変若水

変若水（おちみず）とは

変若水（おちみず、をちみづ）とは、飲むと若返ると信じられていた霊水です。月の不死信仰と深く結びついており、西洋におけるエリクサーや中国の仙丹に相当するものと考えられています。この水は、単なる伝説上の存在ではなく、人間の形態を説明する際にも用いられるなど、文化的な側面も持ち合わせています。

月夜見と変若水

日本神話において、月の神であるツクヨミも変若水と深く関わっています。『万葉集』には、ツクヨミが若返りの霊水「をち水」を持つ存在として登場します。例えば、巻13の長歌では、年老いていくことを嘆き、「月夜見」が持つ「をち水」を求めて、若返りを願う心情が歌われています。

天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも

この歌は、天にある「月夜見」が持つ「をち水」を手に入れ、大切な人に捧げて若返らせたいという、切実な願いを表しています。他にも万葉集には、

我が手元 まかむと思はむ ますらをは をち水求め 白髪生ひにたり

白髪生ふる ことは思はず をち水は かにもかくにも 求めてゆかむ

古ゆ 人の言ひける 老人の をつといふ水ぞ 名に負ふ瀧の瀬

など、「をち水」を求める歌が複数見られ、当時の人々が若返りへの強い願望を持っていたことが伺えます。

若水信仰との関連

新井秀夫は、論文「「月夜見の持てるをち水」小考」の中で、民俗学の観点から「若水」信仰との関連性を指摘しています。元旦に一年の邪気を払う「若水」を汲む行事は日本各地で行われており、平安時代の文献にも立春の日に「供若水」が行われていた記録があります。このことから、季節の生まれ変わりとともに聖なる水「若水」を汲み、身心を清め生気を蓄えるという「若水」信仰が、古代日本に存在していたと考えられます。万葉集に見られる変若水や若返りの歌も、単なる文学的表現ではなく、この「若水」信仰が背景にあったのではないかと考察されています。

アカリヤザガマの伝承

ロシアの東洋学者ニコライ・ネフスキーが著した『月と不死』には、沖縄の伝承として、月と太陽が人間に長命を与えようとしたものの、アカリヤザガマが運んだ変若水（シジミズ）を蛇が浴びてしまったため、人間が死を免れなくなったという話が収録されています。

この伝承では、月と太陽が人間に若返りの水を与えようとしたにも関わらず、結果的に人間は短命を背負うことになります。しかし、神は人間を哀れみ、毎年節祭に「若水」を送るようになったとされています。この伝承は、「若水」の行事の起源を説明する物語ともなっています。

若水信仰の起源と月

中国の古い伝説には、西王母の不死の薬を盗んで月の世界に走った姮娥の話があります。このような仙薬の話が、若返りの薬の発想の由来となったとも考えられます。フレイザーは、死の由来話を「蛇と脱尾型」と「月盈虚型」に分類しており、アカリヤザガマの伝承は、この二つが結合した形となっています。

月は、満ち欠けを繰り返すことで、死と再生を象徴する存在とされてきました。満月から新月へと姿を変え、再び三日月として復活する月のサイクルは、死と再生を想起させ、そこから不死や不老への願望が生まれ、「若水」信仰へと繋がったと考えられます。

このように、変若水は、単なる伝説上の水ではなく、古代の人々の死生観や自然観、そして若返りへの願望が結びついた文化的な象徴と言えるでしょう。

参考文献

N・ネフスキー『月と不死』（東洋文庫）
松前健『日本神話の新研究』（桜楓社）

関連項目

若返りの泉
バナナ型神話
* アムリタ

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