく論文「The Exceptional Curves on an Algebraic Surface」によって博士号を取得しました。この論文は、ケンブリッジで師のベイカーとウィリアム・ホッジによって厳密に審査されました。
結婚、家族、そしてホッジとの共同執筆
1930年代後半、ペドーはイングランドの地理学者マリー・タンストールと結婚し、娘ナオミと双子の息子ダン、ヒュー（1939年12月生まれ）を授かりました。1941年、第二次世界大戦の影響でウィンチェスター・カレッジが教師不足に陥った際、彼は数学の授業を支援しました。ここで彼は後に物理学者として名を馳せる若きフリーマン・ダイソンと出会います。ダイソンの並外れた才能に気づいたペドーは、彼に更なる課題と読書を勧め、二人の師弟関係はやがて深い友情へと発展し、ペドーが亡くなるまで50年以上にわたり続きました。ダイソン自身も、彼に最も影響を与えた人物として、G.H. ハーディとともにペドーの名を挙げています。
この頃から12年間、ペドーはウィリアム・ホッジと共同で、全3巻におよぶ大著『Methods of Algebraic Geometry』の執筆に取り組みました。当初はハーディの有名な教科書『A Course of Pure Mathematics』の幾何学版として構想されましたが、単なる教科書にとどまらず、独自の視点や内容も多く含まれています。初版は1940年代に刊行され、1995年には全巻がケンブリッジ大学出版局から復刊されました。1942年には、いくつかの幾何学的不等式に関する論文なども発表しています。
転々とする教育の場
1942年、ペドーはバーミンガムに移り、バーミンガム大学で数理工学の講師を務めました。しかし、彼はこの職場の環境に馴染むことができず、家族も大気汚染などで苦労しました。バーミンガムで核兵器開発に関わっていた数理物理学者のルドルフ・パイエルスの提案もあり、彼は戦争協力として、ドイツの急降下爆撃機を模倣するためのピストンリング開発にパートタイムで携わりました。
1947年には、ロンドン大学のウェストフィールド・カレッジに移り、数学を教えました。しかし、ここでも給与がロンドンでの自宅購入には不十分であり、労働環境に負担を感じる日々が続きました。
海外での活躍
妻マリーの勧めで海外へ出ることを決めたペドーは、1952年にスーダンのハルツーム大学数学科長に就任し、ウェストフィールド・カレッジを休職しました。ウェストフィールドからの決定を求められ、彼は退職して7年間ハルツームに滞在しました。ハルツームでは、『The Gentle Art of Mathematics』や『An Introduction to Projective Geometry』など、多くの書籍を執筆しました。ハルツームでの生活は彼にとって心地よく、家族（成長した子供たちはイングランドに残りましたが、妻は共に過ごしました）と過ごす時間も持つことができました。1959年には、アレクサンダー・オッペンハイムの推薦により、シンガポール大学数学科長に就任しました。
アメリカでの晩年
シンガポールの55歳定年制を避けるため、1962年にアメリカのインディアナ州へ移り、パデュー大学で教職を続けました。ここは地理的にやや隔絶されていましたが、社会生活は活発で、ペドー自身も多忙でした。彼はミネソタ・カレッジの幾何学教育改善事業にも貢献し、映像教材や付随する書籍を作成することで、高校や大学の幾何学教育の質の向上に尽力しました。パデュー大学での生活が2年経った頃、彼はミネソタ大学の教授として迎えられ、1980年に引退するまでその職を務めました。引退時にはミネソタ大学名誉教授の称号を得ました。1968年には、優れた数学解説に贈られるレスター・R・フォード賞を受賞しています。
算額との出会い
引退後、ペドーは日本の伝統的な数学問題である算額に強い関心を抱くようになりました。1984年には、愛知県の高校教師で算額の研究者であった深川英俊と親交を深めます。深川は日本国内では算額への関心を十分に集めることができていませんでしたが、ペドーとの協力により、カナダのチャールズ・ベバッジ研究センターから共著『Japanese Temple Geometry Problems: San Gaku』が出版され、算額を国際的に紹介する上で重要な役割を果たしました。
晩年と遺産
1998年10月27日、健康を損ねたペドーは88年の生涯を閉じました。彼は双子の息子や6人の孫と共に生活していました。彼の個人的な論文や著作に関する資料は、バーミンガム大学アーカイブセンターに保管されており、後世の研究者たちが彼の業績をたどるための貴重な資料となっています。幾何学の研究、教育、そして普及に生涯を捧げたペドーは、その多岐にわたる活動を通じて、数学界に確かな足跡を残しました。
生い立ちと初期教育
ペドーは1910年、ロンドンで13人兄弟の末っ子として誕生しました。彼の父シュムル・アブラムスキは1890年代にポーランドからイギリスへ渡ったユダヤ系移民で、家具職人として生計を立てていました。母リフカ・ラシュカ・ペドヴィチは、ポーランド立憲王国（当時はロシアの衛星国）ウォムジャ出身です。父方の姓アブラムスキは祭司家系（コハニム）に由来し、ロンドン到着後一時的にコーエン姓を名乗りましたが、潜在的な反ユダヤ主義を考慮し、12歳頃には母の旧姓を短縮したペドー姓を使用するようになりました。
「ダニー」と呼ばれた少年時代は、イーストエンド・オブ・ロンドンの大家族の中で、必ずしも豊かではない環境で育ちました。彼はCentral Foundation Boys' Schoolに通い、教科書や校長ノーマン・M・ギビンズから強い影響を受け、幾何学の世界に魅せられます。在学中に彼は最初の論文「The geometric interpretation of Cagnoli's equation」を執筆し、これは1929年に学術誌『The Mathematical Gazette』に掲載されるという早熟ぶりを見せました。その後、難関の入学試験である「ten plus」に合格し、ケンブリッジ大学で数学を学ぶための奨学金を得ました。
