古代エジプト人の魂
古代エジプトの人々は、人間の存在を単一の「魂」ではなく、複数の霊的な要素から成るものとして理解していました。彼らは死後も「第二の誕生」を得て再生することを強く願っており、そのために肉体（ハー）と同様に、魂を構成する各要素を維持し、保護する必要があると考えました。もしこれらの要素が損なわれた場合、それは永続的な消滅である「第二の死」を意味すると恐れられていました。
彼らの霊魂観における主要な構成要素は以下の通りです。
古代エジプトにおいて、イブ、すなわち心臓は、思考や感情、意志といった精神活動の中心を担う最も重要な要素とされました。現代のように脳ではなく、心臓こそが人間の内面や意向の座であると考えられていました。多くのエジプト語の慣用句もこの考えを反映しており、「幸福」を意味する言葉が文字通り「心臓に幅があること」、「疎外」が「心臓が断ち切られたこと」といった表現で示されます。
心臓は来世、特に死者の審判において決定的な役割を果たしました。冥界での「心臓の計量」の儀式では、心臓がアヌビスらの神々によって真実と秩序を象徴するマアトの羽根と比較されました。もし心臓が羽根よりも重ければ、それは罪を示し、心臓はただちに怪物アメミットに喰われてしまい、再生の可能性は永久に失われました。この極めて重要な役割ゆえに、ミイラ作りの際に他の内臓が取り出されても、心臓だけは体内に残されました。
人間の影であるシュトもまた、魂の構成要素の一つと見なされました。古代エジプト人は、人間は影なしには存在できず、影もまた人間なしには存在できないと考え、影はその人間自身の一部を含んでいると捉えました。このため、人間や神々の像が「それらの影である」と表現されることもありました。影はまた、完全に黒く塗られた小さな人型として視覚化され、死やアヌビスの従者と関連付けられることもありました。
レン、すなわち名前は、出生時に個人に与えられ、その名前が語り継がれる限り、その人の存在は続くと信じられました。名前はその人の人格を形成する重要な要素であり、名前を知られることで、良くも悪くも外部からの影響を受けやすくなると考えられました。このため、名前を保護するための様々な努力がなされました。多くのモニュメントやパピルスに名前を記し、特に王の名前はカルトゥーシュと呼ばれる魔法の縄で囲んで保護しました。逆に、名前をモニュメントから削り取る行為は、その人の存在を抹消し、来世での復活を阻止する呪詛（ダムナティオ・メモリアエ）と見なされました。名前を多くの場所に残すことで、その記憶と存在の永続性を図ったのです。
バーは、しばしば現代の霊魂概念に最も近いものとされますが、古代エジプト固有の複雑な概念であり、単純な非物質的霊魂とは異なります。これは、個人を個性的な存在たらしめるあらゆる側面を指し、文字通り「個性」や「化身」とも訳されます。生命を持たない物体にもバーがあるとされ、古王国のピラミッドがその主のバーと呼ばれることもありました。バーは死後も存続する人間の一側面で、墓から飛び立ち来世でカーと合流する、人頭の鳥の姿で描かれることが多かったです。墓や棺にはバーが出入りするための「偽扉」が設けられました。『コフィン・テクスト』では、死後のバーは身体を持ち、飲食や性交も行うと描写されました。また、『日下出現の書』では、バーは夜にはミイラに戻り、日中は肉体を持たずに墓外で活動するとされ、太陽の運行に例えられました。バーには自由に変身できる能力もあるとされました。学者の中には、バーは非物質的な霊魂ではなく、人間そのものの一部であり、古代エジプト独自の概念だと指摘する者もいます。
カーは、生者と死者を区別する霊的な精髄、生命力や活力の概念です。カーが肉体を離れると死が訪れると考えられました。誕生時に特定の神によって個人に吹き込まれ、生を与えるものとされました。カーは墓の中の肉体に依存し、捧げられた供物に含まれる「カーウ」（霊的な本質）を取り込むことでその力を維持すると信じられていました。このため、死者にも飲食物が捧げられました。エジプトの図像では、カーはしばしば王の「分身」として描かれました。
アクは、死後、バーとカーが再結合して生まれる、再生を果たした存在です。「（魔術的に）有効なもの」という意味を持ちます。主に死後の楽園アアルにおける姿と信じられました。アクの誕生には、適切な葬送儀礼「セ・アク」（死者を生きたアクにする）の実施と継続的な供物が不可欠でした。墓の管理が放棄されると、アクは彷徨う死者や幽霊となり、生者に害をもたらす可能性もあると考えられました。しかし、同時に祈りや手紙によって呼び出され、生者を助ける存在となることもありました。
アクとなる過程には、「もう一度死んでしまう」という危険が伴いました。『死者の書』（エジプト語では『日下出現の書』）のような葬祭文書は、この再度の死を防ぎ、アクとして永続的な存在を確保するための呪文や知識を提供することを目的としていました。
古代エジプトの死生観では、死はカーの肉体からの離脱であり、葬送儀礼（口開けの儀式など）によってバーが解放され、来世でカーと結合してアクとなる過程を経て再生が完了します。彼らの来世観は、夜に冥界に入り、朝に新たな生として立ち上がる太陽の運行に例えられました。死者の肉体（ミイラ）と墓は、太陽の旅におけるオシリスと冥界に相当し、バーは夜にミイラに戻って力を蓄え、朝に新たな生へと立ち上がるサイクルを繰り返すとされました。ミイラ化はこのサイクルのために必要でした。『死者の書』は、冥府での再度の死を回避し、自身の存在が記憶され続けるための手助けとなる文書であり、永遠の破滅を避けるための重要なよりどころでした。
