我アルカディアにもあり

ニコラ・プッサン『我アルカディアにもあり』：理想郷に潜む死の影

ニコラ・プッサン（1594年 - 1665年）は、17世紀フランスを代表する画家であり、古典主義絵画の巨匠として知られています。彼の代表作の一つである『我アルカディアにもあり』（1637-1638年頃）は、ルーヴル美術館に所蔵されており、多くの人々を魅了し続けています。この作品は、一見すると牧歌的な風景の中に、人間の存在や死といった哲学的なテーマが織り込まれた深遠な絵画です。

アルカディアとは何か

アルカディアは、古代ギリシャのペロポネソス半島にある地方で、古来より理想郷、地上の楽園とされてきました。詩人たちはこの地を、日々の悩みや社会的な制約から解放された、黄金時代の理想郷として描き出しました。しかし、プッサンの描くアルカディアは、単なる理想郷ではありません。それは、「死を想え」という「メメント・モリ」の思想を内包した場所なのです。

絵画の構成と意味

絵画には、岩山を背景に、大きな石碑を囲む4人の人物が描かれています。一人の牧人が石碑に刻まれた碑文を読み解こうとし、別の牧人が運命の女神に問いかけるような眼差しを向けています。石碑に刻まれているのは「Et in Arcadia ego」（我アルカディアにもあり）という言葉です。この碑文は、アルカディアのような理想郷にも死は存在するという事実を示唆しています。彼らは死者の追憶にふけり、誰にでも訪れる死について思いを巡らせているのです。

プッサンの作品は、先行するグエルチーノの同名の作品（1618-1622年）にも影響を受けています。グエルチーノの作品では、髑髏が「死」を象徴するものとして描かれています。プッサンの作品では、髑髏は直接的には描かれていませんが、碑文を通して「死」の存在が暗示されています。

古典的美意識の完成

プッサンの『我アルカディアにもあり』は、彼の古典的美意識が完成された作品としても評価されています。初期の作品（1627年）と比較すると、人物の表情や服装、構図などが大きく変化していることがわかります。初期の作品では、牧人たちは好奇心に満ちた表情をしており、女性は官能的な服装をしています。しかし、ルーブル美術館に所蔵されている作品では、女性は厳粛な女性像に置き換えられ、構図も安定した均衡のあるものになっています。人物群はレリーフのように配置され、完璧なバランスを保っています。プッサンの円熟した様式は、これらの人物像の描写に明らかです。

哲学的な問いかけ

『我アルカディアにもあり』は、単なる風景画ではなく、人間の存在や死といった根源的な問いを投げかける作品です。プッサンは、アルカディアという理想郷を舞台に、人間の幸福と死の必然性について考察を深めました。この絵画を前にしたとき、私たちは誰しも、自身の人生や死について考えさせられることでしょう。

まとめ

ニコラ・プッサンの『我アルカディアにもあり』は、美しさと深遠さを兼ね備えた傑作です。この作品は、理想郷に潜む死の影を描き出し、観る者に永遠の問いを投げかけます。ルーヴル美術館を訪れた際には、ぜひこの作品を鑑賞し、プッサンの描く哲学的な世界に浸ってみてください。

参考文献

坂本満 責任編集『NHKルーブル美術館VI フランス芸術の花』、日本放送出版協会、1986年刊行 ISBN 4-14-008426-X
ヴァンサン・ポマレッド監修・解説『ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年刊行、ISBN 978-4-7993-1048-9
辻邦生・高階秀爾・木村三郎『カンヴァス世界の大画家14 プッサン』、中央公論社、1984年刊行 ISBN 4-12-401904-1
W.フリードレンダー 若桑みどり訳『世界の巨匠シリーズ プッサン』、美術出版社、1970年刊行 ISBN 4-568-16023-5

外部リンク

* ルーヴル美術館公式サイト、ニコラ・プッサン『我アルカディアにもあり』 (フランス語)

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