ナルキッソス (カラヴァッジョ)

カラヴァッジョの『ナルキッソス』：自己愛と悲劇の物語

カラヴァッジョは、イタリア・バロック期を代表する画家であり、その作品は劇的な明暗と写実的な表現で知られています。『ナルキッソス』は、1597年から1599年頃に制作された油彩作品で、ローマのバルベリーニ宮国立古典絵画館に所蔵されています。一時、真筆性が疑われましたが、美術史家ロベルト・ロンギによってカラヴァッジョの作品とされ、現在では一般的に真筆と認められています。

物語の背景

ナルキッソスの物語は、古くから文学や芸術の題材として扱われてきました。ダンテの『神曲』やペトラルカの『歌曲集』にも言及されており、カラヴァッジョが生きた時代にも、知識人や芸術家の間で広く知られていました。カラヴァッジョの友人であった詩人、ジャンバッティスタ・マリーノもナルキッソスに関する記述を残しています。

理論家レオン・バッティスタ・アルベルティは、絵画をナルキッソスの物語に例え、芸術の本質を捉えようとしました。水面に映る自身の姿を追い求めるナルキッソスの姿は、現実を模倣し、美を追求する芸術家の姿と重なります。

ナルキッソスの物語

オウィディウスの『変身物語』によれば、ナルキッソスは、その美しさゆえに多くの人々を魅了しましたが、誰の愛も受け入れませんでした。ある日、彼は泉に映った自身の姿に恋をしてしまいます。自分の姿だと気づかぬまま、彼は水面から離れることができず、恋焦がれて死んでしまいます。ナルキッソスが死んだ場所には、スイセンの花が咲いたと伝えられています。

作品の特徴

ルネサンス期以降、ナルキッソスは絵画の題材として取り上げられてきましたが、カラヴァッジョの作品は、従来の表現とは一線を画しています。多くの作品では、スイセンの花や、ナルキッソスに恋をしたニンフのエコーが描かれることが多いのに対し、カラヴァッジョは、水面に映る自分の姿を見つめるナルキッソスのみを描いています。華美な装飾はなく、古代神話を暗示する要素もありません。そこに描かれているのは、水辺に佇む一人の若者の姿です。

この絵画は、上下対称という珍しい構図を持っています。それはまるでトランプの絵柄のようです。シンプルでありながら、見る者に強い印象を与えます。鏡は古来より死と結び付けられてきましたが、この絵画の雰囲気は憂鬱で、ナルキッソスの姿は自身の映像の円環に閉じ込められています。背景と水面の暗い色調は、ナルキッソスの絶望的な状況を強調し、彼の世界が自己愛の円環の中に閉じ込められていることを示唆しています。

16世紀の文学批評家トンマーゾ・スティリアーニは、ナルキッソスの神話について、「自身のものを過剰に愛する人々たちの不幸な結末をはっきりと示す」と述べています。カラヴァッジョの『ナルキッソス』は、自己愛の危険性と、その悲劇的な結末を表現した作品として、私たちに深い問いを投げかけています。

参考文献

石鍋真澄『カラヴァッジョ　ほんとうはどんな画家だったのか』、平凡社、2022年刊行 ISBN 978-4-582-65211-6
宮下規久郎『カラヴァッジョへの旅　天才画家の光と闇』、角川選書、2007年刊行 ISBN 978-4-04-703416-7
* 吉田敦彦『名画で読み解く「ギリシア神話」、世界文化社、2013年刊行 ISBN 978-4-418-13224-9

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