小繋事件

小繋事件（こつなぎじけん）

小繋事件は、岩手県二戸郡一戸町字小繋地区の山林、小繋山の入会権（いりあいけん）を巡って、地元住民と山林所有者の間で約50年間にもわたり争われた法廷闘争です。この紛争は、1917年に住民側が山林所有者に対して起こした民事訴訟をきっかけに、刑事事件も含む複雑な裁判へと発展しました。

事件の背景

岩手県北部に位置する小繋地区の小さな集落の住民は、古くから約2000ヘクタールに及ぶ小繋山を生活の基盤としてきました。この山は住民の入会地として自由に利用されており、農業に不可欠な肥料や飼料となる落ち葉や草、さらには建築資材となる木材、燃料、食料などがここから調達され、住民の暮らしを豊かに支えていました。

明治時代に行われた地租改正に伴う官民有区別処分において、小繋山は共有林や村有林ではなく民有地と区分されました。この際に交付された地券の名義は、地区の代表者であった立花喜藤太とされました。その後、立花は1897年に住民の意向を確認することなく山林を第三者へ譲渡し、最終的に1907年には鹿志村亀吉の所有となりました。

所有者の変更後も、住民による山林の入会利用は慣習として続けられていました。しかし、1915年に村で大火が発生し、住民が住宅再建などのために山から木材を持ち出そうとした際、所有者の鹿志村は警察力を背景に住民の入山を実力で阻止するようになりました。この出来事を機に、小繋地区の住民は鹿志村を支持するグループと、入会権の侵害に反対するグループに分裂し、深刻な対立が生じました。

裁判の経過

入会権が侵害されたと感じた反対派住民は、鹿志村とその支持者を相手取り、入会権に基づく山林利用への妨害行為の排除を求める民事訴訟を1917年に提起しました。この民事訴訟は、戦前と戦後にわたり合計二度にわたって争われることになります。

第一次民事訴訟（1917年提訴）

この訴訟では、住民側は敗訴を重ねます。1932年の盛岡地方裁判所判決では、住民の入会権は放棄されたと判断され、住民側は控訴しました。続く1936年の宮城控訴院も原判決を支持し、控訴を棄却したため、住民側は大審院へ上告。しかし、1939年の大審院判決でも原判決が維持され、上告は棄却され、住民側の敗訴が確定しました。

第二次民事訴訟（1946年提訴）

戦後に入り、住民側は再び入会権の確認などを求めて民事訴訟を提起します。1951年の盛岡地方裁判所は、第一次訴訟と同様に入会権が放棄されたと判断し、住民側は再び敗訴、控訴しました。1953年、仙台高等裁判所において職権による調停が成立します。その内容は、「住民は今後入会権を主張しない代わりに、鹿志村は山林150ヘクタールを住民に譲渡する」というものでした。しかし、この調停は原告代表者の一人が他の利害関係人に十分に周知しないまま進めたため、一部の原告が調停の無効確認や期日指定の申立てを行いました。これに対し、1955年7月の仙台高等裁判所判決は、既に調停は確定しているとして申立てを退け、同年8月に判決が確定しました。形式的には調停が成立した形となりましたが、住民側の内部対立を残す結果となりました。

刑事事件

小繋事件は、住民が山林に入って木材を伐採した行為などを巡り、森林法違反などで刑事事件としても二度にわたり争われました。

第一次刑事事件（1944年提訴）
1944年に反対派住民が自らの入会権を行使しようとして行った伐採行為が森林窃盗として訴追されました。1945年4月の盛岡区裁判所は有罪判決を下しましたが、同年9月の宮城控訴院は無罪判決を言い渡し、住民側は逆転無罪となりました。

第二次刑事事件（1955年起訴）
1955年10月、再び反対派住民が山林で伐採を行ったとして、森林法違反、窃盗、封印破棄の容疑で起訴されました。1959年の盛岡地方裁判所は、窃盗と封印破棄については有罪としたものの、森林法違反については入会権の存在を認め無罪とする一部無罪判決を下しました。しかし、被告人・検察双方から控訴が出されます。1963年の仙台高等裁判所は、森林法違反についても入会権の存在を認めず有罪判決に変更したため、住民側は最高裁判所へ上告しました。1966年、最高裁判所は高裁判決を支持し、有罪が確定しました。この最高裁判決では、入会権は民事調停によって消滅しうること、また財産処分権限を持つ代表者が土地を売却した場合、入会権は消滅し、買主に対して権利を主張できず、代表者の不正行為に対しては損害賠償を請求できるにとどまる、という解釈が示されました。

事件の影響と後世への継承

小繋事件は、1917年の提訴から1966年の最高裁判決まで、実に約50年という極めて長期間にわたる係争となりました。この間、戒能通孝（かいのう つうこう）をはじめとする法学者や弁護士が住民側を支援したほか、多くの新聞記者、ドキュメンタリーカメラマンの菊地周、写真家の川島浩、ドキュメンタリー作家の篠崎五六らが現地に入り、事件を報道・記録しました。これは、日本の社会における入会権という慣習的な権利と、近代的な所有権や法体系との衝突、そして地域住民の生活と権利を守ろうとする運動の歴史を示す重要な事例として、大きな注目を集めました。

最高裁で住民側の最終的な敗訴が確定した後も、小繋事件は入会地問題やコモンズ（共有資源）に関する議論の中で、日本の重要な事例として参照され続けています。2009年には、この事件をテーマにしたドキュメンタリー映画『こつなぎ 山を巡る百年物語』が製作されるなど、現代においても歴史的な教訓として語り継がれています。

参考文献

戒能通孝『小繋事件−三代にわたる入会権紛争』（1964年）

関連項目

入会地
コモンズ
ローカル・コモンズ
* 里山

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