久松真一

久松真一（ひさまつ しんいち）

久松真一（1889年6月5日 - 1980年2月27日）は、近代日本を代表する哲学者であり、仏教学者としても知られています。旧姓は大野といい、抱石庵と号しました。

生涯と思想形成

1889年、現在の岐阜市にあたる稲葉郡長良村で生まれました。幼少期は浄土真宗の門徒である農家に育ち、僧侶を志す思いを抱いていました。しかし、青年期に科学的な知見に触れたことから、それまでの中世的な信仰観を見直し、理性に基づいた哲学へと関心を向けます。

第三高等学校を経て、1912年に京都帝国大学文科大学哲学科へ進学。ここでは、日本の哲学界を牽引した西田幾多郎の哲学、そして禅研究の第一人者である鈴木大拙の禅学から大きな影響を受けました。彼は東洋哲学、仏教、日本思想といった領域を深く探求する中で、「私自身という存在」が学問的な対象として客観視できない問題に直面し、深い内的な葛藤を抱えることになります。

この自己存在への問いを解決するため、1915年には西田幾多郎の勧めもあり、妙心寺の池上湘山老師のもとで参禅を開始しました。その直後に行われた臘八大接心（旧暦12月1日から8日朝にかけて、寝食を忘れてひたすら坐禅を行う厳しい修行）において、自己の根源である「無相の自己」に目覚めるという決定的な体験を得ました。この禅体験は、その後の久松哲学の形成に不可欠な基盤となりました。

教育者・研究者として

1919年には臨済宗大学（現在の花園大学）の教授に着任。1929年には龍谷大学の教授も兼任するようになります。教育活動と並行して研究も深め、1939年には主著となる『東洋的無』を刊行しました。これは、彼が禅体験を通して把握した「無」の思想を体系的に論じた重要な著作です。

京都帝国大学においても、学問と坐禅の実践を結びつける活動を展開しました。1941年には同大学で心茶会を設立。さらに太平洋戦争中の1944年には、学問的な探究と精神的な実践（修行）の一致（学行一如）を目指す場として、京都帝国大学内に学道道場「FAS協会」を設立し、その代表を務めました。

戦後と晩年

終戦後の1946年、母校である京都帝国大学の教授に就任しました。1947年には、自身の思想を集大成した論文『東洋的無の性格』を京都大学に提出し、文学博士の学位を取得しています。1953年に京都大学を定年退官した後も、京都市立美術大学の教授として教鞭を執り続けました。

1974年には故郷である岐阜市長良福光へ移り住みました。1980年2月27日に逝去しましたが、その直前には「私は死にません」という言葉を残したと伝えられています。

業績と著作

久松真一は、自己の禅体験に基づき、東洋、特に仏教における「無」の思想を近代哲学の文脈で深く探求しました。彼の哲学は、単なる観念論に留まらず、坐禅という実践を通して体得される「無相の自己」に根ざしており、学問と修行の統一を目指したFAS協会の活動はその理念を体現するものでした。近代日本の禅思想研究における第一人者として、後世に大きな影響を与えています。

主な著作としては、体系的な議論を展開した著作集や、仏教思想に関する講義録などがあります。

著作

• - 著作集

- 『久松真一著作集』(全8巻) 理想社
- 新版 法蔵館

• - 仏教講義

- 『久松真一仏教講義』(全4巻) 法藏館

また、西谷啓治や鈴木大拙、山口益、古田紹欽らとの共編著も複数刊行しています。

その他

久松真一の生家は、現在「抱石庵（久松真一記念館）」として岐阜市で公開されており、彼の生涯や思想に触れることができます。また、2002年には、茶人である父・八白庵椿翁との父子展が長良川画廊で開催されました。

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