チャタム伯爵内閣

チャタム伯爵内閣：理想と現実の狭間で崩壊したイギリス政権

1766年から1768年にかけて、イギリスはチャタム伯爵（ウィリアム・ピット）を首相とする内閣、通称チャタム伯爵内閣によって統治されました。叙爵前の功績からピット内閣と呼ばれることも多いこの政権は、その理想と現実の乖離、そして内閣メンバー間の深刻な対立によってわずか2年足らずで崩壊しました。

チャタム伯爵は、王璽尚書という首相としては異例の地位に就きました。第一大蔵卿ではなく、この肩書きを選んだ背景には、彼の政治理念「政策より人（men, not measures）」がありました。これは、党派を超えて有能な人材を登用するという意思表示でした。

実際、内閣には様々な勢力の政治家が参加しました。前政権であるロッキンガム侯爵内閣からヘンリー・シーモア・コンウェイを引き抜いた一方、第一大蔵卿にはロッキンガム派のグラフトン公爵を任命しました。チャタム伯爵と親しいカムデン男爵やシェルバーン伯爵も、それぞれ大法官、南部担当国務大臣に就任。さらに、党派色が薄いとされるエグモント伯爵（海軍大臣）やグランビー侯爵（軍需総監）も留任しました。元大法官のノーティントン伯爵は枢密院議長に、チャールズ・タウンゼンドは財務大臣に就任するなど、内閣は多様な人材で構成されました。

しかし、この多様な人材こそが後に内閣崩壊の大きな原因となります。チャタム伯爵は長年の痛風に苦しみ、思うように政治を推進することができませんでした。「政策より人」という理想は、エグモント伯爵の辞任によって早くも綻びを見せます。エグモント伯爵はチャタム伯爵の外交政策に反対し、その職を辞したのです。後任にはロッキンガム派のチャールズ・ソーンダースが就任しましたが、この人事によって内閣内部の亀裂はさらに深まりました。

チャタム伯爵の外交政策は、ヨーロッパ列強との同盟によるイギリスの孤立打破を目指していました。しかし、プロイセン王フリードリヒ2世が英普同盟の再締結を拒否したことで、この政策は挫折します。さらに、王室会計長官のエッジカム男爵を罷免したことでロッキンガム派との関係は悪化の一途を辿り、多くの閣僚が辞任に追い込まれました。

その後、海軍大臣には有能なホーク提督が就任しますが、その他の要職にはジョージ3世の寵臣ビュート伯爵派の人物が多く配置されました。これにより内閣は不人気となり、野党勢力はますます強まりました。1767年初頭には、財務大臣タウンゼンドが米州植民地に課税するタウンゼンド諸法を提唱。この政策は、内閣をさらに分裂させました。

チャタム伯爵は躁鬱病に苦しみ、政治的指導力を失っていきます。グラフトン公爵は首相不在の中、内閣運営を維持しようと奮闘しますが、ロッキンガム派、ベッドフォード派、グレンヴィル派といった野党勢力の共闘、そして閣僚間の激しい論争の前に、彼は苦戦を強いられました。1767年から1768年にかけてグラフトン公爵は、大規模な内閣改造を行い、ベッドフォード派の支持を取り込もうと試みます。ヒルズバラ伯爵が新設された植民地大臣に就任し、対米植民地政策の担当がシェルバーン伯爵から移ったことも大きな変化でした。しかし、ベッドフォード派が内閣を掌握するにつれ、チャタム伯爵の対米州植民地政策とは異なる強硬路線がとられるようになり、残された閣僚の反発を招きました。

1768年秋、ベッドフォード派はグラフトン公爵にシェルバーン伯爵の罷免を迫ります。チャタム伯爵は激怒し、シェルバーン伯爵と共に辞任。チャタム伯爵内閣はついに崩壊しました。大法官カムデンは留任しましたが、もはやベッドフォード派が内閣を牛耳っていることは明らかでした。グラフトン公爵は正式に首相となり、グラフトン公爵内閣が発足しましたが、それは1年足らずで崩壊し、チャタム伯爵内閣の短い歴史に幕を閉じました。この内閣の崩壊は、後のアメリカ独立戦争への道を切り開く、重要な転換点となりました。

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