吉川元春館

吉川元春館跡

吉川元春館跡（きっかわもとはるやかたあと）は、現在の広島県山県郡北広島町志路原に位置する、戦国時代の武将・吉川氏によって営まれた居館跡です。中国地方の有力大名であった毛利元就の次男で、吉川氏の家督を継いだ吉川元春が、隠居後の住まいとして築いたことで知られています。

この館跡は、周辺の関連遺跡群とともに国の史跡「吉川氏城館跡」の一部に指定されているほか、特に良好な状態で遺存していた庭園跡は国の名勝にも指定されており、学術的にも歴史的にも極めて重要な遺跡として保護、整備が進められています。

概要

館は、かつて吉川氏の主城であった日野山城の南西麓、志路原川沿いの河岸段丘を利用して築かれました。志路原川が自然の堀として機能し、館の南側正面には約3mの高さを持つ巨大な石垣が約80mにわたって築かれています。この石垣は、巨大な自然石を柱のように立て並べ、その間隙を大小の石材で埋める「柱状積み」と呼ばれる独特の技法が用いられており、宮島の厳島神社の参道沿いの石垣にも同様の工法が見られることから、両者の築造に同じ石工集団が関わった可能性が指摘されています。

館の背後は山、両側には土塁が築かれ、その上には塀が巡らされていたと考えられています。内部には多くの建物や廊下が配置され、造園後に一度改修されたとみられる庭園もありました。同様の庭園は、近隣の今田氏館にも現存しています。

歴史

吉川元春は天正10年（1582年）の備中高松城の戦いの後、嫡男の元長に家督を譲って隠居することを決め、自身の隠居所として天正11年（1583年）頃からこの館の築造に着手しました。建設地は吉川氏の一族である石経有の所領を譲り受けてのものとされます。

館そのものの完成は未完でしたが、元春は天正12年（1584年）6月以前にはここに移り住み、隠居生活に入りました。しかし、残念ながら、館の建設途中の天正14年（1586年）、元春は九州の陣中で病没してしまいます。後を継いだ嫡男の元長も、父の死からわずか1年後の天正15年（1587年）にこの館で病に倒れ、亡くなりました。館の最終的な完成は、元長の弟である広家の時代に実現したと考えられています。しかし、広家が天正19年（1591年）に月山富田城に移ると、吉川元春館は居館としての役割を徐々に終え、廃墟へと姿を変えていったと推測されています。慶長5年（1600年）の検地帳にも、すでに城館跡として記載されています。

その後、吉川元春館跡は長らく田畑や山林の下に埋没していましたが、石垣などが良好な状態で遺存していました。昭和61年（1986年）8月28日には、周辺の駿河丸城跡や小倉山城跡など関連遺跡とともに「吉川氏城館跡」の一部として国の史跡に指定されました。

平成6年（1994年）からは本格的な発掘調査が実施され、館の実態を示す多くの手がかりが得られました。この調査によって、館の範囲が想定以上に広がっていることが判明したため、調査中の平成9年（1997年）9月2日に史跡の追加指定が行われ、指定範囲が拡大されました。平成14年（2002年）には、特に良好な状態で遺存していた「吉川元春館跡庭園」が国の名勝にも指定されています。

その後、遺跡の保存と活用が進められ、平成18年（2006年）までに石垣の本格的な修復や、発掘された柱穴に基づいた建物の復元（台所など）、庭園の修復・復元が行われました。平成19年（2007年）には、跡地に隣接して「戦国の庭 歴史館」が開館し、出土品などが展示されています。

発掘調査による発見

1994年から行われた発掘調査では、館の全容を解明する重要な発見が多数ありました。調査以前からその存在が知られていた石垣に加え、土塁、掘立柱建物群による屋敷跡、そして庭園跡などが確認されています。

