ディアナとカリスト (ルーベンス)

ピーテル・パウル・ルーベンスの「ディアナとカリスト」

ピーテル・パウル・ルーベンスが1635年頃に制作した「ディアナとカリスト」は、バロック期フランドルの巨匠による油彩画です。この作品は、オウィディウスの「変身物語」に登場する、女神アルテミス（ローマ神話のディアナ）に仕える美しい従者カリストの物語を描いています。ルーベンスの晩年の作品であり、現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されています。

物語の背景

「変身物語」によれば、カリストはアルテミスのお気に入りの乙女でした。しかし、ゼウス（ローマ神話のユピテル）は、カリストと関係を持つ機会を狙っていました。ある日、ゼウスは狩りに疲れたカリストが森で一人で休んでいるのを見つけ、アルテミスの姿に変身して彼女の純潔を奪いました。その後、アルテミスと従者たちが水浴びをした際、カリストは妊娠を悟られるのを恐れて水に入ろうとしませんでした。しかし、衣服を剥ぎ取られたことで妊娠が発覚し、アルテミスはカリストを追放しました。

制作の背景

ルーベンスは、1628年から1629年にかけてマドリードを訪れた際に、スペイン王室が所有するティツィアーノ・ヴェチェッリオの絵画を模写しました。その中には、同じ主題を描いたティツィアーノの「ディアナとカリスト」も含まれていました。ルーベンスの作品は、ティツィアーノの主題を再解釈したものと考えられています。

作品の詳細

この絵画では、カリストが他の乙女たちによってアルテミスの前に引き出され、服を脱がされる場面が描かれています。紫の衣装をまとったカリストは、抵抗する様子もなく、やや前かがみになりながら衣服を抑えています。カリストを取り囲む乙女たちは普段と変わらない様子ですが、アルテミスは驚きと苦痛に満ちた表情でカリストを見つめています。アルテミスは川岸に立ち、黒人の女性が彼女の体を拭いており、傍らには狩りの獲物であるシカと猟犬が描かれています。

ルーベンスは、絵画にいくつかの古代の要素を取り入れています。カリストがまとっている紫色の衣服は、古代ギリシア・ローマ時代から高貴な色とされ、権力者に愛されてきました。また、鑑賞者に背を向けて座る女性像は、ルーベンスの古代彫刻への関心を物語っています。これは、前1世紀頃の有名な銅像「棘を抜く少年」に基づいたものです。

ルーベンスのアルテミスは、ティツィアーノの作品とは異なり、カリストの妊娠を信じられないかのように苦痛の表情を浮かべ、手を差し伸べています。これは、ルーベンスがカリストに同情的な感情を抱いていたことを示唆しています。また、ルーベンスがティツィアーノとは異なる人間観を持っていたことを示しています。

ルーベンスの解釈には、画家の私生活も影響していると考えられます。1630年にエレーヌ・フールマンと再婚した後、ルーベンスは牧歌的な絵画を多く制作しました。エレーヌの肖像画や「三美神」「愛の庭」などです。これらの作品には、若いエレーヌの特徴を持つ女性たちが描かれています。ルーベンス自身がエレーヌとの間に子供をもうけた経験から、身ごもったカリストへの同情は自然なことだったのかもしれません。カリストの姿はエレーヌに似ており、カリストの隣にいる乙女の髪型はエレーヌの肖像画と共通しています。

来歴

この絵画は1666年に王室コレクションとして初めて記録され、その後、新王宮や王立サン・フェルナンド美術アカデミーを経て、1834年にプラド美術館の前身である王立絵画彫刻美術館に所蔵されました。

参考文献

『オデュッセイア／アルゴナウティカ』松平千秋・岡道男訳、講談社（1982年）
ホメロス『オデュッセイア（上・下）』松平千秋訳、岩波文庫（1994年）
ルキアーノス『神々の対話他六篇』呉茂一・山田潤二訳、岩波文庫（1953年）

外部リンク

プラド美術館公式サイト, ピーテル・パウル・ルーベンス『ディアナとカリスト』