五百らかん寺さゞゐどう

五百らかん寺さゞゐどう：葛飾北斎と江戸の絶景

葛飾北斎の代表作『冨嶽三十六景』は、富士山を様々な角度から描いた46枚の浮世絵から成るシリーズです。その中の1枚である「五百らかん寺さゞゐどう」は、江戸時代の庶民にも親しまれた名所から富士山を眺めた風景を描いた作品として知られています。

さざい堂と富士山

この絵が描かれた五百羅漢寺は、東京・亀戸に位置する黄檗宗の寺院です。境内にあるさざい堂（三匝堂）は、寛保元年（1741年）に建立された、螺旋状の三層構造を持つ独特な建物です。その形状は巻貝のサザエに似ていることから名付けられました。

さざい堂は、最上階から眺めることのできる素晴らしい眺望が評判で、江戸の町では有名な景勝地として親しまれていました。北斎の絵は、このさざい堂から富士山を眺めた風景を精密に描き出したものです。当時、さざい堂からの富士山の眺めは、他の多くの絵師の作品にも取り上げられており、人気の高いモチーフだったことが分かります。例えば、河村岷雪の『百富士』などにも描かれています。

北斎の技法と視覚効果

北斎は、単に風景を描くだけでなく、鑑賞者に富士山をより強く印象づけるための工夫を凝らしています。

まず、彼は、さざい堂から富士山までの空間にある余計な建造物などを意図的に排除することで、視線を富士山に集中させる効果を生み出しています。余計な要素を取り除くことで、富士山がより際立ち、絵全体の主題が明確になります。

さらに、さざい堂の屋根の軒先に吊るされた風鐸を絵の中央に配置することで、自然と鑑賞者の視線が富士山へと導かれるように構成されています。風鐸は、視覚的なアクセントとしてだけでなく、構図上の重要な役割を担っているのです。

また、北斎は、さざい堂の回廊の幅を屋根よりも広く描くことで、複数の観覧者がそこにいる様子を表現しています。そして、これらの観覧者の視線、板目、屋根の梁といった要素の消失点をすべて富士山に集めることで、透視図法を用いた奥行きと空間表現を実現しています。この技法により、富士山までの距離感が強調され、より壮大な景観が表現されているのです。

まとめ

「五百らかん寺さゞゐどう」は、単なる風景画ではなく、北斎の高度な技法と、視覚効果を駆使した傑作です。さざい堂という独特の建造物と、そこに広がる富士山との組み合わせ、そして北斎の巧みな構図によって、観る者の心を捉える、忘れがたい一枚となっています。この作品は、北斎が風景画において、単なる写実を超えた独自の表現を探求していたことを示す、重要な作品と言えるでしょう。北斎の絵画に対する情熱と、卓越した技術が融合した結果として生まれた、まさに圧巻の一枚なのです。

参考文献

安村敏信「北斎 冨嶽三十六景の旅 天才絵師が描いた風景を歩く」『太陽の地図帖』 5巻、平凡社、2010年。
日野原健司『富嶽三十六景』岩波書店、2019年。
磯崎康彦「北斎の風景・風俗版画」『福島大学人間発達文化学類論集』 34巻、福島大学人間発達文化学類、2021年。
『版画芸術』 203巻、阿部出版、2024年。

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