上總ノ海路

葛飾北斎『富嶽三十六景』「上總ノ海路」：千葉の海から望む富士と船の物語

葛飾北斎の代表作として名高い『富嶽三十六景』。その中の一枚、「上總ノ海路」は、天保2年から5年頃（1831年から1834年頃）に刊行された大判錦絵です。落款には「前北斎為一筆」とあり、版元は永寿堂西村屋与八です。本作品は、現在の千葉県中央部、東京湾沿岸から富士山を望む風景を描写しています。

千葉の海と富士山：富津岬からの眺望

絵画の題名「上總」は、現在の千葉県中央部を指します。東京湾側においては、北から千葉市、市原市、袖ケ浦市、木更津市、君津市、富津市に相当します。画面では、遠景の水平線上に富士山が描かれ、上総地方から富士山を眺める構図となっています。

富士山麓に伸びる陸地は、富津岬であると考えられています。そのため、本図は富津市の金谷浦や湊浦付近、浦賀水道の沖合から見た風景ではないかと推測されています。

近接拡大法と船の描写：五大力船と求心力

本作品は、「近接拡大法」という技法を用いています。これは、近景の対象物を大きく描き、遠景を小さく描くことで、奥行きと迫力を表現する手法です。この技法は、歌川広重の『名所江戸百景』や明治期の洋画家高橋由一にも受け継がれています。

「上總ノ海路」では、五大力船（または弁財船）が近景に大きく描かれています。よく見ると、2艘の船が描かれていることが分かります。近接拡大法のため、後ろの船は小さく見えますが、帆の張り方や船首の向きは前の船と同じです。この2艘の船を同調させることで、絵全体の求心力を高めていると推測できます。

富嶽と帆：河村岷雪『百富士』からの影響

前面の帆と、帆柱の先端と船首を繋ぐ「筈緒（はずお）」の間から富士山を覗かせる構図は、河村岷雪の『百富士』からの影響が考えられます。水平線はわずかに弧を描いており、左側の海には10枚ほどの帆が確認できます。遠景に船を配する手法も、岷雪の『百富士』「常州牛堀」に見られ、北斎への影響が示唆されます。

色彩：ベロ藍とグラデーション

海面と空には「ベロ藍」と呼ばれる藍色が用いられています。海面は、遠くなるにつれて徐々に色が薄くなり、水平線で再び濃くなっています。空も同様で、地表に近い部分は濃く、上に行くほど薄くなり、最上部で再び濃く摺られています。地との境は「雑巾がけ」という技法でぼかされています。

まとめ：北斎の技法と時代背景

「上總ノ海路」は、北斎が得意とした近接拡大法や、他の画家の作品からの影響、そして高度な色彩表現を見事に融合させた作品です。富士山、船、海、空のそれぞれの描写の巧みさ、そしてそれらが調和して生み出される全体の美しさは、北斎の卓越した画力と、時代背景を反映した作品となっています。この作品から、北斎が風景描写において様々な技法を試み、独自の表現を追求していたことが読み取れます。また、当時の人々の生活や文化、そして自然への深い理解も感じ取ることができます。 『富嶽三十六景』の中でも特に人気の高い作品の一つであり、その魅力は、時代を超えて人々を魅了し続けています。

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