ハーキム

ハーキム：冷酷なカリフと謎の最期

985年から1021年にかけてエジプトを治めたファーティマ朝第6代カリフ、アル＝ハーキム・ビアマーリルラー。彼は冷酷な専制政治を行いつつも、イスマーイール派の信仰を深く推進し、学問振興にも尽力した、イスラム世界において特異な存在でした。幼少期の即位、権力掌握、そして波乱に満ちた治世、そして謎の死…、その生涯は多くの謎と注目に値する出来事に彩られています。

幼少期の即位と権力掌握

ハーキムは幼い頃に即位し、スラヴ系宦官であるバルジャワーンの後見を受けました。バルジャワーンは権力を掌握し、ハーキムを事実上監禁状態に置きますが、成長したハーキムは16歳でバルジャワーンを暗殺し、自ら権力の座に就きました。この出来事を境に、ハーキムは専制的な統治を敷くこととなります。

イスマーイール派の信仰と文化振興

ハーキムはファーティマ朝のイデオロギーであるイスマーイール派の信仰を熱心に推進しました。カイロには多くのモスクが建設され、特にハーキム・モスクは代表的な建築物として知られています。イスマーイール派の勢力はイラク、イラン、中央アジアへと広がり、ファーティマ朝の威信を高めました。

また、ハーキムは学問にも造詣が深く、カイロに「知恵の館」と呼ばれる教育研究機関を設立、私財を投じて学問を保護しました。この機関では、古代ギリシャの学問と最新のイスラム学問が融合し、光学の分野で著名なイブン・ハイサムなど多くの優れた学者が輩出されました。カイロ学派と呼ばれるこの時代の科学は、自然科学の発展に大きく貢献しました。

厳格な統治と異教徒への弾圧

しかし、ハーキムの統治はイスマーイール派の厳格な教えに基づいた、厳しいものでもありました。飲酒や歌舞音曲は禁止され、異教徒への弾圧も苛烈を極めました。キリスト教徒やユダヤ教徒は特定の衣服を着用するよう強制され、教会やシナゴーグは破壊され、財産は没収されました。1009年にはエルサレムの聖墳墓教会も破壊されるという、極端な宗教的弾圧が行われました。

ハーキムの残忍さもまた有名です。彼は側近や官僚を殺害したり、些細な理由で厳しい刑罰を下したりしました。モロヘイヤの食用禁止など、突飛な命令も多く出されており、彼の気まぐれな性格がうかがえます。また、飲酒禁止に伴い没収されたワインはナイル川に流され、ブドウ園は破壊されました。船遊びや浴場への立ち入りも制限され、庶民の生活にも大きな影響が及んでいました。

謎の失踪とその後

ハーキムは晩年、奇矯な行動が目立つようになりました。みすぼらしい服装で夜間に街を徘徊するなど、その行動は不可解なものとなっていきました。そして1021年2月13日、郊外に出かけたまま行方不明となりました。遺体は発見されず、その死因は謎に包まれたままです。

ハーキムの失踪後、彼の神格化を主張するグループが現れました。彼らはハーキムは死んだのではなく、幽冥界へ隠遁したのだと主張し、彼の再来を期待しました。このグループはイスマーイール派から分離し、シリアに逃れてドゥルーズ派を形成しました。

イブン・ハイサムとの関わり

著名な学者イブン・ハイサムは、ハーキムの治世においてナイル川治水計画に関わりました。しかし、計画の実現不可能を悟り、ハーキムの怒りを恐れて狂気を装い、公職に就きました。ハーキムの死後、彼は自由を取り戻し、光学、数学、物理学など多くの分野で活躍しました。

ハーキムは、イスマーイール派の信仰を広め、学問を保護した人物であると同時に、冷酷な専制政治を行った人物でもありました。彼の治世は、イスラム世界の歴史において特異な位置を占め、その生涯と最期は今日まで多くの謎を残しています。

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