全ビルマ学生民主戦線

全ビルマ学生民主戦線（ABSDF）

全ビルマ学生民主戦線（ABSDF）は、ミャンマーの反政府武装勢力です。1988年8月8日に始まった8888民主化運動が国軍によって鎮圧された後、多くの学生や市民が国境地帯へ逃れ、反政府活動を続けることを決意しました。ABSDFは、こうした背景の中、1988年11月5日に設立されました。中心となったのはビルマ族の亡命学生や高校生でしたが、退役軍人、教師、商人、医師など、様々な人々がその活動に参加しました。

結成とその目標

ABSDFの結成集会は、1988年11月5日、タイとミャンマーの国境地帯にあるカレン民族同盟（KNU）の拠点の一つ、コウムラで行われました。反政府武装勢力の代表者約50名が集結し、KNU、カレンニー民族進歩党（KNPP）、新モン州党（NMSP）といった少数民族武装勢力の支援を受けて、ビルマ族の亡命学生を中心としたABSDFが正式に結成されました。議長には、1970年代にヤンゴン大学の学生指導者として活動していたトゥンアウンジョー（当時36歳）が就任しました。

ABSDFは以下の4つの目標を掲げました。

1. 国民を抑圧から解放すること
2. ビルマに民主主義と人権をもたらすこと
3. 平和を達成すること
4. ビルマに連邦制を確立すること

結成から間もない11月14日には、少数民族武装勢力の連帯組織である民族民主戦線（NDF）の発展組織であるビルマ民主同盟（DAB）にも参加しました。ビルマ共産党（CPB）を除けば、これはミャンマーの一般市民と少数民族武装勢力が共闘した初めての事例でした。

ABSDFは、活動当初、主にタイ-ミャンマー国境地帯に拠点を置いていましたが、後に中国-ミャンマー国境地帯やインド-ミャンマー国境地帯にも小規模な部隊を配置しました。特に、中国-ミャンマー国境地帯の部隊は、カチン独立軍（KIA）からの支援を受けていました。

活動初期の困難と現実

泰緬国境地帯でABSDFに参加した若者たちは、KNUの軍事部門であるカレン民族解放軍（KNLA）やKNPPのカレンニー軍（KA）の下で軍事訓練を受けました。しかし、訓練は非常に厳しく、マラリアの蔓延、食糧不足といった過酷な環境に加え、異なる民族間での派閥争いや、資金・兵器不足に直面している組織そのものに対する失望から、多くの参加者が途中で組織を離脱しました。結成当初約3000人に上った若者のうち、最終的に残ったのはわずか1000人程度だったと言われています。

また、参加した若者たちの意識にも課題がありました。彼らの多くは運動経験が乏しく、基礎的な体力トレーニングも満足にこなせない者もいました。さらに、当時のミャンマーにおいて大学生はエリート層であったため、特に学生メンバーの中には、少数民族組織の人々よりも自分たちが優れているという意識を持ち、少数民族問題への関心をほとんど示さない者もいたと指摘されています。派閥を作り、被害者意識や自己主張が強いメンバーもいたといい、彼らが「数年で軍事政権を倒せる」と楽観的に考えていたことや、「KNUに利用されているのではないか」という不信感を抱いていたことも、当時の活動を困難にした要因でした。

それでも、ABSDFは最終的に18の大隊を編成し、KNU、NMSP、KNPP、パオ民族機構（PNO）、KIA、シャン州民族解放機構（SSNLO）、アラカン民族統一戦線（NUFA）など、様々な少数民族武装勢力の支配地域に配置されました。また、医師、弁護士、教師、理系学生といった専門知識を持つメンバーは、キャンプの運営管理にあたりました。

組織の試練と分裂

ABSDFは活動を進める中で、様々な試練に直面しました。1989年11月に開催された第2回大会では、8888民主化運動の中心人物の一人であったモーティーズンが新議長に選出されました。しかし、1991年の第3回大会では、モーティーズン派と、泰緬国境地帯で影響力を持っていたナインアウン派が激しく対立します。モーティーズンが武装闘争路線を堅持しようとする一方、ナインアウンらはモーティーズンの指導方法が非民主的であると批判しました。結局、ナインアウンが新議長に選ばれましたが、組織はモーティーズン派、ナインアウン派、中立派の三派に分裂し、多くのメンバーが組織から離れる原因となりました。

この頃から1995年にかけて、国軍はKNU支配地域への攻撃を強化しました。ABSDFの兵士たちはKNLAやNMSPのモン民族解放軍（MNLA）と共に国軍と戦いましたが、多くの犠牲者を出しました。犠牲の多さから、他に逃れる場所のない者以外は入隊を断るほどでした。1995年1月にはKNUの本部マナプロウが陥落し、ABSDFもタイへの避難を余儀なくされ、さらなる離脱者を生みました。1998年には、組織内部の重要人物であるキンタンが政府に投降するなど、組織運営に大きな打撃を受けました。

ABSDFは、少数民族武装勢力と異なり独自の支配地域や安定した収入源を持たず、武装闘争を掲げていたため国際機関からの支援も限定的でした。経済的に困窮する一方で、国連難民高等弁務官事務所（UNHCR）の支援により、欧米などへ難民として渡る道が開かれ、組織からの離脱を促す要因の一つとなりました。また、妊娠を機に離脱する女性メンバーも少なくありませんでした。

