パウル・ティリッヒ

パウル・ティリッヒ：20世紀を代表する神学者

パウル・ティリッヒ(1886-1965)は、20世紀のキリスト教神学に多大な影響を与えたドイツ出身のプロテスタント神学者です。組織神学、宗教社会主義思想で知られ、カール・バルトと並ぶ20世紀を代表する神学者の一人として、哲学、思想、美術史など幅広い分野に影響を与えました。

生涯

ベルリン近郊の牧師の家に生まれたティリッヒは、ベルリン大学で神学と哲学を学びました。1907年にはエマヌエル・ヒルシュと親交を深めますが、ティリッヒが推進した社会主義色の強い宗教社会主義と、親ナチス的なヒルシュの姿勢との間には激しい対立が生じました。ナチス政権下では迫害を受け、1940年にアメリカへ亡命、帰化。ユニオン[[神学校]]やハーヴァード大学などで教授として教鞭を執り、数多くの学生を育成しました。

思想：応答する神学

ティリッヒ神学の根幹をなすのは、「応答する神学」です。これは、宗教と文化、教会と社会、神学と哲学といった一見異なる領域を、相互に関連づけ、より深い次元での統合を目指すという考え方です。聖書のメッセージを絶対的な真理として捉えるのではなく、現代社会における人々の問いに対して、キリスト教の真理を用いて応答することが神学の役割だと主張しました。

この考え方を理解するために、ティリッヒが用いた「他律」「自律」「神律」という概念が重要です。かつて宗教は人々に強制的に力を行使する存在でしたが（他律）、近代社会では理性と個人の尊厳を重んじる自律が中心となりました。しかし、自律は孤独や無意味感をもたらす可能性があります。そこでティリッヒは、他律と自律を超えた「神律」という概念を提示します。神律とは、自己の有限性を自覚し、自己の根底に働く神的な力に従う状態であり、他律のような外部からの強制でもなく、自律のような孤独な彷徨いでもない、自己実現のあり方です。ティリッヒの神学は、人々にこの神律へと導くことを目指しています。人が抱える「大きな問い」に、神学によって答えることで、「哲学の問いと神学の答え」という関係が成立すると考えました。

究極なるもの

ティリッヒは宗教を「究極の関わり」と定義しました。これは、特定の宗教に限定されない概念で、人が何かに究極的に関わり、支えられている状態を指します。教会に通うかどうかに関わらず、人は存在の根拠となる何かを求めており、宗教的であると言えるのです。この究極の関わりにおいて重要なのは、「私たちの存在、あるいは非存在を決定するもの」との関わりです。ティリッヒにとっての神は、天上に存在する人格神ではなく、存在そのものの根源、存在を可能にする力です。神について語るには象徴を用いるしかなく、宗教的言説は象徴として、それ自体を超えて何かを指し示すものとして理解すべきだと考えました。

キリスト教においては、人間の有限性と自由な決断による「実存」と「本質」の乖離（聖書ではアダムの堕罪として象徴される）を克服するのがキリストだと考えました。キリストは、実存のうちにありながら本質との断絶を克服し、「新存在」をもたらした存在です。この新存在は、分裂、紛争、絶望を克服し、和解、創造、希望をもたらすと説きました。

存在への勇気

ティリッヒは、信じることは疑うことと不可分であると考えました。神は直接的に証明できないため、信仰は実存的な決断であり、不確実性を内包しているからです。しかし、疑いながらも信じることは、否定を凌駕する肯定であり、疑いを避けるだけの信仰とは異なります。非存在の脅威にさらされている人間にとって、存在を肯定する「勇気」が必要であり、その勇気は個人化の勇気と参与の勇気から成り立っています。しかし、個人や社会からの力だけでは限界があるため、存在の力、すなわち神との関係に根ざしていなければなりません。ティリッヒにとっての信仰は、単なる知的な判断ではなく、全人的な変革をもたらすものです。神は、信じることによって存在するようになるようなものではなく、信じようと信じまいと存在それ自体として働いているのです。

著作

ティリッヒは膨大な著作を残しました。代表的なものとしては、『組織神学』全3巻、『生きる勇気』、『宗教哲学入門』などがあります。これらの著作は、日本語にも翻訳され、広く読まれています。

エピソード

ティリッヒは幼少期から自然を愛し、特に海を好みました。第一次世界大戦では従軍牧師として従軍し、勲章を受章しています。アメリカへの亡命時には、大学の教授たちが給料の一部を拠出して招聘費用を捻出しました。また、英語の習得に苦労しながらも、論文を英語で執筆するまでになりました。ティリッヒはフランクフルト学派のアドルノの教授資格論文を認定した人物でもあり、アドルノからも高く評価されています。

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