ヴィーナスとキューピッドとリュート奏者 (フィッツウィリアム美術館)

ティツィアーノ『ヴィーナスとキューピッドとリュート奏者』

『ヴィーナスとキューピッドとリュート奏者』は、イタリア盛期ルネサンスの巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1555年から1565年頃に制作した油彩画です。この作品は、愛の女神ヴィーナスがリュート奏者とともに描かれている点が特徴で、同時代の『ヴィーナスとオルガン奏者』シリーズとは異なる構成を見せています。現在はケンブリッジのフィッツウィリアム美術館に所蔵されています。

作品の来歴

この絵画は、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が所有していたことが記録に残っています。1621年のプラハ皇室コレクションの目録にも記載されており、その後、スウェーデン軍によって略奪され、クリスティーナ女王を経て、オルレアン・コレクションへと渡りました。フランス革命後には競売にかけられ、1798年または1799年にリチャード・フィッツウィリアム卿によって購入され、彼の遺贈コレクションの一部としてフィッツウィリアム美術館に収蔵されることとなりました。

作品の構成と意味

この作品は、ルネサンス期の求愛の儀式を絵画化したものです。当時の宮廷では、美を称えるために詩や音楽が用いられました。本作では、16世紀の衣装を身にまとった宮廷音楽家が、ヴィーナスにセレナーデを奏でています。彼の視線はヴィーナスに向けられ、物語は画面左から右へと展開します。ヴィーナスはキューピッドから冠を授けられながら、遠くを見つめています。

ティツィアーノは、新プラトン主義の概念を取り入れ、地上的な愛から天上的な愛への段階的な昇華を表現しています。マルシリオ・フィチーノは「美には3種類あり、魂の美、肉体の美、音声の美である」と述べました。本作は、視覚（肉体の美）、聴覚（音声の美）に訴えかけるだけでなく、より低次元の触覚にも訴えかける感覚体験を提供します。しかし、これは単なる抽象的な学説の図解ではありません。人間の営みが描かれ、音楽がその表現手段として効果的に用いられています。

画面には、楽譜が開かれ、廷臣がリュートに合わせてマドリガルを歌い、ヴィーナスはリコーダーを手にしています。音楽は過去、現在、未来を表現し、時間の流れを可視化する役割を果たしています。ティツィアーノの友人であるピエトロ・アレティーノは、「音楽、歌、詩の知識は女性の貞淑の門を開く鍵である」と述べています。本作における音楽は、愛と美の調和を象徴するものとして描かれていると言えるでしょう。

鑑賞者への語りかけ

この絵画は、音楽家とヴィーナスの関係を描くにとどまらず、鑑賞者にも直接語りかけます。ヴィーナスの裸体は鑑賞者の楽しみのために正面を向いています。画面右下にはヴィオラ・ダ・ガンバが置かれており、絵画の枠を超えて演奏者を待ち、鑑賞者をコンサートへと誘います。これにより、鑑賞者は絵画の美を十分に享受することができるのです。

まとめ

ティツィアーノの『ヴィーナスとキューピッドとリュート奏者』は、ルネサンス期の文化、思想、そして音楽への深い理解に基づいて描かれた傑作です。愛の女神を音楽とともに描くことで、人間の感情や感覚に訴えかけ、鑑賞者を美の世界へと誘います。この絵画は、単なる歴史的な絵画ではなく、今もなお私たちに感動と美の喜びを与えてくれる、普遍的な価値を持つ作品と言えるでしょう。

参考文献

デーヴィッド・ローザンド 久保尋二訳『世界の巨匠シリーズ ティツィアーノ』、美術出版社、1978年刊行 ISBN 4-568-16046-4

外部リンク

フィッツウィリアム美術館公式サイト、ティツィアーノ『ヴィーナスとキューピッドとリュート奏者』 (英語)

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