トム・リプリー

トーマス・リプリー

トーマス・リプリーは、アメリカの著名な小説家パトリシア・ハイスミスが生み出した一連の犯罪ミステリー小説、およびそれを原作とする映像作品に登場する架空のキャラクターです。彼は単なる悪役ではなく、物語の中心人物として描かれる「悪役の主人公」であり、その正体は熟練した詐欺師、職業犯罪者、そして連続殺人犯です。リプリーが登場する作品群、通称「リプリー・シリーズ」は、『太陽がいっぱい』（原題：The Talented Mr. Ripley）、『贋作』（原題：Ripley Under Ground）、『アメリカの友人』（原題：Ripley's Game）、『リプリーをまねた少年』（原題：The Boy Who Followed Ripley）、『死者と踊るリプリー』（原題：Ripley Under Water）の五つの長編小説で構成されています。

生い立ちと最初の犯罪

ハイスミスは最初の作品で、トム・リプリーをニューヨークで細々と詐欺を働きながら生きる若い男として世に送り出しました。彼は5歳で両親を溺愛事故で亡くし孤児となり、ボストンで叔母のドッティーに引き取られます。しかし、叔母からの愛情はなく、むしろ冷たく、時には彼を「女々しい」と嘲笑するような環境でした。10代で叔母の家を飛び出そうと試みるも失敗し、20歳になってようやく念願のニューヨークへと移り住みます。

物語は、造船業界の大物であるハーバート・グリーンリーフが、イタリアで放蕩生活を送る息子のディッキーを連れ戻すためにリプリーに接触するところから始まります。依頼を受けたリプリーはイタリアへ渡り、若きディッキーと親交を深めます。リプリーはディッキーの裕福で奔放なライフスタイルに強く惹かれますが、次第にディッキー本人への異常なまでの執着心を抱くようになります。しかし、ディッキーがリプリーに飽き、その友情を拒絶したことで、リプリーは衝動的に彼を殺害してしまいます。その後、リプリーは大胆にもディッキーになりすまし、彼の遺産を騙し取るための計画を実行に移します。毎月の送金を偽造し、信託口座から資金を引き出すなど、巧妙な手口でディッキーの生活を模倣します。

イタリアに居を構え、ディッキーのスタイルやマナーを完全にコピーすることで、リプリーは裕福な生活を謳歌します。しかし、彼になりすましていることが露見しそうになる度にトラブルに巻き込まれ、特にディッキーの友人であるフレディ・マイルズのような人物を殺害することになります。結局、リプリーはディッキーの遺言書を偽造して全財産を相続し、逮捕される寸前で辛くもイタリアを脱出、ギリシャへと逃れます。新たに手に入れた富に満足するリプリーですが、最初の小説の終わりでは、自由を得た代償として、常に警察に追われているのではないかというパラノイアに苛まれる可能性が示唆されます。

その後の人生と犯罪活動

最初の物語から6年後を舞台にした『贋作』（1970年）では、リプリーはフランスの架空の村の外れにある優雅な邸宅で、悠々自適な生活を送っています。彼は相続人のエロイーズ・プリッソンと結婚し、その財産をさらに増やしました。妻は夫の財源に疑問を抱きつつも、深入りしない道を選んでいます。リプリーは自身の社会的な評判を守るため、直接的な犯罪からは距離を置こうと努めますが、小悪党リーブス・ミノのような人物との関わりから、しばしば犯罪に巻き込まれることになります。彼の犯罪行為は多岐にわたり、長年にわたる美術品の贋作詐欺（『贋作』で始まり、以降の作品でも言及される）、マフィアとの危険な取引（『アメリカの友人』）、そして更なる殺人事件を含みます。どの作品においても、リプリーは逮捕や死の危機に瀕しますが、その度に驚くべき狡猾さで窮地を脱しています。

人物像

パーソナリティ

ハイスミス自身は、リプリーを「上品で好感が持てるが、まったく道徳的でない」人物として特徴づけています。彼は常に法の手を逃れようとする連続殺人犯でありながら、知的で洗練された一面を持ち合わせています。フランスの田舎で暮らす彼は、美食を楽しみ、ガーデニングや絵画、語学学習に時間を費やすなど、文化的な趣味を持っています。その豊かな生活は、初期の遺産詐取に加え、美術品贋作からのわずかな収入や妻の資産によって支えられています。礼儀正しく友好的に振る舞いますが、教養がなく趣味の悪い人物を嫌う傾向があり、『死者と踊るリプリー』に登場するプリチャード一家のような人物にはすぐさま不快感を示します。

批評家からは、「好感の持てるキャラクターであると同時に冷酷な殺人鬼」という二面性が指摘されています。ガーディアン紙のサム・ジョーディソンは、読者がリプリーを応援せずにはいられず、あるレベルでは彼の成功を願ってしまうほど、ハイスミスが巧みに共感を引き出していると評しています。映画評論家のロジャー・イーバートは、リプリーを「徹底した快楽主義者で、快適さ、控えめな趣味、文化的な追求に没頭している」と表現しました。彼は女性とは良好な関係を築きますが、彼女たちは彼の本質を完全に理解することはありません。また、被害者の中には彼が真の友情を感じていた人物もおり、彼の犯罪は、相手が好きで尊敬していても「チェックメイト」に至る「チェス」のようなものだと分析しています。

