富士山大規模落石事故

1980年（昭和55年）8月14日の午後1時50分頃、日本の象徴である富士山の山頂付近、山梨県側で未曽有の大規模落石事故が発生しました。山頂から転げ落ちた巨大な岩塊が、多くの登山者が利用する吉田ルートの登下山道を直撃。八合目から六合目にかけての登山者を巻き込み、多数の犠牲者を出したこの事故は、死者12名、負傷者29名という国内の落石事故としては過去最悪の惨事として記録されています。

事故の発生と経過

落石は、富士山頂を構成する八神峰の一つである久須志岳の岩場付近で、二度にわたって発生しました。直径1メートルから2メートルにも及ぶ巨大な岩が50個から60個ほど、左右に広がりながら吉田大沢へと一直線に滑落していきました。雪崩が広がるかのように散らばった落石は、まず標高約3,300メートルの本八合付近で、自然に形成された吉田砂走りの下山道を直撃。標高約3,100メートルの八合目にかけて、下山中の多くの登山者を巻き込み、なぎ倒しながら転がり続けました。さらに、標高約2,600メートルの六合目と標高約2,800メートルの七合目の中間付近で再び登山道に合流し、ここでも下山中の人々を襲撃しました。落石は吉田砂走りの小石を巻き込みながら、最終的には標高差約1,400メートルを転げ落ち、五合目付近まで達したとされています。地震や火山活動といった明確な予兆がないまま突発的に発生したため、多くの登山者は避ける間もなく、被害が拡大する結果となりました。

救助活動

事故発生当時、現場に居合わせた和歌山県赤十字特別救護隊が直ちに負傷者への応急手当を行うなど、迅速な初期対応が行われました。山梨県警察は富士吉田警察署を中心に約150人の救助隊を編成。陸上自衛隊北富士駐屯地の隊員に加え、無事だった登山者や近隣の山小屋関係者も救助活動に協力しました。救助された死傷者は、県警と富士五湖消防本部によって四つの病院へ搬送されました。司法解剖の結果、犠牲者の多くは頭部に致命的な損傷を受け、即死状態であったことが判明しています。

事故の背景にある自然条件と誘因

事故当日の天候は良好で、風速も毎秒6メートル程度と比較的穏やかでした。地震や火山活動など、一般的に落石の誘因となる事象も観測されていませんでした。最初の落石が発生した地点が登山道から離れていたことから、人為的な要因ではなく、自然現象によるものと推定されています。富士山は過去の噴火活動によって噴出した火山礫、火山灰、溶岩が幾層にも積み重なって形成された成層火山であり、その地質構造はもともと脆弱であるため、落石の危険性は常につきまとっていました。落石が発生しやすい地質に加え、事故の同年4月には、「4・14雪崩」と呼ばれる約50年に一度とされる大規模な雪崩が発生しており、これが間接的な原因となった可能性が指摘されています。この雪崩によって山の表面が大きく削られ、剥き出しになった岩塊が不安定さを増していました。そこに、少雨による火山灰や火山礫の乾燥で岩を支える力が弱まり、さらに山頂付近に吹き荒れた強風が加わったことで、岩がそのバランスを失い、自然に崩落したと考えられています。

事故発生時の社会状況

この年は富士山が開山した縁起の良い年とされる庚申にあたり、60年に一度の「御縁年」として、例年を大幅に上回る数の登山者が富士山を目指し、登山道はたいへんな混雑を呈していました。多くの人が密集していたこの状況も、被害の拡大に繋がった一因とされています。

事故後の影響と対応

この事故を受け、吉田大沢の砂走りは安全確保のため立入禁止措置がとられました。日本の行政当局は、今回の落石を「予測不可能かつ異常な自然現象による災害」と認定。これを受け、「災害弔慰金の支給等に関する法律」に基づき、遺族に対し最高限度額の弔慰金が支給されることが決定しました。法律に従い、弔慰金は死亡した者にのみ支給され、世帯主の場合は200万円、扶養家族の場合は100万円が支払われました。この事故は、損害保険業界に「富士山の登山道における落石事故を、自動車事故のように『交通事故』として扱うべきか」という異例の議論を巻き起こしました。通常、損害保険会社は登山道を『道路』とはみなさないためです。しかし、本件においては例外的に登山道が『道路』と認められ、『交通事故』に準じる形で交通傷害保険金が支払われることになりました。この異例の判断については、被害者の中に、損害保険会社を監督する立場にあった大蔵省の関係者が含まれていたためではないか、という憶測も当時囁かれました。当時の日本の損害保険業界は、「積立ファミリー交通傷害保険」という商品の普及に力を入れており、保険会社はこの事故での保険金支払いの実績を、自社商品の販売促進に活用した側面もありました。また、山梨県警察は、1980年に発生した出来事から選ぶ「県警10大ニュース」において、司ちゃん誘拐殺人事件に次ぐ第2位に本事故を選出しました。さらに、ファッションデザイナーの石津謙介氏は、本事故が発生した直後の1980年8月に立て続けに起きた他の二つの大惨事（静岡駅前地下街爆発事故、新宿西口バス放火事件）と合わせて、日本の縁起物である「一富士、二鷹、三茄子」になぞらえ、「一富士、二地下、三バスビ」という造語を生み出し、当時の世相を象徴する言葉となりました。

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