信玄堤

信玄堤：武田信玄の治水システム

信玄堤は、山梨県甲斐市竜王に位置する堤防であり、単なる堤防の名称に留まらず、聖牛や将棋頭といった治水構造物を含めた総合的な治水システムを指すことがあります。この治水システムは、急流河川型霞堤として解説されることもありますが、厳密には霞堤ではありません。戦国時代に甲斐の守護であり戦国大名であった武田信玄（晴信）によって築かれたと伝えられています。

史料上では「竜王川除場」と記されており、「信玄堤」という呼称は江戸時代後期から一般的に使われるようになりました。また、「信玄堤」と呼ばれる堤防は武田氏以降にも県内各地に存在しています。

釜無川・御勅使川と信玄堤の築造

甲斐国は内陸部の山間地域でありながら、甲府盆地という平野部を有しています。しかし、盆地底部は笛吹川と釜無川両河川の氾濫原であったため、古来より水害が頻発し、安定した定住が困難でした。信玄堤のある甲斐市竜王付近では縄文時代の定住痕跡が見られ、古墳時代には赤坂台古墳群が造営されました。平安時代後期には篠原荘が成立しました。

『延喜式』には、甲斐国が河内国・伊賀国と並び朝廷から「堤防料」が支出されていたと記されています。また、『甲陽軍鑑』には甲府盆地がかつて湖であったとする伝承が記されています。

釜無川は支流の御勅使川とともに盆地西部で水害をもたらし、信玄堤の築造以前は流路を頻繁に変え、甲府にも水害を及ぼしていました。

竜王信玄堤の築造と武田氏

甲斐国守護の武田氏は盆地東部を拠点としていましたが、武田信虎の時代に甲府に居館を移し、武田城下町を整備しました。信虎を追放した晴信（信玄）は信濃侵攻を本格化させますが、並行して川除工事も開始したとされています。川除工事の開始時期は不明ですが、夏御幸の開始時期から弘治年間には着工されていたと考えられています。

『国志』によれば、当初は植林などが行われましたが、御勅使川と釜無川の合流地点である竜王の高岩に堤防を築き、御勅使川の流路を北へ、釜無川の流路を南へ制御することが試みられました。信玄堤に関する最古の文書は、永禄3年（1560年）の武田信玄印判状です。この文書には「竜王の川除」に居住した際の棟別役免除が記されており、永禄3年以前には堤防の築造が行われていたと考えられています。

竜王河原宿の史料として、旧竜王河原宿石橋の銘文があります。この石橋は永禄4年（1561年）に架けられたもので、側溝を設けた際に出入口に利用されたと伝えられています。

堤防築造と御勅使川治水により洪水被害は緩和され、盆地西部や竜王では用水路が開削され新田開発が進み、安定した生産力が確保されました。

天正年間には、信玄堤の決壊に対応する普請として釜無川下流域の郷村に人夫を動員することが指示されています。この朱印状は今福昌常が奉者を務めたもので、武田勝頼の用いた獅子朱印が捺印されています。

近世初頭の信玄堤

天正10年（1582年）の織田・徳川連合軍による武田領侵攻により武田氏は滅亡し、甲斐は徳川家康が領することになります。徳川家康は豊臣政権に服従すると関東へ移封され、甲斐には浅野長政・幸長が入りました。

浅野氏時代の竜王信玄堤に関する文書として、文禄5年（1596年）の「浅野吉明書状」があります。この書状によれば、浅野氏家臣の浅野吉明は、国中地域の神職に対し府中八幡神社の普請に参加しない者は「竜王之堤」の普請に従事することを命じています。

近世にも竜王堤の普請は続けられ、江戸時代にかけて中巨摩郡昭和町や中央市方面へ部分的に延長されました。

竜王河原宿

竜王河原宿は、堤防の日常的な管理補修や水害発生時における堤防防備の労働力確保のために設置された宿です。永禄3年（1560年）の武田家印判状が初見史料ですが、この段階で棟別役免除の特権を条件に移住者の募集が募られており、1565年（永禄8年）までに整備が行われていたと考えられています。

移住者は主に近辺から集まっており、特に宿に近い八幡之郷や西山郷が多く、有力土豪の一族や配下が移住者となっていたと考えられています。当初の条件であった棟別役免除は徐々に縮小されています。

三社神社と御幸祭

日本では古来より堤防の安全を記念する川除祭礼が行われていますが、信玄堤では中世から現在に至るまで、竜王河原宿において御幸祭が実施されています。御幸祭は、甲斐国一宮・浅間神社、甲斐国二宮・美和神社、甲斐国三宮・玉諸神社の行列が三社神社まで渡御します。

御幸祭は古代の天長2年（825年）に開始されたとする伝承があります。戦国時代には武田晴信（信玄）が浅間神社・美和神社の神主に対し夏・冬の御幸祭と年始に甲府の躑躅ヶ崎館へ出仕することを命じています。

竜王河原宿には三社神社が鎮座しており、『甲斐国志』によれば弘治3年に勧請されたと伝えられています。

竜王四ヶ村堰

竜王四ヶ村堰は、登美台地の高岩下の隧道から取水し、4か村を灌漑する用水堰です。寛永年間に平岡和由が開削し、当初は富竹新田堰と呼ばれていましたが、後に4ヶ村堰と呼ばれるようになりました。

竜王信玄堤の絵図

竜王信玄堤や将棋頭などを描いた絵図類は江戸時代から存在します。「信玄堤絵図」は、1688年に作成された原図を写したもので、堤防や石積出、三社神社の存在が確認できます。

釜無川流域の堤防群

釜無川の両岸には、竜王信玄堤以外にも様々な堤防・治水施設・用水路などが存在します。

研究史

信玄堤は『甲斐国志』以来、武田信玄の代表的な治績と位置づけられてきました。近年では、御勅使川旧河道に関する考古学的調査が行われ、信玄の治績であるとする立場を維持しつつ、計画性により行われたものであると評価する意見が見られます。

山梨県立博物館では、信玄堤絵図や検地帳を分析することで堤防の形態的変遷や耕地の開発過程を検討しています。

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