弦楽五重奏曲第2番 (ブラームス)
ヨハネス・ブラームスが晩年の1890年夏、オーストリアの保養地バート・イシュルで完成させた弦楽五重奏曲第2番ト長調作品111は、作曲家が自らの創作活動の終焉を意識し始めた頃の重要な作品です。この作品は、一般的な弦楽四重奏にヴィオラをもう一本加えた特殊な編成のために書かれており、重厚かつ色彩豊かな響きを生み出しています。ブラームスは本作の完成後まもなく、親しい友人に宛てた手紙で「これで私の音符にはお別れできます」と記し、翌年には遺書を作成するなど、身辺整理を進めていました。その意味で、本作はブラームスが作曲家としてのピリオドを打とうと考えていた時期の心情が映し出された作品と言えるでしょう。
この五重奏曲は、完成した年の1890年11月11日にウィーンで、ロゼ四重奏団を中心とするメンバーによって初演されました。翌年には、ブラームス自身によるピアノ四手連弾編曲版とともに、ジムロック社から出版されています。
作品全体の雰囲気については、伝記作家マックス・カルベックに興味深いエピソードが残されています。この五重奏のリハーサル後、カルベックが「プラーター公園のブラームス」という愛称を提案したところ、ブラームスはウインクで応じ、「いいですね、可愛いお嬢さん方がたくさんいますからね！」と答えたといいます。このエピソードが示すように、作品のいくつかの部分にはウィーン風のワルツを思わせる主題が散りばめられており、終結部ではブラームスが得意としたロマの音楽の影響も色濃く表れています。
作品に対する評価は、ブラームス自身の複雑な心境を反映してか、様々です。ブラームスの盟友でもあったエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルク夫人は、完成した楽譜を見て「春の風を感じるようです。（中略）このような作品を生み出す作曲家は、きっと幸せな気持ちでいらっしゃるのでしょう」と感想を述べ、その後の評論家たちも、第1番と同様の全面的に楽天的な雰囲気を指摘することがありました。しかし一方で、音楽学者の西原稔氏は、この作品には晩年のブラームスが感じていた老いや孤独といった心境の変化が反映されており、「深い厭世観に満たされている」と指摘しています。これらの対照的な評価は、作品が単なる快活さだけではない、ブラームスの円熟した多層的な感情を内包していることを示唆しています。
作品は全4楽章で構成されており、全体の演奏時間はおよそ30分です。
Allegro non troppo, ma con brio、ト長調。ソナタ形式で書かれています。上声部の波打つような伴奏に乗って、チェロが力強くも開放的な第一主題を奏でて始まります。この主題はブラームスの作品としては珍しく明るく伸びやかで、リヒャルト・シュトラウスの音楽と比較されることもあるほどです。伝記作家カルベックは、この主題が未完に終わった交響曲のために用意されていた素材の転用ではないかという説を唱えています。冒頭のチェロの主題を際立たせるため、ブラームスは他のパートに常に強く演奏するように指示を出しており、出版にあたってはヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒムとこの指示を変更するか検討したものの、最終的にはそのままの形で出版されました。
オーケストラを思わせるような響きから、室内楽的なテクスチュアに変化すると、ヴィオラによって優美なウィーン風の第二主題が現れ、その後ヴァイオリンに引き継がれます。変ロ長調で静かに始まる展開部では、第一主題に含まれる動機が徹底的に探求され、広々とした雰囲気の再現部へと繋がります。
Adagio、ニ短調。ヴィオラによって提示される印象的な主題に基づいた、自由な変奏曲形式です。この楽章の陰鬱な雰囲気は、メンデルスゾーンの弦楽五重奏曲第2番の緩徐楽章との類似が指摘されています。音楽評論家ドナルド・フランシス・トーヴィーは、この楽章を「ブラームスの悲劇的な吐露の中でも、特に印象深いものの一つ」と高く評価しています。老いや孤独といった作曲家の内面が深く表現された、この五重奏曲の中心をなす楽章と言えるでしょう。
Un poco Allegretto、ト短調。穏やかなスケルツォ、あるいはインテルメッツォの性格を持ち、ワルツのリズムが特徴的です。音楽学者の門馬直美氏は、この楽章の雰囲気を「悲しみを抑えながら無理に微笑しているような感じ」と表現しています。中間部のトリオはト長調に転じ、ヴィオラとヴァイオリンがそれぞれ二重奏を交替で奏で、明るく軽やかな対比を生み出しています。
Vivace ma non troppo presto、ロ短調からト長調へ。ロンドソナタ形式で書かれており、ブラームスが愛したハンガリーのロマの音楽の影響が強く現れています。細かく動き回る主要主題は、主調とは異なるロ短調で提示されます。続く副主題はニ長調で、三連符のリズムに乗って牧歌的で素朴な雰囲気を醸し出しています。副主題が主調であるト長調で再現され、主要主題が短く示された後、コーダへと突入します。コーダではテンポがアニマートに上がり、熱狂的な舞曲によってト長調で華やかに全曲が締めくくられます。
