山口武秀

昭和時代、農民運動と政治の世界で名を馳せた人物に山口武秀（やまぐちたけひで、1915年 1月13日 - 1992年 8月23日）がいます。茨城県の旧家地主兼廻船問屋という恵まれた環境に生まれながら、日本の農村が抱える困難に立ち向かう道を選び、その生涯を通じて激しい闘争を繰り広げました。

青年期から戦前

山口は茨城県鹿島郡鉾田町（現在の鉾田市）の裕福な家庭に生まれました。地元の鉾田中学校で学びますが、東京で学ぶ姉から資本主義社会の矛盾について教えられたことが、彼の人生の転機となります。1931年、中学校を中退し、農民の権利向上を目指す運動に身を投じました。若くして全国農民組合の活動家として頭角を現し、特に18歳の時には千葉県の農村紛争に関与してその名を知られるようになります。

1933年には日本共産党に入党し、運動をさらに推し進めます。しかし、幾度かの検挙を経験する中で思想的な転向を余儀なくされ、社会大衆党へと籍を移しました。1937年には全国農民組合茨城県連合会の書記長に就任。日中戦争が始まる中、前線兵士への慰問袋に農村の窮状を訴える内容の手紙を忍ばせるという独自の活動を指導したことが問題視され、同年末に再び検挙されます。これにより、彼は通算で約6年にも及ぶ獄中生活を送ることとなり、日本の敗戦直前にようやく釈放されました。

戦後と常東農民組合

長い投獄生活を経て自由の身となった山口は、1945年の終戦後、すぐに農民運動を再開します。1946年1月には「常東農民組合」を結成し、その委員長として、農民が利用できる山林や原野、旧軍用地の開放を求める運動を精力的に展開しました。常東農民組合は急速に勢力を拡大し、最盛期には組合員数3万5千人、専従の活動家（オルグ）10人を擁する巨大組織へと成長します。その強大な影響力から、地域では「山口共和国」とまで称されるほどでした。山口自身も組合員や支持者から「天皇」「大将」「親分」「先生」など、様々な異名で呼ばれ、カリスマ的な指導者として君臨しました。この常東農民組合は、1962年に解散するまで、全国でも類を見ないほど激しい闘争戦術を辞さない、最大最強クラスの農民組織として知られることとなります。

政治活動

農民運動での実績を背景に、山口は政治の世界にも進出します。1947年に行われた第23回衆議院議員総選挙では、茨城1区から日本農民組合の候補として出馬し、見事に当選を果たしました。続く1949年の第24回総選挙でも、労働者農民党から立候補し、連続当選を果たします。政治家としての活動と並行して、1949年にはかつて離れた日本共産党に再入党します。しかし、1952年に日本農民組合が分裂した際、運動の進め方を巡る方針の違いから、翌1953年には共産党を除名されることになります。その後は、特定の党派に属さず、独自の立場から農民運動や社会運動を継続しました。衆議院議員選挙には、1953年の第26回、1955年の第27回にも茨城1区から立候補しましたが、いずれも落選し、国政から退きました。

晩年と住民運動

国政の場から離れた後も、山口の活動は衰えを知りませんでした。特に昭和40年代（1965年以降）からは、大規模な開発計画や環境問題に反対する住民運動に強い関心を示し、積極的に関与するようになります。彼は、新東京国際空港（現・成田国際空港）建設に反対する三里塚闘争や、茨城県の霞ヶ浦で行われた高浜入干拓反対闘争など、当時の主要な住民運動に関わり、自らの経験に基づいた戦術的な助言を行いました。

思想と人物像

山口は、戦後日本の農民運動が勢いを失った最大の要因を、連合国軍総司令部（GHQ）による農地改革にあったと分析していました。彼はこの改革を「マック（マッカーサー）にしてやられた」と評し、この改革によって「日本における革命のチャンスはなくなった」とまで考えるほど、強い危機感を抱いていました。

三里塚闘争においては、反対派の中心地である天神峰の現地闘争本部に寝泊まりし、反対同盟の幹部たちに具体的な戦術を授けました。特に、空港予定地の強制代執行が行われる際、周辺地域から多くの野次馬（支援者や見物人）を集めて機動隊と対峙させるという作戦を提案・実行に移したことは、彼の戦術家としての側面を示しています。彼は新左翼勢力を、あくまで闘争を進めるための手段と見なすという合理的な考え方を持っており、その指示は機能的であったとされます。1971年に発生した東峰十字路事件のような激しい衝突が起きた際も、「これが有利となるか、不利となるか。これからは大変なことになる」と、感情的にならず冷静に状況を分析していたと言われています。

しかし、三里塚での活動は常に順風満帆ではありませんでした。彼は、反対同盟代表であった戸村一作の指導力に対して公然と疑問を呈するなど、運動の方向性を巡る対立が表面化します。さらに、山口の活動が彼の個人的な利益のためであるという噂も流れるようになり、代執行後に山口は三里塚の地を去ることとなります。

また、1978年の成田空港管制塔占拠事件についても、事件実行前に計画を知らされた際、「これは成功するでしょう。しかしながら、そのあとの弾圧はすごいことになりますよ」と、その後の展開を的確に予測していたというエピソードが残っています。

彼の生涯は、常に社会の底辺に置かれた農民の声に耳を傾け、時には強烈なリーダーシップを発揮し、時には冷静な戦術家として、激動の昭和期を駆け抜けた人物像を浮かび上がらせます。

著作

山口武秀は、自らの経験や思想を著書として発表しています。主なものに、『旗は大地と共に』（潮流社）、『農民運動家の記録』、『戦後日本農民運動史』、『常東より三里塚へ』、『水戸天狗党物語』（いずれも三一書房または三一新書）などがあり、これらは彼の活動と思想を知る上で貴重な資料となっています。

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