セクシュアリティ

ハイスミスはリプリーのセクシュアリティを明確には描いていませんが、作中には彼が他の男性に無意識的な魅力を感じていることを示唆する描写が散見されます。ディッキー・グリーンリーフへの執着や、その恋人マージへの嫉妬、ディッキーに拒絶される想像などがそれに当たります。また、自身がゲイだと見なされることを恐れる描写や、「どちらが好きか決められないから、男も女もあきらめたくなる」という冗談めかした発言もあります。

『贋作』では、結婚式の際の動揺や、新婚旅行で妻との性行為中に笑い出しインポテンツになった回想が描かれます。『リプリーをまねた少年』では、妻ヘロワーズとの性生活がほとんどなく、彼女からの要求に「気が狂いそうだった」と振り返る一方、この作品ではリプリーと脇役フランク・ピアソンとの間に同性愛的な背景が示唆されていると解釈される描写があります。ハイスミス自身はリプリーのセクシュアリティについて両義的な立場を崩さず、「彼がゲイだとは思わない」「他の男性の美貌を高く評価しているのは事実」「後の作品では結婚している」「奥さんとはうまくやる」と述べています。

サイコパスとしての側面

リプリーは作中で良心を持たない人物として描かれており、『リプリーをまねた少年』の中で、罪悪感に真剣に悩まされたことがないと自身で認めています。過去の殺人を「若さゆえの過ち」や「愚か」で「不必要」だったと振り返ることはありますが、具体的な犠牲者の数を覚えていないなど、冷酷さを示します。しかし、彼には救いがないわけではありません。シリーズを通して、一部の人物には純粋な愛情を感じており、また「絶対に必要なとき以外は殺人をしない」といった彼なりの倫理観を持ち合わせています。これらの側面から、彼は「粋な社会病質者」あるいは「好意的で都会的な精神病質者」と評されることが多いです。ロジャー・イーバートは、リプリーを知性と狡猾さを備え、殺人を犯しても逃げおおせる「魅力的で文学的であり、怪物でもある」存在だとし、「自分の道を切り開くことは、他の誰かがどんな代償を払っても価値がある」と信じる彼の姿勢に、人間の普遍的な一面を見出しています。また、別の評論では、「救いようのない悪人でありながら、魅力的で知的で、自分の道徳的な生き方に払う代償について思慮深い。彼は怪物だが、我々は彼に逃げ切ってもらいたいのだ」とも述べています。サム・ヴァクニンは、1999年の映画版のリプリーが反社会性パーソナリティ障害の診断基準を満たし、自己愛性パーソナリティの特徴を示していると分析しています。

犯罪行為と犠牲者

リプリーはシリーズ全5作品を通して、直接的な殺人行為を9回行い、さらに間接的に5人の死に関与しています。

作品と映像化

リプリー・シリーズは、その文学的な価値と共に、度重なる映像化によって広く知られています。特に最初の3作品が繰り返し映画化されてきました。

最初の『リプリー』は、1960年にルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演で『太陽がいっぱい』（原題：Purple Noon / Plein Soleil）として映画化され、世界的な成功を収めました。その後、1999年にはアンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイモン主演で再び『リプリー』（原題：The Talented Mr. Ripley）として映画化されています。

『アメリカの友人』は、1977年にヴィム・ヴェンダース監督、デニス・ホッパー主演で、2002年にはリリアーナ・カヴァーニ監督、ジョン・マルコヴィッチ主演で『リプリーズ・ゲーム』（原題：Ripley's Game）として映像化されました。

『贋作』は、2005年にロジャー・スポッティスウッド監督、バリー・ペッパー主演で『リプリー 暴かれた贋作』（原題：Ripley Under Ground）として映画化されています。

原作者のハイスミスは、自身が生んだキャラクターを演じた俳優たちについてコメントを残しており、1960年版『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンの演技を「素晴らしい」と称賛し、1982年のテレビドラマ版で演じたジョナサン・ケントを「完璧」と評しました。一方、1977年版『アメリカの友人』のデニス・ホッパーのリプリーは当初好まなかったものの、再鑑賞後にキャラクターの本質を捉えていると評価を改めています。

近年では、2024年にスティーヴン・ザイリアンが脚本・監督を務め、アンドリュー・スコットがリプリーを演じる形で、Netflixオリジナルドラマシリーズ『リプリー』（原題：Ripley）として再び映像化され、注目を集めています。

トーマス・リプリーは、その非道な行為にもかかわらず、読者や観客を惹きつけてやまない複雑で魅力的なキャラクターとして、今なお多くの人々に語り継がれています。

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