懿公 (衛)

[衛]の懿公(いこう)：鶴を愛した君主の悲劇

紀元前7世紀、[衛]という国に、19代君主として即位した懿公(いこう)は、恵公の子として生まれました。しかし、彼の在位は、奢侈と無策、そして悲劇的な最期によって彩られることになります。

即位後、懿公は鶴を偏愛しました。大夫の乗る車に鶴を乗せたり、鶴に官職を与えたりするなど、その愛は度を超えていました。民衆や大臣たちは、懿公のこのような傍若無人な振る舞いに不満を募らせ、次第にその支持を失っていきました。

その結果、衛は周辺諸国との関係も悪化します。紀元前666年、衛が王子穨(たい)という人物を匿っていたことが周王朝の怒りを買い、斉(き)による攻撃を受けました。懿公は賄賂によって斉の攻撃を退けましたが、これは一時的な解決に過ぎませんでした。

そして、紀元前660年、事態は最悪の事態へと転落します。北方の異民族である翟(てき)の侵攻を受けたのです。出兵を命じた懿公でしたが、民衆の支持を失っていた彼は、兵士たちの従順を得ることができませんでした。大臣たちは「鶴が好きならば、鶴に翟を撃たせたら良いでしょう」と皮肉を言う始末でした。

絶望的な状況の中、懿公は少数の兵を率いて翟軍と対峙しますが、戦場で矢の集中攻撃を受け、戦死してしまいます。衛の都、朝歌は翟軍によって陥落し、多くの民衆は故郷を追われました。残された5000人の遺民は、姫申(たいこう)を新たな君主として擁立し、曹(そう)へと遷都せざるを得ませんでした。

懿公の最期は、想像を絶するものでした。『呂氏春秋』によると、懿公は翟人に殺害され、その肝臓だけが遺されたと言われています。この悲劇的な光景を目撃した寵臣の弘演は、深い悲しみと憤りに駆られ、自害してしまいます。そして、遺言通り、自身の肝臓を懿公の代わりに埋葬したというのです。

懿公の生涯は、権力者の驕りと、民衆の怒り、そして異民族の侵略という、様々な要素が絡み合った悲劇でした。鶴への異常な愛情が、彼の破滅を招いたと言っても過言ではありません。中国史上、人間に食べられた唯一の君主という、特異な最期も、彼の生涯を象徴する出来事と言えるでしょう。彼の物語は、指導者のあり方、そして民衆との調和の重要性を改めて問いかける、歴史の教訓となっています。

参考資料

『春秋左氏伝』（荘公二十八年、閔公二年）
司馬遷『史記』（衛康叔世家第七）

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