安益泰

安 益泰

韓国を代表する作曲家、指揮者として知られる安益泰（アン・イクテ、1906-1965）。特に大韓民国国歌「愛国歌」の作曲者として国民に広く認識されている一方、晩年になって浮上した過去の活動を巡る議論は、彼の歴史的評価を複雑にしている。

生涯と音楽活動

安益泰は1906年12月6日、現在の北朝鮮にあたる平壌に生まれた。幼少期から音楽に親しみ、崇実中学校で学んだ後、1921年に日本へ渡る。東京の正則中学校を経て、東京高等音楽学院（現・国立音楽大学）でチェロを専攻し、基礎的な音楽教育を受けた。

さらなる研鑽を積むため、1930年には米国へ渡る。フィラデルフィアにある名門カーティス音楽学校に入学し、その後シンシナティー音楽学校でチェロと作曲の両方を専門的に学んだ。この頃から作曲家としての才能も開花させ始める。

1936年にはヨーロッパへ活躍の場を移す。音楽の都ウィーンに留学し、当時存命であった偉大な作曲家リヒャルト・シュトラウスに師事するという、アジア人としては極めて稀な機会を得た。このウィーンでの滞在中、彼は後の韓国国歌となる「愛国歌」のメロディーを生み出したとされる。1939年にはブダペスト音楽学校で指揮法などを学び、卒業後は本格的に指揮者としてのキャリアをスタートさせた。ウィーン、ベルリン、ローマ、ブダペストといったヨーロッパ主要都市の著名な交響楽団を指揮し、国際的な名声を築いた。

第二次世界大戦終結後、安益泰はスペインへ移住した。現地で女性と結婚し、スペイン国籍を取得。マヨルカ島に居を構え、作曲活動や指揮活動を続けた。彼の代表作の一つである管弦楽曲『韓国幻想曲』は、自身の留学経験や祖国への思いを込めた作品であり、特にその終曲に付けられた合唱は、1948年に大韓民国が建国された後、李承晩大統領に紹介され、国の歌として採用される契機となった。こうして『愛国歌』は、彼の最もよく知られた作品となったのである。

その後も音楽活動は精力的に行われ、1960年と1964年には日本でも自作を含む作品の演奏会を開催した。その功績が認められ、1965年には韓国政府より文化勲章大統領章が授与された。しかし、同年9月16日、滞在先のマヨルカ島で急逝した。58歳だった。彼の遺灰は、亡き後12年を経て、1977年7月8日にソウルの国立墓地に埋葬された。

安益泰は作曲や指揮に加え、音楽に関する著作も残している。リヒャルト・シュトラウスに関する共著書を日本語で発表するなど、幅広い活動を展開した。自身が指揮した交響幻想曲「韓国」の録音も現代に伝えられている。

主要作品

安益泰は多様なジャンルの作品を創作したが、特に管弦楽作品が多い。

愛国歌（1936年） - 大韓民国国歌として広く知られる。
声楽付組曲「韓国の生活」（1934～1935年） - 「二八青春」「アリラン峠」「田園」「野原の百合」の4曲からなる。
交響詩「降天声楽」（1936年）
交響幻想曲「韓国」（合唱と管弦楽のための、1936～1937年） - 国歌の母体となった作品。
交響詩「論介」（1962年）
愛国志士への追悼楽（1962年）
野原の白い百合（合唱と器楽のための、1962年）
韓国舞曲（1963年）
交響詩「マリョルカ」（1948年、2006年発見）
交響詩「フォーメントーの松」（1951年、2006年発見）

なお、幻想曲「越天楽」、交響幻想曲第2番「極東」、満洲国建国10周年祝典音楽などの作品は、1944年以降に楽譜が紛失したとされている。

歴史的評価を巡る議論

大韓民国国歌の作曲者として確固たる地位を占める安益泰だが、近年その歴史的評価を巡る議論が活発化している。特に、彼の第二次世界大戦中の活動に焦点が当てられている。

2006年3月、安益泰が満洲国建国10周年を祝う記念曲を作曲し、ベルリンで自らオーケストラを指揮する様子を捉えたフィルムが発見されたことから、彼が日本の傀儡国家であった満洲国に協力的な活動を行ったのではないかという、いわゆる「親日派」疑惑が浮上した。

この疑惑は韓国社会で大きな波紋を呼び、市民団体である民族問題研究所やその傘下の親日人名辞典編纂委員会は、安益泰の過去の活動を調査。その結果、2008年4月29日に発表された同委員会の「親日人名辞典」第2回リストに安益泰の名前が掲載され、正式に親日派であるとの認定が下された。2009年11月8日に刊行された同辞典本編にも、日本による植民地支配に協力した人物の一人として彼の名前が収められている。

この「親日人名辞典」への掲載は、彼の音楽、特に国歌の作曲者としての地位にも影響を及ぼすことになった。2019年には、全国教職員労働組合が、辞典に掲載された人物が作詞・作曲した学校の校歌を変更すべきだと主張し、安益泰が作曲した校歌もその対象として挙げられた。また、2020年には光復会会長が、国立ソウル顕忠院に埋葬されている親日派の改葬を提起する中で、安益泰を「民族反逆者」と呼び批判するなど、彼の墓所を巡る問題にまで発展している。

大韓民国の象徴である国歌の作曲者でありながら、植民地時代の活動を巡る疑惑により「親日派」と認定された安益泰は、韓国近代史における功罪の複雑さを象徴する人物として、今なお様々な議論の対象となっている。その音楽的功績は揺るぎないものの、過去の行動に対する評価は、今後の歴史研究や社会的な議論の中でさらに深められていくと考えられる。

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