トラキア人

トラキア人：バルカン半島の古代民族

トラキア人は、古代、ヨーロッパ南東部のバルカン半島とその周辺地域に居住していた民族です。インド・[[ヨーロッパ語族]]に属するトラキア語を話し、古代ギリシアやローマの文献にもその名が記されており、当時、ヨーロッパにおいては有数の人口と勢力を有していたと考えられています。考古学的な調査では、精巧な金製品をはじめとする数々の遺物や遺跡が発見されており、彼らの高度な技術と豊かな文化が示されています。

地理的分布と周辺民族

トラキア人の居住地域は、現在のブルガリア南部、ギリシャ北部、トルコ（ヨーロッパ側）などに及ぶトラキア地方に集中していました。しかし、彼らの勢力範囲ははるかに広く、セルビア、北マケドニア、ブルガリア北部（古代モエシア）、アナトリア北西部（古代ビテュニア）などにも居住地が存在しました。さらに、ドナウ川北部の現在のルーマニア、モルドバ、ウクライナ西部、ハンガリー・スロバキア東部などに住んでいたダキア人も、ギリシア文献に記されるゲタイ人と同様に、トラキア人と同族と考えられています。アナトリア地方のフリュギア人もトラキア起源という説がありますが、その関連性については未だ不明確です。西側にはイリュリア人やケルト人が居住しており、彼らの侵入によってトラキア人の領域が脅かされることもありました。

歴史：古代からの足跡

有史以前のトラキア人の歴史は明確ではありませんが、ブルガリアからは紀元前3千年頃の墓地などが発見されており、これらが原トラキア人のものと推測されています。彼らは新石器時代のヨーロッパ先住民と青銅器時代初期のインド・ヨーロッパ系民族の融合、あるいは後者による征服によって生まれた民族であると考えられています。トラキア語は比較言語学的にはインド・[[ヨーロッパ語族]]に分類されますが、資料の不足から、言語に基づいて民族系統を明確に特定することは困難です。

トラキア人に関する最初の記録は、ホメロスの『イリアス』に見られます。同書には、トラキア人がトロイア戦争でトロイア側として参戦したことが記されています。また、『オデュッセイア』には、オデュッセウスがトロイア戦争帰還の際にトラキアを襲撃した記述があります。紀元前5世紀以降、歴史記録におけるトラキア人の存在は明確になります。ヘロドトスの『歴史』には、トラキア人が当時、人口と勢力において重要な民族であったことが記されています。同書には、火葬、一夫多妻制、人身供犠、子売買といった、現代の倫理観からすれば異質な風習についても記述されています。また、トラキア地方ではディオニュソス信仰が盛んであり、ディオニュソス神話の起源がトラキアにあるとする説もあります。

トラキア人は多くの部族に分かれていましたが、紀元前1世紀にはブレビスタ王によるダキア王国のように、有力部族が連合して大規模な国家を形成することもありました。徐々にギリシア文化の影響を受け、ギリシア語が公用語として用いられるようになり、紀元前3世紀のマケドニア王国による征服はその傾向を加速させました。紀元1世紀にはローマ帝国の支配下に置かれ、トラキア人はギリシア化（トラキア地方）もしくはローマ化（モエシア、ダキア）していきました。その後、独自の言語と文化はギリシア化・ローマ化、そして他民族の侵入と支配によって徐々に消滅していきました。

ダキア地方のトラキア人の一部はローマ化し、ヴラフ人（ワラキアの語源）と呼ばれるようになり、その子孫は現代のルーマニア人に繋がると考えられています。ドナウ川南部のトラキア人の一部は、6世紀のスラヴ人の侵入によってスラヴ化し、その後ブルガール人の支配を受け、8～10世紀にはブルガリア人へと同化していきました。

考古学的発見

トラキア文化の考古学的研究は第二次世界大戦後、主にブルガリア南部で本格化しました。1960～70年代の発掘調査では、紀元前5～3世紀にかけての多くの墳墓や、精巧な金銀製品が多数発見されました。発掘調査は現在も継続されており、新たな発見が期待されています。墓からは馬の犠牲や馬車なども発見されており、トラキア人が馬を尊んだ文化を持っていたことがわかります。ヘロドトスは『歴史』の中で、トラキア人の独特な生死観について記述しています。彼らの子は誕生の際に不幸を予言され悲しみに暮れ、死者は永遠の幸福を得たと喜び祝われたとあります。

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