プレストン・スタージェス

プレストン・スタージェス

プレストン・スタージェス（Preston Sturges, 1898年8月29日 - 1959年8月6日）は、20世紀半ばのアメリカ映画界で活躍した類稀なる才能を持つ映画監督であり、脚本家です。脚本家として名を馳せた後に自らメガホンを取り、監督としても輝かしい成功を収めた最初の人物として、その名は映画史に刻まれています。彼が監督した13本の作品の多くは、後にスクリューボール・コメディの古典として語り継がれることになります。

幼少期からキャリア初期

イリノイ州シカゴに生まれたスタージェスは、母方の祖父母がアイルランドからの移民でした。幼い頃、母親が裕福な株式仲買人ソロモン・スタージェスと再婚した影響で、彼はアメリカとヨーロッパを行き来する国際的な環境で育ちます。一時は母親が経営する化粧品会社のニューヨーク支店で働いたものの、その職を辞して発明家へと転身するというユニークな経歴を持ちます。やがて演劇への関心を深め、劇作家として自身の芸術的キャリアをスタートさせました。

ハリウッドへの道

1929年、スタージェスが手掛けた戯曲『紳士酒場（Strictly Dishonorable）』が舞台で大きな成功を収めると、その才能に注目したハリウッドから脚本家としての誘いを受けます。彼が映画界へ足を踏み入れるきっかけとなったのは、1931年にこの『紳士酒場』がジョン・M・スタール監督によって映画化された際、その仕上がりに不満を感じ、製作元のユニバーサル映画へ直接抗議したことでした。

1930年代を通じて、スタージェスはハリウッドで最も才気溢れる脚本家の一人としての地位を確立します。1933年に脚本を担当した『力と栄光（The Power and the Glory）』では、知人の回想を通して主人公の一生を描くという画期的なナラタージュ（語り）の手法を確立し、後続の映画脚本に計り知れない影響を与えました。特にオーソン・ウェルズの『市民ケーン』はこの作品からの影響が大きいとされています。その後も、ミッチェル・ライゼンやウィリアム・ワイラーといった当時の著名な映画監督たちと共に、次々と質の高い脚本を生み出しました。

パラマウント映画での栄光

1940年、スタージェスは自ら執筆した政治コメディ『偉大なるマッギンティ（The Great McGinty）』を監督するために、パラマウント映画の上層部を根気強く説得します。「脚本料はたった1ドルで良い」という前代未聞の条件を提示し、脚本家出身として初の映画監督デビューを果たしました。前例のない挑戦であったため不安視する声もありましたが、作品は大ヒットを記録し、さらにアカデミー脚本賞（オリジナル部門）を受賞するという快挙を成し遂げ、彼の監督としての才能を知らしめました。

この成功を機に、スタージェスは勢いに乗り、『七月のクリスマス（Christmas in July）』や『レディ・イヴ（The Lady Eve）』といった傑作を立て続けに発表し、ハリウッドに新たな旋風を巻き起こします。彼の作品は、それまでのハリウッド映画にしばしば見られた感傷的な描写や露骨な社会的メッセージを排し、スラップスティックとソフィスティケーティッド・コメディの要素を巧みに融合させた、予測不能でリズミカルなストーリー展開を特徴としていました。

監督業に加え、プロデューサーとしても手腕を発揮し、『サリヴァンの旅（Sullivan's Travels）』や『パームビーチ・ストーリー（The Palm Beach Story）』といったヒット作を生み出します。また、フランスから亡命してきた名匠ルネ・クレール監督のハリウッド作品『奥様は魔女（I Married a Witch）』（1942年）ではプロデューサーを務めるなど、多方面で活躍しました。

当時のパラマウント映画では、セシル・B・デミルとスタージェスが二枚看板でしたが、デミルが大作主義で製作費が高騰し、スケジュール管理も厳格ではなかったのに対し、スタージェスは経済的な手法で効率的に作品を完成させたため、スタジオからの信頼は厚かったと言われています。また、彼のサービス精神旺盛な人柄により、撮影現場は和やかな雰囲気に包まれ、多くの俳優がデミルよりもスタージェス作品への出演を望んだと伝えられています。

しかし、1944年頃から状況は変化し始めます。『凱旋の英雄万歳（Hail the Conquering Hero）』や『モーガンズ・クリークの奇跡（The Miracle of Morgan's Creek）』は共にアカデミー脚本賞にノミネートされるなど評価は高かったものの、製作費の上昇や興行的な失敗が重なるようになり、次第にスタジオでの製作条件は悪化していきました。そして、『偉大なる瞬間（The Great Moment）』を最後に、彼はパラマウント映画を離れることになります。

