マンゴー崇拝

マンゴー崇拝（中国語: 芒果崇拜）は、1960年代後半の文化大革命期、中華人民共和国で見られた独特な社会現象です。熱帯の果実であるマンゴーが、当時の最高指導者である毛沢東からの恩寵のシンボルと見なされ、文字通り崇拝の対象となりました。

歴史的背景

1966年5月に毛沢東が発動した文化大革命は、当初、毛沢東を熱烈に支持する学生組織「紅衛兵」が主導的な役割を担いました。しかし、毛沢東思想のもとに集結したはずの紅衛兵は、派閥争いを激化させ、各地で武力衝突を引き起こします。特に1968年春に清華大学で発生した「百日大武闘」のような大規模な抗争は、事態の収拾を困難にしました。これに対し、毛沢東は学生運動を鎮静化させるため、工場労働者から成る部隊、後に工人解放軍毛沢東思想宣伝隊（工宣隊）として知られる集団を大学などに派遣しました。しかし、ここでも衝突が起き、死傷者を出す悲劇（7.27事件）も発生しています。1968年夏には、それまでの党・政府機関に代わる革命委員会が設立され、文化大革命は学生主導から労働者階級主導へと移行する節目を迎えていました。

マンゴー下賜と崇拝の始まり

マンゴー崇拝が始まるきっかけとなったのは、1968年 8月5日の出来事です。当時、中国の最高指導者であった毛沢東は、パキスタン外務大臣（一説にはビルマ大使）から贈答品としてシンドリー・マンゴーを受け取りました。毛沢東は、このマンゴーを、清華大学に常駐していた工宣隊に下賜しました。

毛沢東自身がマンゴーを食べず、労働者へ与えたことは、大衆への配慮の証と解釈されました。工宣隊の隊員たちは、この珍しい果物を最高指導者からの恩寵のシンボルと考え、熱狂的に迎え入れます。また、毛沢東からの贈り物を拝受したことは、工宣隊が他の集団、特に学生よりも優位にあることを示す権威の象徴ともなりました。

当時の中国、特に北方地域では、熱帯果実であるマンゴーは福建省や広東省の一部を除いてほとんど栽培されておらず、多くの人々にとって馴染みのない果物でした。こうした希少性も手伝って、マンゴーは中国神話に登場する不老不死の果実「仙桃」に重ね合わせられ、神秘的な存在として崇敬されるようになります。

崇拝の実態と広がり

マンゴーは単なる果物としてではなく、神聖な遺物のように扱われました。長期保存のため、ホルマリンによる防腐処理や蝋封が施され、国内の大学や工場などに展示されました。展示場所には「忠字台」と呼ばれる祭壇のようなものが設けられ、人々は一列に並び、マンゴーに対して恭しく一礼して通り過ぎるという儀式が行われたと記録されています。

北京のメリヤス工場に送られたある蝋封されたマンゴーは、殺菌処理が不十分だったため腐敗し始めました。革命委員会は、このマンゴーの蝋と皮を剥がし、大鍋で煮詰め、その煮汁を少量ずつ労働者に配って飲ませたといいます。これは、指導者の「恩恵」を文字通り分け合うという行為でした。毛沢東の主治医であった李志綏は、後に自身の回顧録の中で、このマンゴー崇拝の話を聞いて大笑いしたと記しています。

マンゴーは、毛沢東からの贈り物というだけでなく、あたかも毛沢東そのものであるかのように扱われることさえありました。例えば、1968年 8月10日付の『人民日報』には、「金色のマンゴー」と題された記事が掲載され、マンゴーへの崇拝を煽りました。

さらに、中央政府や各工場では、蝋やプラスチックで作られたマンゴーの精巧な模造品が大量に製造・配布されました。全国各地の省や市では、この贈り物を受け取る祝賀行事が催され、町中で人々がマンゴーの模造品を手に意気揚々と行進する光景が見られました。

マンゴーの図像は、ポスターや陶磁器、織物といった美術品だけでなく、日用品にも広く用いられるようになりました。マンゴー柄の琺瑯カップ、トレイ、筆箱、布団カバー、化粧台、さらにはマンゴーの香りの石鹸やマンゴー味のタバコまで登場し、多くの場合、毛沢東の肖像や愛国的なスローガンが併記されました。毛沢東バッジのデザインにもマンゴーが採用され、「穎穎芒果恩情深」（輝かしいマンゴーの恩情は深い）といったスローガンが刻まれました。1968年 10月1日の国慶節パレードでは、天安門広場にマンゴーの入った籠を模した山車が登場し、この崇拝の熱狂を象徴しました。

強制と終焉

マンゴー崇拝は単なる熱狂に留まらず、強制力も伴いました。マンゴーに敬意を示さない者は「反革命分子」と見なされ、厳しい処罰が科される事例もありました。四川省の歯科医、韓光第は、マンゴーを「サツマイモのような見てくれで、見る価値はない」と発言したとして逮捕・投獄され、1969年頃に「現行反革命罪」で死刑を宣告されました。彼は市中引き回しの上、銃殺刑に処されたと伝えられています。

しかし、このような異様な熱狂は約1年ほどで下火となり、蝋製のマンゴー模造品が停電時の蝋燭の代用品として使われるまでになりました。

1974年、フィリピンのイメルダ・マルコス大統領夫人が訪中した際、再びマンゴーが贈答品として持ち込まれました。毛沢東の妻であった江青は、この機会にマンゴー崇拝の再燃を図り、再び労働者へマンゴーを配布しました。江青はさらに、マンゴー崇拝を讃えるプロパガンダ映画『マンゴーの歌』の制作を指示しましたが、映画が完成する前に毛沢東が世を去り、文化大革命は指導者を失います。毛沢東の死後、江青は間もなく逮捕され、映画の公開も打ち切られました。これは、マンゴー崇拝が完全に終焉を迎えたことを象徴する出来事となりました。

現代の中国では、マンゴーは文化大革命期の特殊な歴史とは切り離され、ごく一般的な果物として広く親しまれています。

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