トーマス・ビーチャム

トーマス・ビーチャム：イギリス音楽界の異端児とその輝かしい足跡

トーマス・ビーチャム（1879年-1961年）は、20世紀を代表するイギリスの指揮者の一人です。ビーチャム製薬（現在のグラクソ・スミスクライン）の御曹司として裕福な家庭に生まれ育ちましたが、幼少期から音楽に深い関心を抱き、独学で音楽の基礎を学びました。オックスフォード大学には短期間在籍したものの中退、その後、アマチュアオーケストラでの指揮経験を経て、1899年、ハンス・リヒターの代役としてハレ管弦楽団を指揮し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。

ビーチャムは巨額の私財を惜しみなく音楽活動に投じました。巡業オペラ団の設立、複数オーケストラの創設、そしてロイヤル・オペラ・ハウスを借り切って、自身の芸術性を追求したオペラ公演を企画上演しました。これらの活動は、常に莫大な費用を要し、赤字となることもありましたが、父からの援助により活動を継続することができました。1915年にはビーチャム・オペラ・カンパニーを設立し、オペラ指揮者として活躍しました。1932年にはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を創設し、同年にロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督に就任しました。さらに、ニューヨーク・フィルハーモニックやザルツブルク音楽祭など、国外での指揮活動も積極的に行いました。

第二次世界大戦中はアメリカとオーストラリアで活動し、メトロポリタン歌劇場にも出演しました。しかし、戦後、アメリカでの活動に専念したことにより、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を手放すことになりました。1946年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を新たに設立し、晩年までイギリス音楽界に大きな貢献をしました。1960年、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の次期首席指揮者にルドルフ・ケンペを指名し、現役を引退。翌1961年に亡くなりました。

ビーチャムは、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトといった古典派から、ロマン派、ロシア国民楽派、そしてプッチーニ、グリーグ、シベリウスといった幅広いレパートリーを誇っていました。特にディーリアスの作品は、深く理解し、数多く演奏することでイギリスでの普及に大きく貢献しました。ディーリアスの作品の中には、ビーチャムが改訂した「ビーチャム校訂版」も存在します。ディーリアス自身は作品への改変を嫌っていたものの、ビーチャムの改訂案の的確さから、唯一例外として認められたほどです。

ビーチャムは、いわゆる「3大B」（バッハ、ベートーヴェン、ブラームス）を「3大退屈男」と呼んだ逸話も残っています。しかし、それは決してこれらの作曲家を拒絶していたわけではなく、ベートーヴェンの交響曲や協奏曲を数多く演奏し、録音も残しています。エルガーとは、交響曲第1番の演奏をめぐってトラブルになり、一時的に関係が悪化しましたが、エルガーの死後、再びエルガーの作品をレパートリーに加えました。

ビーチャムは、機知に富んだ人物としても知られ、楽員との良好な関係を築き、常に活気のある演奏を追求しました。リヒャルト・シュトラウスやブルーノ・ワルター、そしてセルゲイ・ディアギレフやフョードル・シャリアピンなど、多くの著名な音楽家や芸術家と親交がありました。

音楽プロデューサーのウォルター・レッグは、ビーチャムを「おそらく、イギリスが生んだ最後の偉大な変人」と評しました。その天才的な才能と奔放な個性、そして財力によって、イギリス音楽界に大きな足跡を残したビーチャムは、今日でも多くの音楽愛好家から尊敬と賞賛を集めています。来日経験はありませんでしたが、彼の録音は日本で高い評価を得ており、近年ではCD化によって再評価されています。

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