ピアノ四重奏曲 (マーラー)

概要

《ピアノ四重奏断章 イ短調》（ドイツ語: Fragment eines Klavierquartettsatz）は、オーストリアの作曲家グスタフ・マーラーが1876年に手掛けた室内楽曲です。この作品は、ソナタ形式による一つの楽章が完成した形で残されており、残りの楽章は未完成に終わったか、あるいは失われたと考えられています。マーラーが学生時代に作曲し、現在まで残されている唯一の室内楽作品として、初期の創作活動を知る上で非常に貴重な存在です。成熟期に入ってからのマーラーは、主に連作歌曲や大規模な交響曲に注力しており、室内楽作品は（判明している限りでは）残されていません。

この《ピアノ四重奏断章》は、マーラーがまだ16歳でウィーン音楽院に在籍していた頃の、最初期の作品群の一つです。作曲科の試験提出用に創作された経緯を持ちます。当時の音楽界で革新的な道を歩んでいたリヒャルト・ワーグナーやアントン・ブルックナーの様式とは異なり、フランツ・シューベルトやヨハネス・ブラームスに見られる穏健な作風に影響を受けています。特に、憂いを帯びた美しい旋律、繊細でありながらも表情豊かな響き、そして巧みな構成力においては、アントニーン・ドヴォルジャークやピョートル・チャイコフスキーの感覚にも通じるものがあり、若きマーラーの将来がどれほど嘱望されていたかを示唆しています。

後年、マーラーは自身の書簡の中で学生時代の「四重奏曲」に言及していますが、それがこのピアノ四重奏曲を指していたのかどうかははっきりしていません。学生時代のマーラーは、この作品以外にも、後に失われたり中断・破棄されたりしたものの、ヴァイオリン・ソナタやピアノ五重奏曲など、いくつかの室内楽曲を手掛けていた可能性があるからです。しかし、この《ピアノ四重奏断章》については、楽譜出版社のテオドール・ラッティヒに自ら出版を打診していたことが記録に残されています。

楽曲

《ピアノ四重奏断章》は、マーラーが作曲したことが確認されている室内楽曲の中で、現在まで唯一残されている作品です。同時期にはヴァイオリン・ソナタも一曲手掛けていたらしいですが、現存していません。作品全体としては不完全な状態であり、全曲の一部である第1楽章にあたるソナタ・アレグロ楽章だけが完成された形で書き上げられました。「断章」という名称は、この完成楽章が一つしかないという事実に由来しています。

この完成楽章に加え、24小節の短いスケルツォ楽章の草稿も実在しており、演奏によってはこのスケルツォが《断章》と組み合わせて演奏されることもあります。このト短調のスケルツォは、後にロシアの作曲家アルフレート・シュニトケによって「完成」され、さらにシュニトケ自身の《交響曲第5番（合奏協奏曲第4番）》（1988年）の第2楽章にもその断片が引用されています。

編成はピアノ四重奏曲として標準的な、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのためのものです。演奏時間は楽派によって異なりますが、およそ11分から15分を要します。

楽曲構成

楽章は、ウィーン楽派の伝統に則ったソナタ形式で書かれています。序奏はなく、冒頭から主部に入ります。テンポ指定は「Nicht zu schnell」（速すぎず）、拍子は4分の4拍子です。

まずピアノによって旋律主題の断片が提示され、これが弦楽器に受け渡される中で、徐々に第一主題の全貌が形作られていきます。第二主題は弦楽器群によって奏でられ、下降音階のうねりによって特徴づけられます。定型通りの呈示部の後には、展開部と再現部が続きます。そして、長大なコーダにおいてヴァイオリンの独奏（カデンツァ）が現れ、主部の持つ悲劇的な余韻を引きずりながら、楽曲は幕を閉じます。

初演

世界初演：1876年7月10日、ウィーン音楽院にて。作曲者自身のピアノ、音楽院の学生による弦楽器で演奏されました。
公開初演：1876年9月12日、作曲者の生地であるイーグラウ（現チェコ領イフラヴァ）にて。ここでも作曲者自身がピアノを担当しました。
米国初演：1964年1月12日、ニューヨークにて。ピアニストのピーター・ゼルキンとガリミール四重奏団によって行われ、作品の再発見と普及の契機となりました。
オリジナル楽器による初演：2001年10月7日、ロンドンにて。エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団のメンバーにより、当時の楽器編成と奏法を意識した演奏が行われました。

この作品は、若きマーラーの才能を示す貴重な証であると同時に、彼のその後の大規模な交響曲作品への道筋を仄めかす、興味深い出発点と言えるでしょう。

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