さらに、国軍情報局（DDSI）のスパイが組織内に入り込み、偽情報や根拠のない噂を流すことで内部の不和を煽りました。スパイによって流されたABSDFのスキャンダルは、国軍情報局が発行する雑誌にも掲載され、メンバー間の不信感を深めました。各キャンプが離れており、交通・通信手段が乏しかったため、情報の真偽を確認することも困難でした。

北部での悲劇的な粛清事件

1991年8月から1992年5月にかけて、カチン州にあったABSDF北部支部で、組織史上最も悲劇的な事件が発生しました。スパイ容疑をかけられたメンバーに対する大規模な粛清が行われ、尋問中の拷問や処刑により、35名が殺害されました。特に1992年2月12日には、1日に15名が処刑されたと言われています。

当時のABSDF北部は、トゥンアウンチョー（マンダレーの学生運動家、全ビルマ学生連合副議長）、アウンナイン（事務総長）、タンギャウン（軍事責任者）、ミョーウィン（軍事副責任者）といった指導者によって統制されていました。事件の背景には、KIAからの支援や翡翠の利権、海外からの援助金を巡る指導者間の対立があり、トゥンアウンチョーとその派閥の人々がスパイ容疑をかけられ、粛清の対象となりました。

この粛清は、他のABSDFメンバーの見守る中で行われ、その手口は非常に凄惨なものでした。拷問には、赤熱した鉄棒による焼き印、溶けたタールを垂らす、熱した火かき棒を肛門に入れるといった行為が含まれ、犠牲者は仲間の切断された首から滴る血を飲まされたり、切断された手を無理やり口に入れさせられたりしたと記録されています。多くの犠牲者は最終的に斬首されました。

特に、軍事副責任者のミョーウィンは、尋問の過程で悪名を馳せたとされ、トゥンアウンチョーの処刑においては、斬首がうまくいかず、シャベルでとどめを刺したと伝えられています。また、唯一の女性犠牲者は、スパイ容疑で告発された恋人の死体に対する行為を強要された後、裸で生き埋めにされ、口にナイフを入れられて唇と舌を切断され、竹製の棒を膣に突き刺されるなどの拷問を受け、集団レイプされた後に射殺されました。亡くなった際、彼女は裸のまま女性器から竹の棒が突き出た状態だったといいます。

この事件はすぐに海外メディアによって報道されましたが、ミャンマー国内では反政府勢力のイメージ悪化を恐れ、長らく隠蔽されていました。しかし、2011年の民政移管後、生存者や遺族が証言を始め、2015年にABSDF真実正義委員会が詳細な報告書を発表したことで、広く知られるようになりました。2016年にはABSDFが戦死者リストを発表しましたが、この粛清事件の犠牲者が含まれていなかったため、生存者や遺族から強い抗議の声が上がりました。

加害者とされる人物たちのその後も波乱に満ちていました。ナインアウンはハーバード大学の奨学金を取り消され、タンギャウンは逮捕、服役後に釈放されましたが、その後射殺されました。モーティーズン自身は北部での事件には関与していませんでしたが、別のメンバー殺害容疑で告発され、国外へ再亡命しています。

その後の展開

その後、ABSDFは元医大生のタンケーが議長となって組織を率いました。タンケー指導の下、ABSDFは2013年にカレン州政府および連邦政府との間で和平協定に署名し、2015年には全国停戦協定（NCA）にも署名しました。これは、長年の武装闘争を経て、政府との対話路線に転換したことを示していました。

しかし、2021年のクーデター後、ABSDFの立場は再び変化しました。民主派勢力による国民統一諮問評議会（NUCC）に参加する一方で、一部幹部が国軍主催のNCA記念式典に出席して批判を受けたり、幹部が逮捕されたりといった出来事もありました。2022年以降は、民主化運動への明確な支持を表明し、国民統一政府（NUG）や他の少数民族武装勢力と連携して、再び武装闘争を展開しています。

その他の活動

ABSDFは、1988年から『ドーンオウェイ（孔雀の声）』という名前の機関誌を発行していました。メンバーであれば誰でも寄稿でき、活動記録だけでなく、小説や詩なども掲載されました。この機関誌は国内外の支持者やミャンマー移民労働者に配布され、ビルマ国内にも秘密裏に送られましたが、配布に関わった多くの人が逮捕されました。資金難のため、2012年11月1日の発行をもって休刊となりました。

ABSDFには少数ながら女性メンバーも参加していましたが、最前線には送られず、主に事務を担当していました。結婚を機に組織を離れ、難民キャンプでの生活を推奨されることもあったと言われています。この状況を変えるため、女性メンバーのスープウィンは、1995年にABSDF中央委員会の許可を得て、女性の能力開発を目的とした組織を結成しました。この組織は後にビルマ女性連合（BWU）となり、海外のABSDF支持者の協力を得て各国に支部を設立しました。スープウィン自身も、ビルマ女性連盟（WLB）の創設メンバーの一人です。

ABSDFは、民主化を求める学生運動から生まれた組織として、ミャンマーの複雑な政治状況、特に民主化運動と少数民族武装勢力との関係を象徴する存在であり、その歴史は希望と悲劇、そして継続する闘争の記録でもあります。

もう一度検索