ヘルムート・ヴァルヒャ

ヘルムート・ヴァルヒャ：バッハ演奏の権威

ヘルムート・ヴァルヒャ（Helmut Walcha, 1907年 10月27日 - 1991年 8月11日）は、ドイツを代表するオルガン、チェンバロ奏者です。彼は、バッハの鍵盤楽器曲演奏における20世紀最高の権威の一人として知られ、2種類の『バッハ・オルガン作品全集』を完成させたことで、その名を音楽史に刻みました。

生涯

ライプツィヒで郵便局員の父と音楽愛好家の母の間に生まれたヴァルヒャは、1歳の時の予防接種の後遺症で視力が極度に低下します。しかし、両親の懸命な治療により、わずかに視力を回復しました。少年時代には、姉から楽譜の読み方を学び、音楽に没頭するようになります。弱視のため、楽譜全体を一度に見ることができなかったヴァルヒャは、各声部を別々に読み取って記憶し、それらを組み合わせて楽曲を完成させたといいます。この頃からオルガンに興味を持ち、近所の教会のオルガンで練習に励んでいました。

12歳の時、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコントラバス奏者がヴァルヒャの演奏を聴き、指揮者のアルトゥール・ニキシュに紹介しました。ニキシュは彼の才能を認め、正規の音楽教育を受けさせることを勧めました。その後、ヴァルヒャはコントラバス奏者から1年間ピアノを学びます。

1922年、ライプツィヒ音楽院に入学し、ギュンター・ラミンに師事しました。在学中に慢性の角膜炎を発症し、16歳で失明しますが、家族の支援を受けながら演奏活動を続けました。1924年には、ライプツィヒ・聖アンドレ教会でオルガン・コンサートを開き、デビューを果たします。彼は、同情的な評価を避けるため、新聞に盲目であることを伏せるように依頼したといいます。

1926年、ラミンの助手として聖トーマス教会の副オルガニストに就任。翌年、音楽院のオルガニスト資格試験を最優秀の成績で通過し、音楽院を卒業しました。1929年にはフランクフルトに移り、フリーデン教会のオルガニストに就任。1933年からはフランクフルト高等音楽学校でオルガン科教師を務め、1938年に同校がフランクフルト音楽大学となると、教会音楽家教授に任命されました。1939年、ウルズラ・コッホと結婚。1944年には、フランクフルトのドライケーニゲ教会のオルガン奏者に就任しました。

フランクフルトを拠点としたヴァルヒャは、バッハの『オルガン作品全集』の録音を2度完成させたほか、バッハの鍵盤作品の校訂作業、オルガンと作曲の指導、模範演奏など、教育活動にも尽力しました。1950年には、ゲッティンゲンで開催されたバッハ没後200年記念音楽祭に出演し、バッハのオルガンとチェンバロの代表曲を演奏しました。1977年に高齢と健康上の理由から演奏活動を引退し、1991年にフランクフルト・アム・マインで亡くなりました。

評価

ヴァルヒャは、バッハの鍵盤楽器曲演奏における20世紀最高の権威とされ、「みごとな構成力と精神性の表出を一致させたバッハ解釈により、つねに20世紀のもっとも優れたバッハ解釈者の1人として高い評価と尊敬を集め」ました。彼の最大の功績は、J.S.バッハのオルガン作品を2度にわたり録音し、2種類の『バッハ・オルガン作品全集』を完成させたことです。この偉業は、LPレコードやステレオ録音の登場など、録音技術が大きく進歩・変化した時代に行われたため、完成までに長い年月を要しました。

バッハ・オルガン作品全集

ヴァルヒャは2回にわたり、バッハのオルガン作品全集を録音しました。

1度目の録音は1950年から1952年にかけて、カペルのシュニットガー・オルガンを使用して行われました。しかし、ステレオ録音の開始により、オルガンの音響面の問題から録音は中断されました。

2度目の録音は1968年に開始され、当初はジルバーマン・オルガンを使用する予定でしたが、オルガンの状態の問題から断念し、最終的にストラスブールのサン・ピエール・ル・ジュヌ教会のジルバーマン・オルガンを選びました。1971年までに残りのオルガン作品が録音され、2度目の『J.S.バッハオルガン作品全集』が完成しました。

ヴァルヒャの演奏は、古楽器復興の声が小さかった当時から規範的な演奏とみなされ、利用可能なバロック・オルガンによる録音、声部進行が容易に聴き分けられるような鮮やかなレジストレーションが評価されました。彼の演奏は、ポリフォニックな旋律線を一本一本際立たせ、バッハの音楽の持つドラマ性を再現することで、聴衆を魅了しました。

その他の業績

ヴァルヒャは、オルガン曲の作曲家としても活動し、自作のコラール前奏曲を出版しています。また、他の作曲家の管弦楽作品をオルガン独奏用に編曲・出版も行いました。音楽研究においては、バッハ晩年の未完の作品『フーガの技法』の「最終フーガ」を補筆・完成させる試みも行っています。また、フルブライト奨学金を得てドイツに留学したアメリカ人のオルガニストを数多く育成し、ロバート・アンダーソン、マーガレット・ディッキンソン、メルヴィン・ディッキンソン、デイヴィッド・マルベリーなど、多くがアメリカ国内外で教師、演奏家、研究者として活躍しています。

語録

「バッハの音楽は宇宙へと目を開いてくれます。ひとたびバッハ体験をすれば、この世の生にはなにがしかの意味があることに気づきます」

もう一度検索