その後のキャリアと晩年

1944年、スタージェスは実業家のハワード・ヒューズと共同で映画会社カリフォルニア・ピクチャーズを設立します。往年のコメディ俳優ハロルド・ロイドの復帰作となる『ハロルド・ディドルボックの罪（The Sin of Harold Diddlebock）』を製作しますが、作品の出来を巡ってヒューズと対立し、完成したフィルムはお蔵入りとなります。結局、再編集されたものが『Mad Wednesday』と改題され、1950年に公開されるまで長らく陽の目を見ることはありませんでした。

また、脚本を手掛けた『血の復讐（Vendetta）』では、監督を途中降板するなど、作品完成に至るまで困難が続きました。

1947年には、当時としては破格の高額契約で20世紀フォックスに移籍し、『殺人幻想曲（Unfaithfully Yours）』を監督します。しかし、続く『バシュフル盆地のブロンド美人（The Beautiful Blonde from Bashful Bend）』が興行的に失敗したため、フォックスを解雇されてしまいます。

スタージェスは、パラマウント時代から、撮影所の食堂でスタッフ全員の食事代を自腹で支払ったり、撮影中に良いアイデアやセリフを出したキャストやスタッフにポケットマネーでチップを渡すなど、その気前の良さ、ひいては浪費癖でも知られていました。これらの金銭感覚が、結果としてハリウッドでの安定したキャリアを失う一因となったとも言われています。

破産を経験し、失意のうちにヨーロッパへ渡ったスタージェスですが、幼少期からフランス語が堪能だったこともあり、フランスを拠点に1950年代にはいくつかの脚本を執筆しました。しかし、当時の彼を目撃したビリー・ワイルダーは、カフェの前で通行人にブランデーを恵んでもらうほど困窮していた様子を語っています。

1956年にはフランスで最後の監督作となる『トンプソン少佐の手帳（Les Carnets du Major Thompson）』を手掛けますが、1959年8月6日、ニューヨーク市で心筋梗膜のため60年の生涯を閉じました。

後世への影響と評価

ハリウッド黄金時代に一時代を築いたスタージェスでしたが、その死後しばらくは映画史の中でやや忘れられた存在となっていました。特に日本では、戦後すぐに数本が公開されたのみで、1990年代に大規模な回顧上映が開催されるまで、その知名度は極めて低いままでした。

しかし、脚本家から監督へ転身し、その両方で成功を収めたスタージェスの存在は、ジョン・ヒューストン、ビリー・ワイルダー、ジョセフ・L・マンキーウィッツといった、後に続く数多くの脚本家出身の映画監督たちの道を切り拓きました。ビリー・ワイルダーはスタージェスの死に際し、「彼が死んだとき、我々は敬愛するひとりの人間を失っただけでなく、映画の一部門をそっくり失ったんです。ああいう独創的な精神の持ち主はざらにはいません。彼が逝って、ひとつの種族ぜんぶが絶えたんです」と、その比類なき才能を讃える言葉を残しています。

彼の作品は、現代においてもスクリューボール・コメディの金字塔として、多くの映画ファンや研究者によって評価されています。その独特なセリフ回し、テンポの良い展開、そして人間喜劇に対する深い洞察は、今なお多くの観客を魅了し続けています。

主な作品

監督作品（全て脚本兼任）

『偉大なるマッギンティ』（The Great McGinty, 1940年）
『七月のクリスマス』（Christmas in July, 1940年）
『レディ・イヴ』（The Lady Eve, 1941年）
『サリヴァンの旅』（Sullivan's Travels, 1941年）
『パームビーチ・ストーリー』（The Palm Beach Story, 1942年）
『モーガンズ・クリークの奇跡』（The Miracle of Morgan's Creek, 1944年）
『凱旋の英雄万歳』（Hail the Conquering Hero, 1944年）
『偉大なる瞬間』（The Great Moment, 1944年）
『ハロルド・ディドルボックの罪』（The Sin of Harold Diddlebock, 1947年）
『殺人幻想曲』（Unfaithfully Yours, 1948年）
『バシュフル盆地のブロンド美人』（The Beautiful Blonde from Bashful Bend, 1949年）
『血の復讐』（Vendetta, 1950年）
『トンプソン少佐の手帳』（Les Carnets du Major Thompson, 1955年）

主な脚本作品（監督せず）

『チゥインガム行進曲』（The Big Pond, 1930年）
『紳士酒場』（Strictly Dishonorable, 1931年）- 原作も
『力と栄光』（The Power and the Glory, 1933年）
『お人好しの仙女』（The Good Fairy, 1935年）
『街は春風』（Easy Living, 1937年）
『放浪の王者』（If I Were king, 1938年）
『陽気のせいデス』（The Birds and the Bees, 1956年）- 原作のみ（『モーガンズ・クリークの奇跡』リメイク）
* 『殺したいほど愛されて』（Unfaithfully Yours, 1984年）- 原作のみ（『殺人幻想曲』リメイク）

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