この弦楽五重奏曲第2番は、ブラームスが自らの創作活動の終わりに意識を向けつつも、なお尽きせぬ楽想と円熟した技法を示した傑作であり、彼の室内楽作品の中でも特に重要な位置を占めています。
この五重奏曲は、完成した年の1890年11月11日にウィーンで、ロゼ四重奏団を中心とするメンバーによって初演されました。翌年には、ブラームス自身によるピアノ四手連弾編曲版とともに、ジムロック社から出版されています。
作品全体の雰囲気については、伝記作家マックス・カルベックに興味深いエピソードが残されています。この五重奏のリハーサル後、カルベックが「プラーター公園のブラームス」という愛称を提案したところ、ブラームスはウインクで応じ、「いいですね、可愛いお嬢さん方がたくさんいますからね！」と答えたといいます。このエピソードが示すように、作品のいくつかの部分にはウィーン風のワルツを思わせる主題が散りばめられており、終結部ではブラームスが得意としたロマの音楽の影響も色濃く表れています。
作品に対する評価は、ブラームス自身の複雑な心境を反映してか、様々です。ブラームスの盟友でもあったエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルク夫人は、完成した楽譜を見て「春の風を感じるようです。（中略）このような作品を生み出す作曲家は、きっと幸せな気持ちでいらっしゃるのでしょう」と感想を述べ、その後の評論家たちも、第1番と同様の全面的に楽天的な雰囲気を指摘することがありました。しかし一方で、音楽学者の西原稔氏は、この作品には晩年のブラームスが感じていた老いや孤独といった心境の変化が反映されており、「深い厭世観に満たされている」と指摘しています。これらの対照的な評価は、作品が単なる快活さだけではない、ブラームスの円熟した多層的な感情を内包していることを示唆しています。
作品は全4楽章で構成されており、全体の演奏時間はおよそ30分です。
第1楽章
Allegro non troppo, ma con brio、ト長調。ソナタ形式で書かれています。上声部の波打つような伴奏に乗って、チェロが力強くも開放的な第一主題を奏でて始まります。この主題はブラームスの作品としては珍しく明るく伸びやかで、リヒャルト・シュトラウスの音楽と比較されることもあるほどです。伝記作家カルベックは、この主題が未完に終わった交響曲のために用意されていた素材の転用ではないかという説を唱えています。冒頭のチェロの主題を際立たせるため、ブラームスは他のパートに常に強く演奏するように指示を出しており、出版にあたってはヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒムとこの指示を変更するか検討したものの、最終的にはそのままの形で出版されました。
オーケストラを思わせるような響きから、室内楽的なテクスチュアに変化すると、ヴィオラによって優美なウィーン風の第二主題が現れ、その後ヴァイオリンに引き継がれます。変ロ長調で静かに始まる展開部では、第一主題に含まれる動機が徹底的に探求され、広々とした雰囲気の再現部へと繋がります。
第2楽章
Adagio、ニ短調。ヴィオラによって提示される印象的な主題に基づいた、自由な変奏曲形式です。この楽章の陰鬱な雰囲気は、メンデルスゾーンの弦楽五重奏曲第2番の緩徐楽章との類似が指摘されています。音楽評論家ドナルド・フランシス・トーヴィーは、この楽章を「ブラームスの悲劇的な吐露の中でも、特に印象深いものの一つ」と高く評価しています。老いや孤独といった作曲家の内面が深く表現された、この五重奏曲の中心をなす楽章と言えるでしょう。
第3楽章
Un poco Allegretto、ト短調。穏やかなスケルツォ、あるいはインテルメッツォの性格を持ち、ワルツのリズムが特徴的です。音楽学者の門馬直美氏は、この楽章の雰囲気を「悲しみを抑えながら無理に微笑しているような感じ」と表現しています。中間部のトリオはト長調に転じ、ヴィオラとヴァイオリンがそれぞれ二重奏を交替で奏で、明るく軽やかな対比を生み出しています。
第4楽章
Vivace ma non troppo presto、ロ短調からト長調へ。ロンドソナタ形式で書かれており、ブラームスが愛したハンガリーのロマの音楽の影響が強く現れています。細かく動き回る主要主題は、主調とは異なるロ短調で提示されます。続く副主題はニ長調で、三連符のリズムに乗って牧歌的で素朴な雰囲気を醸し出しています。副主題が主調であるト長調で再現され、主要主題が短く示された後、コーダへと突入します。コーダではテンポがアニマートに上がり、熱狂的な舞曲によってト長調で華やかに全曲が締めくくられます。
この弦楽五重奏曲第2番は、ブラームスが自らの創作活動の終わりに意識を向けつつも、なお尽きせぬ楽想と円熟した技法を示した傑作であり、彼の室内楽作品の中でも特に重要な位置を占めています。
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