上梨谷

上梨谷（かみなしたに）

上梨谷は、中世から近世にかけて越中国礪波郡に存在した五箇山（現在の富山県南砺市）を構成する地域区分の一つです。地元では五箇山方言の影響から、「谷」が撥音化して「かみなしたん」と発音されることもあります。五箇山の名称は、赤尾谷、下梨谷、小谷、利賀谷、そして上梨谷という「五つの谷」から成り立っていることに由来すると考えられています。

地理的には、北から流れてきた庄川が菅沼集落付近で東へと向きを変える地点から、さらに上流の遠洞渓谷にかけての庄川沿いに位置する集落群を指します。現代の行政区分で言えば、かつての平村の西部と上平村の東部を合わせた地域に相当します。

歴史的概観

五箇山地域には、古くから平家や南朝の落人が逃れて集落を形成したと伝わります。南北朝時代には、この地域に関する文字資料が現れ始めます。上梨谷にある上梨白山宮は、奈良時代の高僧である泰澄大師の創建と伝えられる、五箇山で最も長い歴史を持つ神社です。境内の仏像後頭部には「応永二年（1395年）」という銘が刻まれており、室町時代からの存在が確認できます。郷土史家の高桑敬親は、この神社に祀られる神々が、五箇山に逃れた南朝の落人たちやその家臣団に関わる氏神であると推測し、彼らが上梨谷の郷土芸能である筑子唄を創始した可能性を論じています。実際に、上梨白山宮の祭礼で奉納される神楽舞は、田向、皆葎、葎谷、小原、細島といった「上梨谷」に含まれる限られた集落にのみ伝承されています。

室町時代の前半頃には、「なしとか」、すなわち梨谷と利賀谷を合わせた五箇山地域から、砺波郡平野部の井口氏を経由して税が徴収されていた記録があり、この頃は武士が支配する荘園体制の末端に組み込まれていたことが分かります。「梨（谷）」という集落名は、この記録が文献に初めて現れるもので、「均（なら）し谷」、つまり谷をならして形成された集落を意味する地名と解釈されています。庄川渓谷の河岸段丘を開発してできた集落のうち、上流側が上梨谷、下流側が下梨谷として区別されるようになりました。

しかし、室町時代後半に入ると浄土真宗の教えが急速に広まり、戦国時代には武家領主の支配が及ばない一向一揆の支配する地域へと変貌します。この時期に作成された上梨白山宮の棟札には「文亀二年（1502年）」、「越中国利波郡坂本保内上梨村」といった記載が見られ、これは五箇山内の具体的な地名（上梨）を記した最初の文字資料とされています。棟札に名を連ねる願主たちは、この地の有力者であり、かつ本願寺の門徒であったと考えられており、この頃には武家ではなく本願寺の門徒が地域共同体を管理していた様子がうかがえます。奥田直文氏は、「五箇山」という名称が一向一揆による支配の確立と同時期に出現することに注目し、旧来の荘園とは異なる原理に基づく、新しい地域統合の単位であった可能性を指摘しています。

永正9年（1512年）付けの本願寺実如下付の本尊には、「本覚寺門徒越中国利波郡上梨内小原村」という記述があり、この頃には既に「上梨谷」という地域単位が成立していたと考えられます。天文21年（1552年）に作成された五箇山十日講起請文には、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷という五つの谷ごとに有力者の署名があり、これにより、戦国時代の五箇山には中世的な領主が存在せず、村々の自治が達成されていたこと、そして旧国衙領である「保」単位ではなく、五つの谷ごとに村落連合を形成していたことが明らかになります。この文書には、小原、上なし（上梨）、田向、井谷（猪谷）、たかさハれ（高草嶺）、細嶋、かいもくら（皆葎）といった、現在の地名にも繋がる上梨谷内の集落名が既に見えています。

