リュート奏者 (カラヴァッジョ、エルミタージュ美術館)

カラヴァッジョ『リュート奏者』：音楽と愛、儚さの交錯

カラヴァッジョの『リュート奏者』は、16世紀末に制作された油彩作品で、バロック美術の先駆的な作品として知られています。エルミタージュ美術館に所蔵されているこの絵画は、カラヴァッジョの初期の傑作として評価されており、音楽を奏でる人物を中心に、花や果物といった静物が緻密に描かれています。本作は、愛の情熱と儚さ、そして官能的な雰囲気を漂わせる作品として、多くの人々を魅了してきました。

作品の背景

カラヴァッジョがローマにやってきた当初、この作品は、美術市場を意識して描かれた可能性や、有力なパトロンであるデル・モンテ枢機卿への「名刺代わり」であった可能性が指摘されています。初期のカラヴァッジョは、デル・モンテ枢機卿の庇護を受ける前に、プロスペロ・オルシの家で制作活動を行い、この『リュート奏者』もその時期に描かれた可能性があります。

この作品は、後に美術収集家ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニの手に渡り、そのコレクションは19世紀初めに売却されました。そして、ルーヴル美術館の館長であったヴィヴァン・ドゥノンによってロシア皇帝アレクサンドル1世に購入され、現在はエルミタージュ美術館に所蔵されています。

複数存在する複製

エルミタージュ美術館の作品以外にも、『リュート奏者』には複数の複製が存在します。その中でも有名なのが、ウィルデンシュタイン・コレクションに所蔵されているものです。この複製は、カラヴァッジョ自身が監修したとも言われていますが、X線調査の結果、使い古しのキャンバスが再利用されていることが判明しています。当初は果物や花が描かれていましたが、後にスピネットに変更され、鳥籠が加えられるなど、エルミタージュ美術館の作品とは異なる点がいくつか見られます。

バドミントン・ハウスに所蔵されている複製は、長らくカラヴァッジョ周辺の画家の作品とされていましたが、近年、美術商によってカラヴァッジョ自身の手による可能性があると提唱されています。これらの複製は、作品の解釈や真贋を巡って、美術史家たちの間で様々な議論を引き起こしています。

主題と象徴

『リュート奏者』には、愛と音楽、そして儚さをテーマとした象徴的な要素が数多く含まれています。リュートやリコーダーは、愛を象徴する楽器として、16世紀の絵画によく登場します。また、ガラスの花瓶に入った花々や果物も、愛の象徴として描かれています。さらに、珍しいキュウリが描かれているのは、エロティックな連想を意図したものであると考えられています。

テーブルに置かれた楽譜には、マドリガルという当時流行していた歌曲の歌詞が記されています。それらの歌詞は、愛と死、そして儚さを歌ったものであり、作品全体のテーマを暗示しています。具体的には、ジャック・アルカデルトの『四声マドリガル集』にある歌詞が引用されており、愛の甘美さと同時に、死の影が忍び寄るというメッセージが込められています。

ウィルデンシュタイン・コレクションの複製では、異なるマドリガルの歌詞が描かれており、愛する人への嘆きが表現されています。これらの歌詞の違いは、作品の解釈に多様性をもたらしています。

絵画の特徴

カラヴァッジョの『リュート奏者』は、ヴェネツィア派の絵画とは異なり、人物は普段着のようなブラウスを着用しており、背景も牧歌的ではありません。これは、カラヴァッジョがロンバルディアの自然主義の伝統に基づき、より現実的な描写を追求した結果であると言えます。

描かれている人物は、カラヴァッジョ初期作品のモデルともなったマリオ・ミンニーティであるという説もありましたが、現在では否定的な見方が有力です。人物の性別についても様々な議論があり、過去には「若者」や「女性」と表現されたり、最近ではカストラート（去勢された男性歌手）であるという説も提唱されています。カラヴァッジョの初期作品には、両性具有的な人物がしばしば登場しており、彼の同性愛的な傾向が反映されている可能性も指摘されています。

静物描写の魅力

本作の大きな魅力の一つは、静物描写の緻密さです。リュート、ヴァイオリン、楽譜、花、果物などは、それだけでも一枚の静物画として成立するほどの完成度を誇ります。特に、リュートやヴァイオリンの描写は、前面短縮法を駆使して巧みに描かれており、カラヴァッジョの卓越した技術力を示しています。また、光と影のコントラストを強調するキアロスクーロの技法は、この作品からさらに発展し、カラヴァッジョ様式としてヨーロッパ中に広まりました。

この作品は、音楽を通じた求愛を主題としているだけでなく、当時の人気テーマであった五感の表現としても解釈できます。花は「視覚」、香りは「嗅覚」、果実は「味覚」、リュートは「触覚」、そして楽音は「聴覚」を表し、人間の感覚的な喜びを表現しています。また、花や果物、音楽といった儚いものを描くことで、現世の美しさが一瞬で消えゆく「ヴァニタス」の概念も表現していると考えられます。

『リュート奏者』は、カラヴァッジョの初期の傑作であり、彼の芸術的な才能を余すところなく示す作品です。音楽と愛、そして儚さという普遍的なテーマを扱いながら、当時の社会や文化を映し出すこの絵画は、今日においても多くの人々を魅了し続けています。

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