マルティン・デ・アスピルクエタ

マルティン・デ・アスピルクエタ

マルティン・デ・アスピルクエタ（スペイン語: Martín de Azpilcueta、1493年5月13日 - 1586年6月21日）は、16世紀のスペインが生んだ傑出した神学者、哲学者、そして法学者です。特に教会法における権威として知られ、アウグスチノ会の修道士でもありました。彼は当時の重要な学術潮流であったサラマンカ学派の一員であり、「ナバラの博士」（Doctor Navarrus）という尊称でも広く認識されていました。このため、彼の名前はマルティン・デ・アスピルクエタ・ナバロ、あるいは単に「ナバロ」「ナバルス」といった通称でも語り継がれています。バスク語ではMartin Azpilikueta Jauregizarと呼ばれます。

輝かしい学術と教会での経歴

アスピルクエタは、現在のスペイン北部ナバラ州にあたる、かつてのナバラ王国のバラソアインの地に生を受けました。世界的に有名な宣教師フランシスコ・ザビエルは彼の従兄弟にあたる人物です。彼はその生涯において、ヨーロッパ各地の著名な大学で教鞭を執りました。1524年から1538年にかけては、フランスのトゥールーズ大学をはじめ、スペインのサラマンカ大学、そしてポルトガルのコインブラ大学で教会法を教授し、多くの後進を育てました。コインブラ大学においては、時のスペイン国王カルロス1世（神聖ローマ皇帝カール5世）の命を受け、学長（総長）に任命されるという栄誉に浴しています。

彼の名声は学術界に留まらず、ローマ教皇庁にも及びました。教皇ピウス5世、グレゴリウス13世、シクストゥス5世といった歴代の教皇たちと親しい関係を築き、教皇庁の内赦院（Penitentiaria Apostolica）において顧問を務めることとなりました。1560年以降はローマに居を移し、その後の26年間を教皇庁の枢要な人物として、また学者として過ごし、90歳を超える高齢に至るまで精力的に活動しました。

教会法と経済学への深い洞察

アスピルクエタの学術的な功績は多岐にわたりますが、最も著名なものとしては教会法の権威としての地位が挙げられます。彼は特に、懺悔や告解の手続きに関する重要な指針書である『聴罪師と悔悛者の手引き』（Manuale sive Enchiridion confessariorum et paenitentium）を執筆しました（本書は彼の死後に出版されました）。

しかし、彼の貢献は神学や法学の領域に留まりません。彼は、ドミンゴ・デ・ソトらが発展させた16世紀サラマンカ学派の経済理論を継承し、さらに発展させました。特に、1556年に出版された主著『徴利明解論』（Comentario resolutorio de usuras）の中で展開された経済に関する議論は、後世の経済学説に大きな影響を与えました。

この著作において、彼は当時ヨーロッパで起こっていた価格革命、すなわち物価の急激な上昇のメカニズムを分析しました。彼は、新大陸（南北アメリカ大陸）からの大量の金銀の流入が、利用可能な貨幣の総量を著しく増加させた結果、個々の貨幣単位の価値が相対的に下落し、これが物価の上昇を引き起こしたと論じました。この分析は、貨幣数量説の基本的な考え方を提示したものであり、一般にこの学説の始祖とされるフランスの思想家ジャン・ボダンよりも早い時期に展開されていたことが指摘されています。

さらに、アスピルクエタは当時の盛んな貨幣取引、特に為替取引に対して、宗教上の観点から利息を取る行為（高利）であるとして非難が向けられていた状況に対し、この取引を擁護するための理論を展開しました。彼は、異なる通貨間の交換レートは、それぞれの通貨が持つ商品の購買力によって決定されるべきであるという考えを示唆しました。これは、後に「購買力平価説」として体系化される経済理論の萌芽とも言える洞察でした。

マルティン・デ・アスピルクエタは、その長い生涯を通じて、神学、法学、哲学といった伝統的な学問に加え、当時の社会経済の変化に対する鋭い観察眼と分析力を示しました。特に経済分野における彼の先駆的な議論は、ルネサンス期から近代にかけての経済思想史において、サラマンカ学派の重要な貢献として位置づけられています。

主な著作

『徴利明解論』（Comentario resolutorio de usuras） - 1556年
『聴罪師と悔悛者の手引き』（Manuale sive Enchiridion confessariorum et paenitentium） - 1588年

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