天城山心中

天城山心中事件

1957年12月10日、伊豆半島の天城山で、学習院大学の男子学生・大久保武道（当時20歳）と同級生の女子学生・愛新覚羅慧生（当時19歳）が、拳銃で頭部を撃ち抜かれた状態で発見された。この事件は、当時のマスコミによって「天国に結ぶ恋」として報道され、大きな社会的反響を呼んだ。

事件の背景

出会い

1956年4月、大久保武道と愛新覚羅慧生は、学習院大学文学部国文学科に入学した。大久保は青森県八戸市出身で、裕福な家庭で育った。合気道が得意で、バンカラな性格だった。一方、慧生は清朝最後の皇帝・溥儀の姪で、旧侯爵嵯峨家の出身。幼少期を旧満洲国で過ごし、学習院女子中等科、高等科を経て同大学に入学した。初等科以来、初めて男子と同じクラスになった。

大久保は質実剛健な性格で、都会的な学生たちの中では異質な存在だった。一方、慧生は美しく社交的で、学内の中心的な存在だった。大久保は、クラスで孤立していた自分に優しく接してくれた慧生に感激し、彼女を女神のように崇めるようになった。

6月下旬、二人は初めて二人で会話をし、大久保は慧生を自宅まで送った。しかし、大久保の風貌が慧生の家族に受け入れられず、慧生は家族から大久保の訪問を禁じられた。

大久保は、入学当初から「命がけ」という言葉を口にし、死に対する衝動を抱えていた。8月頃に慧生に宛てた手紙には、慧生への熱情とともに死への憧憬が綴られていた。この頃、慧生はあくまで友情として大久保に好意を持っていたが、自身の特殊な生い立ちから、将来を冷静に考えようとしていた。また、慧生には他にも求愛者がおり、大久保との間で決闘騒ぎも起こっている。

11月30日、体調を崩して大学を休んだ慧生を、大久保が見舞いに訪れた。家族に面会を断られても、応接室から動こうとしない大久保の姿に、慧生の祖母が警戒し、交際を厳しく禁じた。その後、大久保は慧生に絶縁状を送り、一旦は関係を絶った。しかし、慧生は毎日のように大久保に手紙を送り、体調を崩したことで冷静さを失い、気持ちが大きく揺れ動くようになる。

「婚約」

1957年2月、二人は蕎麦屋で長時間語り合った後、「婚約」を決める。しかし、その後、慧生は冷静さを取り戻し、友人たちの反対もあって、何度か「婚約解消」を切り出す。その度に、大久保が自暴自棄になるため、解消は立ち消えとなった。慧生は家族に交際を知られないよう、手紙のやり取りに細かくルールを定めていた。

7月、大久保は大学院進学を諦め、アルバイトをしながら二人の将来のための貯蓄を始めた。慧生は夏に富士登山をしたり、友人との手紙のやり取りから、学生生活を謳歌している様子が伺える。一方、大久保は10月末頃、知人に性に関する悩みを打ち明けている。自分の父親が愛人に子供を産ませており、その血が自分にも流れていることを悩んでいた。

11月、慧生は「武道様（大久保）に甘えたい」と綴った手紙を大久保に送っている。同月には「誰もいなかったら飛んで行ってかじりつきたい」「『熱烈な恋愛中』と書いた幟を立てて毎日東京中を歩いてもかまわない」と、大久保への激しい愛情を綴っている。しかし、慧生の婚約を知った別の男子学生からの非難の手紙が届き、慧生はまた体調を崩した。11月30日、慧生から大久保宛の最後の手紙には、月曜日に一緒に貯金に行くことが書かれていた。

事件前夜

12月2日、慧生は少なくとも3人にSOSのサインを送っていた。大学で親友に拳銃を見せ、「O君が『この銃で自殺する』と言っている」と語った。慧生は拳銃を預かったが、クラスメイトは皆大久保の自殺願望を知っており、深刻に受け止めなかった。また、この日の午後、慧生と大久保は長時間話し合い、大久保の自殺の決意を覆すことができなかったとされる。慧生は学生寮の寮監にも電話を入れているが、電話は途中で切れてしまった。

12月3日、慧生は親友に念を押されるが、鈍い反応を示した。親友は特に変わった様子がないことから、事態が解決したと考えた。

失踪と最期

12月4日、慧生は普段通りに大学へ向かい、午前中には学生たちから目撃されている。しかし、午後7時頃になっても帰宅しないことから、家族が関係各所に電話をかけ始めた。その頃、静岡県警に、伊豆の山中で男女を降ろしたタクシー運転手から「心中でもする気ではないか」という届けが入っていた。

12月5日、寮監の元に慧生からの最後の手紙が届いた。手紙には、大久保に同行するが、強制されたわけではないと書かれていた。大久保と同室の寮生からは、2日前に身辺整理をしていたこと、伊豆の地図を見ていたという証言が出た。また、秋に大久保が1人で伊豆へ旅行していたことも確認された。

12月7日、新聞各紙で事件が報道される。オサトら学習院の同級生や地元の消防団が、警察と共に伊豆での捜索に加わった。タクシー運転手の証言から、2人が天城山トンネルに向かったことが判明。慧生は登山道に沿ってサークルのチラシをちぎって目印を残していた。

12月8日、霧が深く、捜索は打ち切られた。夕方、大久保家と嵯峨家の話し合いが行われ、2人に関する一切を寮監に一任。寮監は新聞・ラジオを通じて「姿を現せば2人の交際を認める」と呼びかけた。

12月9日、伊豆に残った学生らが、遺留品を発見。

12月10日、天城山の雑木林の中で、2人の遺体が発見された。大久保の右手に拳銃が握られており、慧生の左こめかみに銃弾の痕があった。死亡診断書には「他殺。銃弾による頭部貫通」と記された。拳銃は大久保が実家から持ち出したものだった。

慧生の最後の手紙

慧生は最後の手紙で、大久保の悩みを聞き、彼の考えが正しいと結論づけたと綴っている。また、大久保に強制されたのではなく、自分の意思で行動していると主張した。手紙には、両親や友人に対する申し訳ない気持ちも書かれていた。

事件後

慧生の母・嵯峨浩や嵯峨家は、事件を無理心中と主張した。一方、大久保家では、2人の合意の上での情死と認識しており、大久保家の墓には慧生の戒名が刻まれている。事件後、同級生や関係者の証言、二人の書簡が公表され、1958年には映画化もされた。

1959年、嵯峨浩は自らの半生記で「慧生に死ぬ気はなく、事件は心中ではない」と主張した。1961年には、友人らが慧生と大久保の書簡をまとめた書籍を出版。2人の往復書簡は、それぞれが束ねて小包とし、事件の朝に大久保の母宛に投函されたものだった。

慧生の父・溥傑は、結婚に反対されたための自殺と考えていた。また、伯父の溥儀も、恋愛問題のための自殺との見解を示した。

事件から50年以上経った2009年、慧生の親友が初めて証言。慧生から事件前に拳銃を見せられたことや、タクシー運転手から聞いた慧生の言葉を語った。

事件を題材とした作品

天城心中 天国に結ぶ恋（1958年）

制作 - 近江俊郎
監督 - 石井輝男
脚本 - 館岡謙之助
出演
三ツ矢歌子（王英生（愛新覚羅慧生））
高橋伸（大谷武明）
真山くみ子（母治子（嵯峨浩））
製作 - 富士映画
配給 - 新東宝

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