ヴァリチェッラの聖母

『ヴァリチェッラの聖母』

『ヴァリチェッラの聖母』、正式には『天使たちの崇敬を受けるヴァリチェッラの聖母子像』は、バロック期のフランドルの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスが1608年に制作した油彩画です。この作品は、ルーベンスの初期イタリア時代を代表する大作であり、ローマのサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会（通称キエザ・ヌォーヴァ）の主祭壇画として制作されました。現在も同教会に所蔵されており、その壮麗な美しさで人々を魅了しています。

この作品の準備素描はモスクワのプーシキン美術館に、モデロ（発注者確認用の習作）はウィーン美術アカデミー絵画館に所蔵されています。

主題の背景

サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会は、もともと中世に建てられた教会でした。1575年、教皇グレゴリウス13世によってオラトリオ会に寄進されましたが、会士全員を収容するには狭すぎたため、取り壊して新たにキエザ・ヌォーヴァが建設されました。その際、隣接する家屋から中世のフレスコ画が取り外されました。このフレスコ画は、天使に囲まれた聖母マリアと祝福する幼児イエス・キリストを描いた聖母子像で、奇跡を起こすと信じられていました。特に、信仰心のない者が聖母子像に石を投げつけた際、聖母が涙を流したという伝説が残っています。

制作の経緯

キエザ・ヌォーヴァが完成すると、オラトリオ会は奇跡の聖母子像を信仰の対象として側廊礼拝堂の祭壇に設置し、教会堂の内装を整えるために後援者を求めました。1596年には、ミラノの枢機卿フェデリコ・ボッロメオの支援により、主祭壇の設置と内陣の装飾が可能になりました。当初、主祭壇画はウルビーノ出身の画家フェデリコ・バロッチに「マリアの誕生」をテーマとして依頼される予定でしたが、教会堂建設の最大の支援者であった枢機卿アンジェロ・チェージが1606年に亡くなったことで、計画は白紙に戻されました。

さらに同年8月2日、オラトリオ会は奇跡の聖母子像を側廊礼拝堂から主祭壇に移すことを決定しました。この結果、新たな後援者としてジェノヴァ出身のジャコモ・セッラが名乗りを上げ、祭壇画の発注資金を提供する代わりに、自身の選んだ画家、当時マントヴァ公の宮廷画家であったルーベンスに依頼することを条件としました。セッラは、ニッコロ・パラヴィチーニの紹介でルーベンスと知り合いました。

オラトリオ会にとって、異国出身で面識のないルーベンスは必ずしも望ましい人選ではありませんでした。しかし彼らはセッラの申し出を受け入れざるを得ず、ルーベンスにいくつかの厳しい条件を課しました。まず、ルーベンスは自身の画力を具体的な見本で示す必要があり、制作費の一部を負担する必要がありました。また、主題は発注者の指示に全面的に従うこと、指示があれば素描で記録すること、完成した祭壇画が気に入らなければ、発注者はそれを突き返すことができるという条件も受け入れなければなりませんでした。

それでも、この依頼はルーベンスにとって非常に名誉なものでした。彼は、マントヴァ公の秘書官に宛てた手紙の中で、「現在、ローマで最高の、最も名誉ある注文を目の前にし、この機会を逃すことはできない」と述べています。そして、「サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会の主祭壇画は、ローマで最も有名で参拝者が多い教会であり、何人ものイタリアの巨匠たちが装飾に力を注いできた」と付け加えました。

祭壇画の主題と制作

祭壇画の主題は、教会の守護聖人である聖グレゴリウスと、主祭壇の下に聖遺物が安置されている初期キリスト教の殉教者たちが一堂に会する場面と定められました。また、これらの聖人たちのグループの上に奇跡の聖母子像を描くことが求められました。1606年9月に契約が結ばれると、ルーベンスは油彩スケッチとモデロを提出し、高さ477センチ、横幅288センチの大祭壇画『聖母子の画像を崇める聖グレゴリウスと諸聖人』の制作を開始、翌1607年に完成させました。

しかし、オラトリオ会は、ルーベンスが指示に従って制作したにもかかわらず、この祭壇画に不満を示しました。ルーベンスによれば、西正面の窓から差し込む光の反射が激しく、祭壇画が見づらいとのことでしたが、その窓は祭壇から30メートルも離れていました。

おそらく、オラトリオ会は聖母子像の配置に不満があったと考えられています。ルーベンスは、祭壇画を引き取るとともに、代替となる新たな祭壇画の制作を申し出ました。オラトリオ会の不満を解消するために、光を吸収する効果のあるスレート板を支持体として使用し、構図を全面的に変更して、第2作目を制作することになりました。

作品の特徴

ルーベンスは、第1作目から構図を大幅に変更し、第2作目（本作品）を制作しました。第1作目では、聖グレゴリウスの幻視という形式で聖会話が描かれ、聖グレゴリウスが聖マウルス、聖パピアヌス、聖ドミティラ、聖アキレウス、聖ネレウスの諸聖人に囲まれ、頭上には天使に囲まれた奇跡の聖母子像が描かれていました。

第2作目では、ルーベンスは当初の構図を3つに分割し、それぞれを3枚のスレート板に描き分けました。主祭壇画には天使たちと共に顕現する奇跡の聖母子像が描かれ、残る2枚にはそれぞれ、聖グレゴリウス、聖マウルス、聖パピアヌスと、聖ドミティラ、聖アキレウス、聖ネレウスが描かれました。これら2枚の絵画は主祭壇を囲む左右の壁面を飾るために使用されました。

ルーベンスは、天使たちから崇敬を受ける聖母子像を画面上部に、プットーたちが奇跡のフレスコ画を天上に運ぶ様子を、そして画面下部には多くの天使たちが聖母子像を敬虔に見つめる様子を描いています。

さらに、ルーベンスは祭壇画の聖母子像の部分を切り抜き、窓を作りました。そして、銅板に奇跡の聖母子像を描いて窓を裏側から覆い、銅板を開閉できるようにすることで、教会の祝日などの特別な日にフレスコ画を公開できるようにしました。

来歴

ルーベンスは、第2作目をわずか5ヶ月で制作しました。除幕式は1608年10月25日に行われましたが、ルーベンスは出席しませんでした。彼は、第1作目の『聖母子像を崇める聖グレゴリウスと諸聖人』をマントヴァ公ヴィンチェンツォ1世に購入を勧めましたが、断られました。

ルーベンスは、今回の仕事の難しさとマントヴァ公の無関心さに不満を抱きながら帰国し、『聖母子像を崇める聖グレゴリウスと諸聖人』を、自身の母マリア・ペイペリンクスの墓があるアントウェルペンの聖ミカエル修道院に寄進しました。

モデロは、オーストリアの外交官であり美術収集家であったアントン・フランツ・デ・パウラ・ランベルク＝シュプリンツェンシュタイン伯爵のコレクションに由来します。伯爵が1822年に死去すると、この作品を含む740点に及ぶ絵画コレクションは美術アカデミーに遺贈されました。

ギャラリー

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脚注

参考文献

『西洋絵画作品名辞典』黒江光彦監修、三省堂（1994年）
『ウィーン美術大学絵画館所蔵 ルーベンスとその時代展』毎日新聞社（2000年）

関連項目

キリストの割礼 (ルーベンス))

外部リンク

ウィーン美術アカデミー公式サイト, ピーテル・パウル・ルーベンス『天使たちの崇敬を受けるヴァリチェッラの聖母子像』

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