ワンダフルライフ (書籍)

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語

『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』は、進化生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドによって著され、1989年に出版された古生物学に関する影響力のある書籍です。本書は、カナダで発見された古生代カンブリア紀（約5億年前）のバージェス頁岩化石群に焦点を当てています。特に、現在の地球上に子孫を残していないユニークな形態を持つ生物たち（著者は「奇妙奇天烈動物」と表現）を紹介しつつ、古生物学の知見から生物進化の歴史、特にカンブリア爆発と呼ばれる生命の多様化現象を一般向けに解説しました。早川書房から日本語版が刊行され、ベストセラーとなりました。しかし、本書の執筆以降もバージェス動物群やカンブリア紀の生物に関する研究は大きく進展しており、現在では内容の一部に修正や補足が必要とされています。

本書の主な内容

本書は、大きく分けて二つの主要なテーマで構成されています。

一つは、バージェス動物群の発見とその後の再評価の歴史をたどる物語です。この化石群は、20世紀初頭にチャールズ・ウォルコットによって発見されましたが、彼は当時の既存の動物分類枠に当てはめて解釈しました。その後、あまり注目されない時期を経て、ハリー・ウィッチントンらによる本格的な再研究が始まりました。彼らの詳細な研究により、ウォルコットの見方とは異なり、これまでの動物分類に収まらない驚くほど多様でユニークな形態を持つ生物たちが次々と明らかになりました。特に、初期には断片として誤解されていた生物アノマロカリスが、カンブリア紀最大の捕食者として正しく復元されるに至ったエピソードは、発見と再解釈の過程を示す象徴的な事例として紹介されています。本書では、これらの再評価研究の意義を理解するために必要な、節足動物の付属肢といった専門知識についても分かりやすく解説が加えられています。

もう一つは、生物進化の歴史に対するグールド独自の視点の提示です。グールドは、しばしば考えられていた「地質時代を遡るほど生物は単純で多様性が低い」という見解に異議を唱えました。彼は、カンブリア紀のような生命の初期段階においても、現代の動物門につながる系統が出現した可能性に加え、現在では絶滅してしまった全く異なる体制を持つ多様な生物が共存していた可能性を指摘します。そして、現生生物には見られない多様なボディプランが存在したカンブリア紀こそが、動物の体制（形態）の多様性が最も高かった時代であったと主張します。グールドはさらに、これらの多くの系統が絶滅してしまったのは、彼らが環境に適応できなかった劣った生物だったからではなく、むしろ単なる偶然性（コンティンジェンシー）による結果である可能性が高いと論じました。彼は、もし地球の歴史が別の経過をたどっていたら、現在の生物とは全く異なる生命の世界が広がっていたかもしれないという考えを示しました。

評価と批判

本書は、カンブリア紀のバージェス動物群に関する画期的な再評価研究と、それに基づく大胆な進化論的主張によって、当時の科学界に大きな影響を与えました。グールドの魅力的な筆致は、古生物学、特にカンブリア爆発という生命史上の重要な出来事への関心を一般読者の間で飛躍的に高めました。恐竜以外の古生物を扱った書籍としては異例のベストセラーとなり、「カンブリアの大爆発」「バージェス頁岩」「アノマロカリス」といった言葉を世間に浸透させました。また、この分野の研究への助成金申請が通りやすくなるなど、その後の研究促進にも貢献した記念碑的な作品と評価されています。

しかし、本書の刊行後、特に中国の澄江動物群などの新たな化石発見によって、カンブリア紀の生物相に関する知見は格段に深まりました。その結果、『ワンダフル・ライフ』で述べられている内容には、最新の研究成果と異なる部分が生じてきました。例えば、本書でも取り上げられたハルキゲニアのような奇妙な生物の復元図は、その後の研究で大きく修正されています。

さらに、本書の中心的な主張である「カンブリア初期が動物の形態的多様性のピークであり、その後は失われた」という見解には、出版当時から批判や疑問の声がありました。グールドが「奇妙奇天烈動物」と呼んだ生物たちが、それぞれ独立した新しい門に値するほど独自の体制を持つかについては、議論が続きました。最新の研究では、かつて独立した門と考えられていた多くの生物が、既存の動物門、あるいはそれに近縁なグループに分類できることが示されており、グールドの「多様性ピーク論」は、少なくとも本書が提示した形では受け入れられていません。

興味深いのは、グールドのこの主張が、当時バージェス動物群の再評価研究者の一人であったサイモン・コンウェイ・モリスの初期の意見に強く影響を受けていたことです。しかし、『ワンダフル・ライフ』の約10年後、モリス自身が著書『カンブリアの怪物たち』の中で、グールドが本書で展開した見解（それはかつてのモリス自身の見解でもあった）を厳しく批判し、自身の主張を180度転換しました。この二人の著名な学者間の論争は、科学におけるアイデアの発展と変化を示す事例としてしばしば引き合いに出されます。

『ワンダフル・ライフ』は、カンブリア爆発という生命史上のドラマを鮮やかに描き出し、多くの読者に科学の面白さを伝えた傑作です。その普及と影響力は計り知れません。しかし同時に、科学研究は絶えず進歩し、新たな発見によって過去の定説が塗り替えられていくプロセスを示す証でもあります。本書を読む際には、その歴史的意義を理解しつつ、最新の研究成果との比較を通して、カンブリア紀の生命の真の姿について考えることが推奨されます。

もう一度検索