小言幸兵衛

小言幸兵衛（こごとこうべえ）

古典落語の代表的な演目の一つ。江戸時代の家主が主人公となり、その独特な人柄と、部屋を借りに来た人々とのやり取りを通じて笑いを誘います。

由来と背景

この噺の元になったのは、正徳2年（1712年）に出版された笑話集『新話笑眉』に収められた「こまったあいさつ」という話です。元々は上方落語の「借家借り」という演目でした。後に江戸に伝わり、「小言幸兵衛」として演じられるようになりました。歴代の多くの噺家によって演じられており、特に六代目三遊亭圓生、九代目桂文治、十代目柳家小三治などが知られています。また、「搗屋（つきや）幸兵衛」という別名で呼ばれることもあります。

あらすじ

物語の舞台は江戸・麻布古川。主人公の幸兵衛は、自身が管理する長屋の住人たちに、四六時中細かい文句ばかりつけて回る癖があり、周囲からは「小言幸兵衛」とあだ名されています。

ある日、部屋を借りたいという客が立て続けに幸兵衛のもとを訪れます。まず現れたのは腰の低い豆腐屋。人当たりも良さそうですが、幸兵衛は些細なことで難癖をつけ、結局彼は気分を悪くして帰ってしまいます。次にやってきたのは仕立屋。彼もまた丁寧な態度で応対しますが、やはり幸兵衛のしつこい小言に閉口し、部屋を借りるのを諦めて立ち去ります。

ところが、三人目に現れた男は様子が全く違います。非常に態度が大きく、威勢のいい話し方をする男に、さすがの幸兵衛も気圧されます。恐る恐るその職業を尋ねると、男は自信たっぷりに「鉄砲鍛冶だ」と答えます。これを聞いた幸兵衛は、「なるほど、道理でポンポン言い通しだ」と感心したような、呆れたような一言を漏らす、というのがこの噺の基本的な形です。

バリエーションと内容

「小言幸兵衛」には、「搗屋幸兵衛」と呼ばれる際に含まれる別のエピソードが存在します。本来の形では、豆腐屋が来る前に、長屋に部屋を借りに来た搗米屋が登場し、幸兵衛に説教される一幕がありました。

この搗米屋が登場する部分では、以下のような話が語られます。

幸兵衛の後妻が、仏壇に安置してある先妻の位牌が毎晩後ろ向きになっていることに気付き、これは亡霊の祟りではないかと深く思い悩んで病気になり、ついには死んでしまった、というのです。後にその奇妙な現象の原因が判明します。隣に越してきた搗米屋が、夜明け前から米を搗く際の振動が位牌に伝わり、毎日少しずつ向きが変わって後ろを向いてしまっていた、というわけです。幸兵衛は搗米屋に対し、「同業のてめえも、その位牌を後ろ向きにさせた仇の片割れだ」と詰め寄り、因果応報を持ち出して脅迫し、搗米屋を慌てて逃げ出させてしまう、という筋書きです。現在では、この搗米屋のエピソードは独立した別の噺として演じられることが一般的で、「小言幸兵衛」として演じられる際は、前述の豆腐屋、仕立屋、鉄砲鍛冶が登場する部分が主に演じられます。

江戸時代の家主の立場

この噺の背景には、江戸時代の家主の複雑な立場があります。家主は単に地主から建物の管理を任された存在というだけでなく、町の運営に関わる役人（町役）の一端も担っていました。そのため、長屋の住人の生活全般に対して強い権限を持っており、時にはトラブルの仲裁や、住人の素行に関する責任も負いました。

特に重要なのは、店子（借家人）が不祥事を起こした場合、家主にも連帯責任が課せられたことです。これは犯罪行為だけでなく、業務上の過失による事故なども含まれました。例えば、八代将軍徳川吉宗の時代に制定された法典『公事方御定書』によれば、大八車で人を轢いて死亡させた場合、車を引いていた者は死罪、荷物の持ち主には重い罰金（過料）、そしてその家主にも罰金が科せられました。こうした厳しい責任を負う立場から、家主が部屋を貸す相手を選ぶ際に細心の注意を払うのは当然のことでした（ただし、幸兵衛の疑い深さは常軌を逸していますが）。また、同じ町内に競合する商売が増えすぎないように職業のバランスに気を配る必要などもあり、江戸時代の家主は相当なストレスを抱える役職だったと言えます。

派生作品と慣用句

『小言幸兵衛』は、後世の様々な作品にも影響を与えています。SF作家・星新一のショートショート集『マイ国家』に収録されている「いいわけ幸兵衛」という作品は、あらゆる遅刻や失敗に対して完璧な言い訳をする男が主人公です。彼は言い訳があまりに巧みなため、誰も彼を責めることができず、ついには社長にまで昇進してしまいます。作中には、その男の言い訳を聞いた同僚が「あいつは“小言幸兵衛”の子孫じゃないか」と語る場面があり、本作をアイデアの源泉としていることがうかがえます。

また、ニッポン放送のアナウンサーである吉田尚記氏が、十三代目冷奴という名義で現代風にアレンジした「Twitter幸兵衛」という噺も存在します。

さらに、この噺の主人公である幸兵衛の人物像から転じて、些細なことにもうるさく口出しをする、口やかましい人を指して「小言幸兵衛」という言葉が慣用句として用いられることもあります。

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