特に庭園跡は、一乗谷朝倉氏遺跡のものと並び、戦国時代の庭園として極めて良好な状態で遺されており、その構造の優秀さが評価されています。垂直に立てられた石組による護岸や、平らな石を敷き詰めた池底を持つ、非常に人工的な造りの池泉庭園です。館の北側に位置する池の護岸、その北に造られた築山、そして築山の東側には滝組が配され、築山の頂部には象徴的な立石があった痕跡が見られます。国の名勝に指定され、現在は整備が進められています。

中でも注目されるのは、館内に設けられていたトイレの遺構です。このトイレは、直径約3m、長径約1.2m、深さ約0.7mの楕円形の穴の中に、木製の桶が二つ並べて埋められ、これを便槽とする汲取式の構造でした。便槽となった桶からは、排泄物の処理に使われた籌木（ちゅうぎ）をはじめ、折敷（おしき）、竹製の筒、猿や人形の形代（かたしろ）、聞香札（もんこうふだ）、楔（くさび）、土師質土器など、当時の生活や信仰に関わる多様な遺物が出土しました。出土した籌木には竹製のものや、短いもの、折れたものが含まれており、これは使用済みの先端を折って再利用していた可能性を示唆しています。

また、便槽の土壌からは、センチメートル立方あたり数千個もの寄生虫卵が検出されたほか、ベニバナやイネ科、ソバ属などの花粉、ヒエやイネのもみ殻、ナス、ウリ類、ウメ、キイチゴなどの種実が検出されました。これらは、当時の人々の食生活や衛生状態をうかがい知る貴重な手がかりとなります。さらに、館を区画する大きな溝からは、金隠し（用を足す際の目隠し）と、『蝿を打たんが為、これを造る者なり』（蝿を駆除するためにこれを作った）と墨書された木の札が出土しており、当時の衛生観念の一端を垣間見ることができます。

また、謎めいた遺構としては、発掘調査によって、館内にあった井戸の一つが、石や粘土によって非常に丁寧に封印されていることが明らかになった「呪いの井戸」があります。封印の際に何らかの呪術的な言葉が唱えられた痕跡も確認されており、これは、館で不幸な出来事があり、その原因がこの井戸にあると考えた人々が、井戸を封鎖することで災いを鎮めようとしたためではないかと考えられています。井戸は当時の人々にとって、集団生活に不可欠な水源であると同時に、疫病などの発生源ともなりうる恐ろしい存在でした。このため、井戸の掘削や廃止に際しては、入念な祭祀が行われたものと推測されます。

遺構からは、氷砂糖の容器の蓋と思われる「こほりさたう」と墨書された円形の木の板や、「かかいさまへ」（お母様へ）と記された、元春の妻に宛てられたとみられる木製の荷札なども見つかっています。これら以外にも、石組みによる排水溝（暗渠）や鍛冶炉の遺構が検出されており、戦国時代の領主の暮らしの一端を垣間見ることができます。出土遺物としては、土器や陶磁器に加え、生活用品として使われた多様な木製品が多数発見されています。先に挙げたもの以外にも、朱塗りの漆器の杯や、柄杓の木製部分などが出土しています。

周辺遺跡

吉川元春館跡の背後には海応寺があり、その境内には吉川元春、元長、そして夭折した末子の墓とされる場所があります。志路原川を挟んだ山中には、元長が建立したとされる万徳院跡や、元春の夫人が館の完成を待つ間滞在したと伝わる松本屋敷跡など、関連する史跡が点在しています。また、かつての主城であった日野山城や小倉山城跡も近隣に位置しています。これらの駿河丸城跡、小倉山城跡、日野山城跡、西禅寺跡、万徳院跡、洞仙寺跡、常仙寺跡、松本屋敷跡なども、吉川元春館跡とともに「吉川氏城館跡」として国の史跡に包括指定されており、吉川氏の本拠地の全体像を示しています。

アクセス

中国自動車道千代田インターチェンジより北へ約10kmに位置します。

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