トラバント

トラバント：東ドイツを象徴した小型車

トラバントは、1957年から1991年まで東ドイツで生産された小型乗用車です。「トラビ」の愛称で親しまれ、その愛くるしいデザインと、社会主義体制下の計画経済という特殊な状況の中で生まれた数々のエピソードから、東ドイツを象徴する車として広く知られています。

開発と生産

トラバントの開発は、第二次世界大戦後の東ドイツで行われました。前身は、戦前のドイツを代表する自動車メーカー、アウトウニオンのツヴィッカウ工場です。アウトウニオンはDKW、アウディ、ホルヒといったブランドを傘下に収めていましたが、戦後、東ドイツ国営企業VEBザクセンリンクとなりました。

トラバントの設計は、戦前のDKWの技術をベースに、東ドイツの経済状況を反映したものでした。鋼板の不足から、車体はFRP（繊維強化プラスチック）製となりました。しかし、東ドイツの慢性的な物資不足は製造品質にも影響を与え、末期には素材に紙パルプや羊毛が使用されたという噂も流れたほどです。

1958年から1991年まで、大きなモデルチェンジを受けることなく生産されました。1958～1964年製のP50/P60と、1964年以降のP601に大別されますが、基本設計は時代遅れで、安全性能や環境性能は西側の車に大きく劣っていました。それでも、東ドイツ国民にとってトラバントは手に入れるのが難しい貴重な乗用車であり、長蛇の列ができるほどの人気ぶりでした。注文から納車までには10年以上かかることも珍しくなく、中古車の価格の方が新車より高いという異様な状況も発生しました。

設計と性能

トラバントは、全長3.5m、車幅1.5mのコンパクトな2ドアセダンで、定員は4名でした。エンジンは、直列2気筒2ストローク空冷エンジンで、前輪駆動方式。最高速度は95～105km/hと低く、加速も鈍かったものの、4人乗車で80km/h以上は出ました。

ブレーキは4輪ドラム式、変速機はノンシンクロメッシュの4速マニュアルで、スムーズな変速にはダブルクラッチが必要でした。サスペンションは前後リーフスプリング式で、乗り心地は決して良いとは言えませんでした。燃料タンクはボンネット内にあり、燃料計もありませんでした。

社会主義体制とトラバント

トラバントは、社会主義体制下の計画経済の象徴ともいえます。競争がないため、設計は改善されず、時代遅れのまま生産が続けられました。モデルチェンジも、デザインの表面的な変更にとどまり、技術的な革新はほとんどありませんでした。

東ドイツ政府は、自動車を国民の生活水準向上に必要だと認識していましたが、積極的な生産・普及には消極的でした。これは、トラバントを他の共産圏諸国に輸出していたこと、贅沢品の普及を抑えて経済的平等を目指していたこと、そして個人の移動の自由を制限したかったことなどが背景にあります。

ベルリンの壁崩壊とその後

1989年のベルリンの壁崩壊後、西ドイツ製の新型車が東ドイツに流入し、トラバントとのコントラストは、東西ドイツの格差を象徴する光景となりました。トラバントは急速に淘汰されていきましたが、その独特のデザインと、時代を象徴する存在として、現在も高い人気を誇っています。

トラバント1.1とnT

東西ドイツ統一後、雇用維持を目的として、フォルクスワーゲン製のエンジンを搭載したトラバント1.1が生産されました。しかし、価格が高く、西ドイツ車との競争に勝てず、1年で生産終了となりました。

2007年には、トラバント生産50周年を記念して、新型トラバントnTの開発計画が発表されました。電気自動車として開発されましたが、残念ながら量産には至りませんでした。

トラバントと文化

トラバントは、映画『ゴー・トラビ・ゴー』をはじめ、様々な作品に登場し、東ドイツ、ひいては冷戦時代の象徴として、現代においても人々の記憶に深く刻まれています。独特のデザイン、時代背景、そして数々のエピソードは、トラバントという車に、他の車にはない魅力を与えています。その存在は、歴史と文化の交差点として、今後も人々を魅了し続けることでしょう。

もう一度検索