近世の変遷

戦国時代を通して一向一揆の支配下にあった五箇山ですが、天正13年（1585年）に佐々成政によって制圧された後、加賀藩前田家の統治下に入りました。加賀藩は当初、下梨村の市助を代官とし、その下に中世の「五つの谷」を起源とする「与頭（くみがしら）」あるいは「与合頭（くみあいがしら）」と呼ばれる代表者を置いて五箇山を支配する体制をとりました。元和5年（1619年）や寛永7年（1630年）の史料には、利賀、小谷、下梨谷、上梨谷、赤尾谷の五つの組が記録されており、寛永元年（1661年）の文書には、代官市助と皆葎村の太郎左衛門（上梨谷担当）を含む五名の与合頭が連名で署名している例が見られます。

しかし、この代官と与頭による体制は比較的早い段階で廃止され、五箇山は東西二つの十村組（後に利賀谷組、赤尾谷組として定着）に再編成されました。旧赤尾谷、上梨谷、下梨谷に含まれる集落が西半の「赤尾谷組」に、旧小谷、利賀谷に含まれる集落が東半の「利賀谷組」にそれぞれ属することとなりました。これ以後、「五つの谷」という区分は、住民の生活や活動の中には残されたものの、加賀藩の行政機構上ではその地位を失い、公的な文書で言及されることはほとんどなくなりました。このような支配体制の変化は、五箇山の強い自治性が、加賀藩が統制を強化する中で近世的な村落へと移行していく過程でもありました。

また、江戸時代の五箇山は流刑地としても知られていましたが、上梨谷では庄川右岸に位置する小原、猪谷、田向の三集落が流刑人の配流先として定められていました。「お小夜節」を後世に伝えたことで知られるお小夜も、小原に流された遊女でした。田向に残る流刑小屋は、現在も市の指定文化財として保存されています。

近現代と現在の地域性

明治維新を経て町村制が施行されると、かつての「五つの谷」や「五箇山両組」とは異なる新たな行政区分が生まれ、上平村、平村、利賀村の「五箇三村」が成立しました。これは、江戸時代の城端や井波との商圏上の繋がりを基にした「下梨村外四十三ヶ村」と「下原村外二十五ヶ村」という区分がまず設けられ、前者がさらに二分割されて上平村と平村となり、後者が利賀村を形成したものです。

こうして成立した平村には、小谷の南半分、下梨谷、そして上梨谷の東側が含まれることとなりました。これらの三地域の間には、それぞれ方言や文化の違いがあると認識されていました。五箇山出身の歴史家である高桑敬親は、上梨から上平方面の方言を「粗にして急」、小谷から利賀方面の方言を「粘にして麗」と評し、下梨谷の方言はその中間の特徴を持つと指摘しています。

一方、上梨谷の西側半分は、赤尾谷全域とともに上平村に属しました。上平村には赤尾谷全域と上梨谷の中西部が含まれますが、村内で最も人口が多く規模が大きいのは赤尾谷の西赤尾町集落であるにも関わらず、行政の中心である村役場（現在の市民センター）は上梨谷に属する細島集落に置かれるという特徴が見られます。

先に述べたように、上梨白山宮を中心とする上梨谷には、他の五箇山地域には見られない独自の伝統芸能として「筑子唄（こきりこ節）」や「神楽舞」が伝承されています。このため、現在の平地域では、旧下梨谷地域の集落で組織された越中五箇山麦屋節保存会や、旧小谷地域の集落による小谷麦屋節保存会とは別に、上梨においては越中五箇山筑子唄保存会という民謡団体が設立され、その伝承活動が行われています。

現在、上梨谷に含まれる主な集落には、上梨、田向、小原、猪谷、皆葎、細島、高草嶺、大崩、桂、入谷などがあります。これらのうち、上梨と田向集落は旧平村に属し、その他の集落は全て旧上平村に属していました。旧平村と旧上平村の境界は、上梨・田向集落と皆葎・猪谷集落の中間に位置する湯谷によって分けられていました。

もう一度検索