兵衛督

「兵衛督（ひょうえのかみ）」という語は、歴史的に二つの異なる文脈で用いられました。一つは朝廷の官職名として、もう一つは宮中に仕える女性たちの通称、すなわち女房名としてです。

まず、官職名としての兵衛督について説明します。兵衛府は、主に宮中の警備などを担った官司であり、その最高責任者を「兵衛督」と呼びました。律令制においては、左兵衛府と右兵衛府があり、それぞれに「左兵衛督」、「右兵衛督」が置かれました。これらの役職は、文官が任じられることもありましたが、武官としての性格も併せ持ち、一定の権威を持つ地位でした。兵衛督の下には兵衛佐、兵衛尉、兵衛志といった階級が続きました。

次に、女房名としての「兵衛督」について述べます。これは、宮廷に出仕する女性たちが、その職務や身分に応じて名乗る（あるいは周囲から呼ばれる）通称の一つでした。「兵衛督」という官職名に由来する女房名は、歴史上の複数の人物に使用されたことが知られています。

最も著名な例は、高倉天皇の中宮であった平徳子（建礼門院）に女房として仕えた藤原殖子（ふじわらのしげこ）です。彼女は当初、「兵衛督」という名で呼ばれていました。その後、高倉天皇の典侍（ないしのすけ）という、より天皇の側近くに仕える役職に就きました。典侍は、天皇の日常的な世話や奏上・宣下の伝達などを担う重要な女官であり、その地位は高く評価されていました。

典侍となった藤原殖子は、やがて高倉天皇の皇子である尊成親王（後の後鳥羽天皇）と、親子の親王である守貞親王（後の後高倉院）をもうけるに至ります。天皇の皇子・皇女を産んだことで、彼女の宮中における地位はさらに高まり、「兵衛督」という名から「兵衛督君（ひょうえのかみのきみ）」と呼ばれるようになりました。「君」を付けて呼ばれることは、高い身分や天皇との親密さを示す呼称であり、彼女の重要性が増したことを物語っています。藤原殖子は、後に七条院として女院号を与えられ、その生涯を終えました。彼女の存在は、「兵衛督」という女房名が、単なる通称に留まらず、歴史的な重要人物と結びつく例として特筆されます。

藤原殖子の他にも、「兵衛督」またはそれに類する女房名を用いた人物がいます。例えば、後鳥羽天皇の中宮である九条任子（ぎじょうもんいん、宜秋門院）に仕えた女性の中にも「宜秋門院兵衛督（ぎしゅうもんいんのひょうえのかみ）」と呼ばれた者がいました。また、後堀河天皇の中宮である近衛長子（このえながこ、鷹司院）に仕えた女性の中にも、「鷹司院按察（たかつかさいんのあぜち）」として知られる以前に「兵衛督」という女房名を名乗っていた人物がいました。

このように、「兵衛督」は武官を率いる官職としての顔と、宮廷女性の通称としての顔を持つ言葉でした。特に女房名としては複数の人物に用いられましたが、七条院藤原殖子の例は、この名が持つ歴史的な重みを示す代表的な事例と言えるでしょう。女房名としての「兵衛督」は、その名が持つ響きから、あるいはその名を持つ女性の才覚や人柄などから、宮中で広く認識され、用いられたと考えられます。

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