彼らの霊魂観における主要な構成要素は以下の通りです。
イブ（心臓）
古代エジプトにおいて、イブ、すなわち心臓は、思考や感情、意志といった精神活動の中心を担う最も重要な要素とされました。現代のように脳ではなく、心臓こそが人間の内面や意向の座であると考えられていました。多くのエジプト語の慣用句もこの考えを反映しており、「幸福」を意味する言葉が文字通り「心臓に幅があること」、「疎外」が「心臓が断ち切られたこと」といった表現で示されます。
心臓は来世、特に死者の審判において決定的な役割を果たしました。冥界での「心臓の計量」の儀式では、心臓がアヌビスらの神々によって真実と秩序を象徴するマアトの羽根と比較されました。もし心臓が羽根よりも重ければ、それは罪を示し、心臓はただちに怪物アメミットに喰われてしまい、再生の可能性は永久に失われました。この極めて重要な役割ゆえに、ミイラ作りの際に他の内臓が取り出されても、心臓だけは体内に残されました。
シュト（影）
人間の影であるシュトもまた、魂の構成要素の一つと見なされました。古代エジプト人は、人間は影なしには存在できず、影もまた人間なしには存在できないと考え、影はその人間自身の一部を含んでいると捉えました。このため、人間や神々の像が「それらの影である」と表現されることもありました。影はまた、完全に黒く塗られた小さな人型として視覚化され、死やアヌビスの従者と関連付けられることもありました。
レン（名前）
レン、すなわち名前は、出生時に個人に与えられ、その名前が語り継がれる限り、その人の存在は続くと信じられました。名前はその人の人格を形成する重要な要素であり、名前を知られることで、良くも悪くも外部からの影響を受けやすくなると考えられました。このため、名前を保護するための様々な努力がなされました。多くのモニュメントやパピルスに名前を記し、特に王の名前はカルトゥーシュと呼ばれる魔法の縄で囲んで保護しました。逆に、名前をモニュメントから削り取る行為は、その人の存在を抹消し、来世での復活を阻止する呪詛（ダムナティオ・メモリアエ）と見なされました。名前を多くの場所に残すことで、その記憶と存在の永続性を図ったのです。
バー（魂、個性）
バーは、しばしば現代の霊魂概念に最も近いものとされますが、古代エジプト固有の複雑な概念であり、単純な非物質的霊魂とは異なります。これは、個人を個性的な存在たらしめるあらゆる側面を指し、文字通り「個性」や「化身」とも訳されます。生命を持たない物体にもバーがあるとされ、古王国のピラミッドがその主のバーと呼ばれることもありました。バーは死後も存続する人間の一側面で、墓から飛び立ち来世でカーと合流する、人頭の鳥の姿で描かれることが多かったです。墓や棺にはバーが出入りするための「偽扉」が設けられました。『コフィン・テクスト』では、死後のバーは身体を持ち、飲食や性交も行うと描写されました。また、『日下出現の書』では、バーは夜にはミイラに戻り、日中は肉体を持たずに墓外で活動するとされ、太陽の運行に例えられました。バーには自由に変身できる能力もあるとされました。学者の中には、バーは非物質的な霊魂ではなく、人間そのものの一部であり、古代エジプト独自の概念だと指摘する者もいます。
カー（精神、生命力）
カーは、生者と死者を区別する霊的な精髄、生命力や活力の概念です。カーが肉体を離れると死が訪れると考えられました。誕生時に特定の神によって個人に吹き込まれ、生を与えるものとされました。カーは墓の中の肉体に依存し、捧げられた供物に含まれる「カーウ」（霊的な本質）を取り込むことでその力を維持すると信じられていました。このため、死者にも飲食物が捧げられました。エジプトの図像では、カーはしばしば王の「分身」として描かれました。
アク（有効なもの）
アクは、死後、バーとカーが再結合して生まれる、再生を果たした存在です。「（魔術的に）有効なもの」という意味を持ちます。主に死後の楽園アアルにおける姿と信じられました。アクの誕生には、適切な葬送儀礼「セ・アク」（死者を生きたアクにする）の実施と継続的な供物が不可欠でした。墓の管理が放棄されると、アクは彷徨う死者や幽霊となり、生者に害をもたらす可能性もあると考えられました。しかし、同時に祈りや手紙によって呼び出され、生者を助ける存在となることもありました。
アクとなる過程には、「もう一度死んでしまう」という危険が伴いました。『死者の書』（エジプト語では『日下出現の書』）のような葬祭文書は、この再度の死を防ぎ、アクとして永続的な存在を確保するための呪文や知識を提供することを目的としていました。
相互関係と死後の世界
古代エジプトの死生観では、死はカーの肉体からの離脱であり、葬送儀礼（口開けの儀式など）によってバーが解放され、来世でカーと結合してアクとなる過程を経て再生が完了します。彼らの来世観は、夜に冥界に入り、朝に新たな生として立ち上がる太陽の運行に例えられました。死者の肉体（ミイラ）と墓は、太陽の旅におけるオシリスと冥界に相当し、バーは夜にミイラに戻って力を蓄え、朝に新たな生へと立ち上がるサイクルを繰り返すとされました。ミイラ化はこのサイクルのために必要でした。『死者の書』は、冥府での再度の死を回避し、自身の存在が記憶され続けるための手助けとなる文書であり、永遠の破滅を避けるための重要なよりどころでした。
もう一度検索
【記事の利用について】
タイトルと記事文章は、記事のあるページにリンクを張っていただければ、無料で利用できます。
※画像は、利用できませんのでご注意ください。
【リンクついて】
リンクフリーです。