宵待草

『宵待草』は、竹久夢二作詞、多忠亮作曲による歌曲であり、短い生涯の中で数々の恋を経験した竹久夢二が、ある夏の日に経験した叶わぬ恋を基に作られました。多忠亮によって作曲されたこの楽曲は、「セノオ楽譜」から出版され、瞬く間に日本中で愛される歌となりました。楽曲はハ短調で、8分の6拍子で演奏されます。

物語の背景

1910年（明治43年）の夏、竹久夢二は27歳。前年に離婚したものの、よりを戻していた岸たまきと、2歳になる息子虹之助を連れて、房総方面へ避暑に出かけました。彼らは銚子から犬吠埼へと足を運び、あしか（海鹿）島の宮下旅館に滞在しました。この旅館は太平洋を一望できる景勝地として知られ、明治時代から多くの文化人に愛されていました。

そこで竹久は、たまたま当地を訪れていた秋田出身の長谷川カタ（当時19歳）と出会います。カタは、成田の高等女学校で教師をしている姉のもとに身を寄せていましたが、長谷川一家も宮下旅館の隣に引っ越してきており、夏休みに家族を訪ねてきた際に竹久と出会ったのです。

二人はすぐに親しくなり、竹久はカタに強く惹かれていきました。彼はカタを呼び出し、短い逢瀬を重ねます。近隣住民も、散歩をする二人の姿を度々目撃していました。しかし、二人が結ばれることはなく、竹久は家族と共に東京へ帰ることになります。カタも夏休みが終わると成田へ戻り、父親は娘の将来を案じて結婚を急がせました。

翌年、再びこの地を訪れた竹久は、カタが既に結婚したことを知ります。彼は自身の失恋を悟り、この海辺でいくら待っても二度と現れないカタを想い、深い悲しみに暮れたと言われています。宵を待って咲く宵待草に自身の境遇を重ね合わせ、叶わぬ恋を嘆く気持ちが、この詩の着想へと繋がったのです。

発表と広がり

この原詩は、1912年（明治45年）6月1日付の雑誌「少女」（時事新報社）に発表されました。その後、1913年（大正2年）11月には、現在の3行詩の形で絵入り小唄集「どんたく」（竹久夢二の処女出版詩集：実業之日本社発行）に掲載されました。ヴァイオリン奏者であった多忠亮がこの詩に曲をつけ、1917年（大正6年）5月12日に牛込藝術倶楽部で開催された第2回「芸術座音楽会」で初めて演奏されました。翌1918年には、「セノオ楽譜」（セノオ音楽出版社刊）の一編として、竹久夢二の表紙画と共に楽譜が出版され、急速に日本中に広まり、長く歌い継がれることとなりました。

現在、ゆかりの地である千葉県・あしか島の海を見下ろす場所には、竹久夢二の肖像と「宵待草」の一節が刻まれた文学碑（1971年建立）が建てられています。

宵待草の正体

歌の題名にもなっている「宵待草」は、「マツヨイグサ属」の一種を指していると考えられます。しかし、マツヨイグサ属には様々な種が存在するため、具体的にどの種を指しているのかを特定することは困難です。宵待草は、マツヨイグサ属のツキミソウであるという説も存在します。

マツヨイグサ属の植物は、夕暮れに花を咲かせ、夜の間咲き続け、翌朝にはしぼんでしまうという特徴があります。この儚い性質が、一夜の恋を象徴するかのように歌に描かれているのです。ちなみに、竹久夢二自身が書き残した記録（大正9年・日本近代文学館蔵・紙に墨書）には、「待宵草」と記されています。また、同じセノオ楽譜の表紙であっても、版によって「待宵草（初版-4版）」と「宵待草（5版以降）」の2種類の表記が存在します。これは、ある時期から竹久夢二自身が音の響きにこだわり、表記を変更したためであるという説が有力です。

その他の情報

『宵待草』には、「第2番」の歌詞が存在したという説があります。竹久夢二が亡くなった4年後の1938年、その人気にあやかって『宵待草』という映画が制作されました。映画の主題歌として、竹久夢二と親交のあった西條八十によって新たに2番の歌詞が書き加えられました。しかし、その歌詞の中に「宵待草の花が散る」という表現があり、「マツヨイグサ属の植物の花は散らない」という指摘を受け、歌詞は訂正されました。そのため、2番が歌われることはほとんどありませんでした。

一方、長谷川カタは、東京にいる竹久夢二と手紙のやり取りをしていましたが、それも長くは続きませんでした。1912年（明治45年）4月11日、カタは和歌山出身の音楽教師で作曲家であった須川政太郎と結婚。須川の転勤に伴い、鹿児島、京都、彦根、愛知などを転々としながら、一男三女を育て、平穏な生活を送りました。竹久夢二のことについては多くを語らなかったものの、尋ねられると笑顔で短く答えたと言われています。晩年はあまり外出することもなく、大きな虫眼鏡を使って「リーダーズ・ダイジェスト」を読むことを日課としていたそうです。1967年（昭和42年）7月26日に77歳で亡くなり、夫の出身地である和歌山県新宮町（現在の新宮市）の長徳寺にある須川家の墓に、夫と共に眠っています。

また、一説によると、この歌は大逆事件の被告人たちをモチーフにしたとも言われています。実際に、竹久夢二自身も事件当時、2日間拘留された経験があります。

外部リンク

* 宵待草の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト)

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