ケンブリッジ、プリンストン、そしてキャリアの発展
ケンブリッジ大学モードリン・カレッジに入学したペドーは、最初の3年間を著名な論理学者フランク・ラムゼイの父であるアーサー・スタンリー・ラムゼイのもとで数学を学びました。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインやバートランド・ラッセルの講義も聴講しましたが、彼らのスタイルにはあまり感銘を受けなかったようです。幾何学への関心を深めた彼は、代数幾何学の大家であるH. F. ベイカーの指導のもとで研究を進め、博士号を取得し、いくつかの論文を発表しました。1935年にはケンブリッジを一時離れ、プリンストンの高等研究所でソロモン・レフシェッツと共同研究を行いました。
1936年にイングランドに戻ったペドーは、サウサンプトン大学数学科の助講師に着任しました。翌1937年には、ベイカーの代数曲面理論に基づく論文「The Exceptional Curves on an Algebraic Surface」によって博士号を取得しました。この論文は、ケンブリッジで師のベイカーとウィリアム・ホッジによって厳密に審査されました。
結婚、家族、そしてホッジとの共同執筆
1930年代後半、ペドーはイングランドの地理学者マリー・タンストールと結婚し、娘ナオミと双子の息子ダン、ヒュー（1939年12月生まれ）を授かりました。1941年、第二次世界大戦の影響でウィンチェスター・カレッジが教師不足に陥った際、彼は数学の授業を支援しました。ここで彼は後に物理学者として名を馳せる若きフリーマン・ダイソンと出会います。ダイソンの並外れた才能に気づいたペドーは、彼に更なる課題と読書を勧め、二人の師弟関係はやがて深い友情へと発展し、ペドーが亡くなるまで50年以上にわたり続きました。ダイソン自身も、彼に最も影響を与えた人物として、G.H. ハーディとともにペドーの名を挙げています。
この頃から12年間、ペドーはウィリアム・ホッジと共同で、全3巻におよぶ大著『Methods of Algebraic Geometry』の執筆に取り組みました。当初はハーディの有名な教科書『A Course of Pure Mathematics』の幾何学版として構想されましたが、単なる教科書にとどまらず、独自の視点や内容も多く含まれています。初版は1940年代に刊行され、1995年には全巻がケンブリッジ大学出版局から復刊されました。1942年には、いくつかの幾何学的不等式に関する論文なども発表しています。
転々とする教育の場
1942年、ペドーはバーミンガムに移り、バーミンガム大学で数理工学の講師を務めました。しかし、彼はこの職場の環境に馴染むことができず、家族も大気汚染などで苦労しました。バーミンガムで核兵器開発に関わっていた数理物理学者のルドルフ・パイエルスの提案もあり、彼は戦争協力として、ドイツの急降下爆撃機を模倣するためのピストンリング開発にパートタイムで携わりました。
1947年には、ロンドン大学のウェストフィールド・カレッジに移り、数学を教えました。しかし、ここでも給与がロンドンでの自宅購入には不十分であり、労働環境に負担を感じる日々が続きました。
海外での活躍
妻マリーの勧めで海外へ出ることを決めたペドーは、1952年にスーダンのハルツーム大学数学科長に就任し、ウェストフィールド・カレッジを休職しました。ウェストフィールドからの決定を求められ、彼は退職して7年間ハルツームに滞在しました。ハルツームでは、『The Gentle Art of Mathematics』や『An Introduction to Projective Geometry』など、多くの書籍を執筆しました。ハルツームでの生活は彼にとって心地よく、家族（成長した子供たちはイングランドに残りましたが、妻は共に過ごしました）と過ごす時間も持つことができました。1959年には、アレクサンダー・オッペンハイムの推薦により、シンガポール大学数学科長に就任しました。
アメリカでの晩年
シンガポールの55歳定年制を避けるため、1962年にアメリカのインディアナ州へ移り、パデュー大学で教職を続けました。ここは地理的にやや隔絶されていましたが、社会生活は活発で、ペドー自身も多忙でした。彼はミネソタ・カレッジの幾何学教育改善事業にも貢献し、映像教材や付随する書籍を作成することで、高校や大学の幾何学教育の質の向上に尽力しました。パデュー大学での生活が2年経った頃、彼はミネソタ大学の教授として迎えられ、1980年に引退するまでその職を務めました。引退時にはミネソタ大学名誉教授の称号を得ました。1968年には、優れた数学解説に贈られるレスター・R・フォード賞を受賞しています。
算額との出会い
引退後、ペドーは日本の伝統的な数学問題である算額に強い関心を抱くようになりました。1984年には、愛知県の高校教師で算額の研究者であった深川英俊と親交を深めます。深川は日本国内では算額への関心を十分に集めることができていませんでしたが、ペドーとの協力により、カナダのチャールズ・ベバッジ研究センターから共著『Japanese Temple Geometry Problems: San Gaku』が出版され、算額を国際的に紹介する上で重要な役割を果たしました。
晩年と遺産
1998年10月27日、健康を損ねたペドーは88年の生涯を閉じました。彼は双子の息子や6人の孫と共に生活していました。彼の個人的な論文や著作に関する資料は、バーミンガム大学アーカイブセンターに保管されており、後世の研究者たちが彼の業績をたどるための貴重な資料となっています。幾何学の研究、教育、そして普及に生涯を捧げたペドーは、その多岐にわたる活動を通じて、数学界に確かな足跡を残しました。
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