心中 (川端康成)

川端康成の掌編小説『心中』

川端康成の短編小説『心中』は、「愛のかなしさ」を主題とし、時空を隔てた不思議な現象を取り入れた、心霊的・神秘的な作風が特徴です。川端の数多くの掌編小説の中でも、特に評価の高い代表作の一つとして知られています。

作品概要

『心中』は、1926年（大正15年）に『文藝春秋』に発表され、その後、処女作品集『感情装飾』や『僕の標本室』にも収録されました。また、英語、ロシア語、ポーランド語、中国語など、多くの言語に翻訳されており、海外でも広く読まれています。

あらすじ

物語は、2年前に家を出た夫から妻に届く手紙から始まります。遠い土地から送られてきたその手紙には、以下のような奇妙な命令が書かれていました。

「子供にゴム毬をつかせるな。その音が聞こえてくる。その音が俺の心臓を叩くのだ」
「子供を靴で学校に通わせるな。その音が聞こえてくる。その音が俺の心臓を踏むのだ」
「子供に瀬戸物の茶碗で飯を食わせるな。その音が聞こえてくる。その音が俺の心臓を破るのだ」

妻は、夫の命令に従い、娘からゴム毬を取り上げ、フェルト草履を与え、自分の箸で食事を与えるようになります。しかし、娘は泣き、学校に行かなくなってしまいます。そして、娘が自分の茶碗を取り出した時、妻はそれを庭石に投げつけます。「夫の心臓が破れる音」を感じたからでしょう。さらに、妻は自分の茶碗も投げつけ、食卓を突き飛ばし、壁に体を打ち付け、襖を破り、さまざまな音を試します。娘の頬を叩き「おお、この音を聞け」と叫びます。

すると、夫から新たな手紙が届きます。「お前達は一切の音を立てるな。戸障子の開け閉めもするな。呼吸もするな。お前達の家の時計も音を立ててはならぬ」と。妻は手紙を読み、「お前達、お前達、お前達よ」と呟きながら涙を流します。それから、母と娘は一切の音を立てなくなり、不思議なことに、死んだ2人と枕を並べて夫も死んでいました。

登場人物

夫: 2年前に妻子を捨てて家を出た男。手紙を通じて妻に奇妙な命令を伝える。
彼女: 夫の妻。夫と娘と幸せに暮らしていた過去を思い出す。
娘: 夫と妻の娘。9歳。

作品背景

川端康成は、心霊的なものへの強い関心を持っており、『心中』は、そうした関心が反映された作品の一つです。彼は、カミーユ・フラマリオンやオリバー・ロッジなどの心霊学の著書を読んでおり、作中には、遠隔透視や未来予知などの心霊現象が取り入れられています。

川端は、幼少期に親族を次々と亡くした経験から、「生の不滅を信じたい心」や「死の超越」という意識を持つようになり、心霊学に惹かれたと考えられています。また、育った環境や、身近にいた信仰や心霊的なものと関わりの深い人物の影響も指摘されています。

川端の自作解題

川端康成は、『心中』について、「愛のかなしさを突いたつもりであった」と述べています。また、「神秘的なものが匂う」作品の一つであり、「精神の一つの見方としてこのような方法を取った」とも語っています。

作品評価

『心中』は、同時代から高い評価を受けていました。特に、梶井基次郎は、この作品に魅せられ、独自の解釈を加えたオマージュ作品を発表しています。梶井は、川端の『心中』を分析し、その心理描写や表現力を高く評価しました。

後年の評価としても、伊藤整や星新一など、多くの作家や研究者から絶賛されています。川端の掌編小説を代表する作品の一つとして位置づけられており、「愛のかなしさ」というテーマだけでなく、聴覚表現や自他未分の意識など、様々な観点から研究されています。

同時代評価: 梶井基次郎は、川端の『心中』に刺激を受け、ヴァリエーション作品を発表。その中で、川端作品の「神秘」を「平凡化」させる試みをしながらも、その表現力を高く評価しました。
後年の評価: 伊藤整は「魂の叫びのよう」と絶賛。星新一は、何度生まれ変わっても書けない作品だと語り、その結末に「深淵の空間」を感じたと述べています。研究者からは、愛の悲哀や自他未分の意識構造など、様々な観点から分析が行われています。

作品の特徴と影響

『心中』は、以下の点で、川端康成の文学性を代表する作品と言えるでしょう。

心霊的な要素: 遠隔透視や物体隔動などの心霊現象を取り入れ、物語に独特の雰囲気を醸し出している。
聴覚表現: 音を通じて登場人物の心理や感情を表現し、読者の想像力を刺激する。
愛の悲哀: 愛するが故に起こる悲劇を描き、読者の心を揺さぶる。
自他未分の意識: 登場人物の意識が融合し、境界線があいまいになる様子を描くことで、日本的な意識構造を表現している。

また、この作品は、その後の川端文学に大きな影響を与え、他の作品にも、同様のテーマや表現が見られることがあります。川端文学を理解する上で、欠かせない作品の一つと言えるでしょう。

まとめ

『心中』は、川端康成の独特な世界観が凝縮された、傑作掌編小説です。愛の悲しみ、心霊的な要素、聴覚表現、自他未分の意識など、さまざまな要素が複雑に絡み合い、読者に深い感動を与えます。川端文学に触れる上で、まず最初に読むべき作品の一つとして、ぜひおすすめします。

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