下梨谷

下梨谷（しもなしたに）

越中国砺波郡五箇山（現在の富山県南砺市）において、主に中世から近世にかけて用いられた地域区分の名称です。富山方言、特に五箇山地方の方言では「谷（たに）」の末尾が撥音化するため、地元では「しもなしたん」と呼ばれています。五箇山という地名は、この下梨谷に加えて、赤尾谷（あかおだに）、上梨谷（かみなしだに）、小谷（おだに）、利賀谷（とがだに）という「五つの谷」から構成されることに由来すると考えられています。

地理的には、現在の南砺市のうち、遠洞渓谷（とおどけいこく）から小谷川が庄川に合流する地点までの庄川流域と、梨谷川流域の集落群が下梨谷に含まれます。この地域は、かつての平村の中心部であり、広義には五箇山全体のほぼ中央に位置します。

歴史

中世

五箇山地方の集落は、平家や南朝の落人たちが移り住んだことによって形成されたと推測されています。南北朝時代には、この地域の存在を示す文字資料が見られるようになります。下梨谷に関する古くからの伝承として、南朝の落人が梨谷集落に隠れ住んだという話があります。地元の言い伝えでは、新田義貞が戦死した後、彼の一族や家臣団の一部が五箇山へ逃れ、その中で藤島と宇治という二人の刀鍛冶が梨谷集落の山崎家にかくまわれたとされています。二人が梨谷を去った後も、山崎家は彼らが残した火種を代々守り継ぎ、「不滅の火」として大切にしたと伝えられています。

室町時代前半頃には、砺波郡の平野部に勢力を持っていた井口氏を通じて、「なしとか」、すなわち梨谷と利賀谷の地域から年貢が徴収された記録が残されており、この頃の五箇山地域が武家領主の支配下にある荘園制の末端に組み込まれていたことがうかがえます。「梨（谷）」という集落名は、この時の記録が初見とされています。この地名は、「均し谷（ならしだに）」、すなわち谷地をならして集落が形成されたことに由来すると考えられています。庄川渓谷の河岸段丘をならしてできた集落のうち、庄川の上流側が上梨谷、下流側が下梨谷と呼ばれるようになったと推測されます。

しかし、室町時代後半になると、浄土真宗の信仰が急速に広まりました。戦国時代には、五箇山は武家領主の直接的な支配が及ばない、加賀一向一揆の勢力下にある地域となりました。歴史家である奥田直文氏は、「五箇山」という名称が、一向一揆による支配が確立した時期とほぼ同時に現れることに着目し、それまでの荘園に規定された地域単位とは異なる原理に基づく、新しい地域統合の単位であった可能性を指摘しています。

天文21年（1552年）10月27日付の「五箇山十日講起請文（ごかやまとおかんぎしょうもん）」という古文書には、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の五つの谷ごとに有力者の署名が見られます。この文書から、戦国時代の五箇山では既に中世的な領主が存在せず、村による自治が機能していたこと、そして旧国衙領の単位である「保（ほう）」ではなく、この「五つの谷」を単位とした村落連合が形成されていたことが確認できます。下梨谷に関しては、この起請文の中に、見座（けんざ）、小来数（おぐるす）、松尾（まつお）、中畠（なかばた）、来数（くるす）、梨谷（なしだに）、相倉（あいのくら）、篭渡（こもど）、嶋（おおじま）といった、現在に繋がる集落名が既に記録されています。

近世

戦国時代末期、五箇山は佐々成政（さっさなりまさ）によって制圧された後、前田家が治める加賀藩の領地となりました。加賀藩は当初、下梨村の市助（いちすけ）という人物を代官として五箇山を支配する体制を敷きました。その下に、中世の「五つの谷」の区分を受け継いだ「与頭（くみがしら）」または「与合頭（くみあいがしら）」と呼ばれる各地域の代表者が置かれました。例えば、元和5年（1619年）や寛永7年（1630年）の史料には、利賀組、小谷組、下梨谷組、上梨谷組、赤尾谷組の五つの組が記録されています。寛永元年（1661年）の文書には、代官の市助と、皆葎村（かいむくらむら）の太郎左衛門（上梨谷）、新屋村（あらやむら）の太郎右衛門（赤尾谷）、見座村の市右衛門（下梨谷）、入谷村（にゅうだにむら）の甚助（小谷）、細島村（ほそしまむら）の源太郎（利賀谷）といった、五つの谷の与合頭が連名で署名しています。

下梨谷組の内部については、寛永11年（1634年）の記録によれば、「平北組」「平南組」など複数の組に分かれていたことが確認されており、この時点ではまだ村組織の構成が完全に定まっていなかった様子がうかがえます。

しかし、代官と与頭による支配体制は比較的早期に改められました。その後五箇山では、東西二つの十村組（とむらぐみ）に分けられて支配される体制が確立します。後に「利賀谷組」と「赤尾谷組」という名称で固定されるこの二つの組のうち、西側の「赤尾谷組」にはかつての赤尾谷、上梨谷、下梨谷に含まれる集落が、東側の「利賀谷組」には小谷と利賀谷に含まれる集落がそれぞれ属することになりました。これ以後、「五つの谷」ごとの区分は、地域住民の活動の中には残されたものの、加賀藩の公式な行政機構における地位を失い、公的な文書で言及されることは少なくなりました。この一連の支配体制の変化は、かつて「五つの谷」ごとに強い自治性を持っていた五箇山が、加賀藩による統制強化の中で、より近世的な村落へと移行していく過程を示すものでした。

近現代

明治維新を経て町村制が施行されると、それまでの「五つの谷」や、近世の「五箇山両組」とは異なる新たな行政区分が設けられました。その結果、五箇山地方には上平村（かみたいらむら）、平村（たいらむら）、利賀村（とがむら）という「五箇三村」が成立しました。この三村の区割りは、江戸時代の城端（じょうはな）方面と井波（いなみ）方面という商圏上の区分を基礎としてまず二つの地域に分けられ、その後、前者がさらに二分割されて上平村と平村に、後者が利賀村として形成された経緯があります。

このようにして成立した平村には、小谷の南半、下梨谷、そして上梨谷の東半にあたる集落が属することとなりました。しかし、平村に統合されたこれらの三つの地域には、それぞれ方言や文化に違いがあることが認識されていました。特に方言については、五箇山出身の歴史家である高桑敬親（たかくわ けいしん）が、上梨谷から上平方面の方言を「粗にして急」と、小谷から利賀方面の方言を「粘にして麗」と評した上で、下梨谷の方言はこれら両者の中間的な特徴を持っていると指摘しています。

現在、下梨谷に含まれる集落は、行政区分としてはすべて富山県南砺市の一部となっています。

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