暗黒の魔像
クラーク・アシュトン・スミスの短編小説『暗黒の魔像』（原題：The Dark Eidolon）は、ファンタジーやホラーの専門誌『ウィアード・テールズ』1935年1月号に掲載された作品です。スミスが独自に創造した終末感漂う未来大陸、ゾティークを舞台としており、その退廃的な世界観を色濃く反映しています。一般的にクトゥルフ神話関連作品とされますが、他の神話大系との直接的な関連性はそれほど強くありません。
物語の舞台となるゾティーク大陸は、遥か遠い未来の地球に位置します。太陽の輝きは衰え、かつて隆盛を極めた科学文明は滅び去り、その代わりに太古から伝わる妖術や魔法が再び力を取り戻しています。ハイパーボリア、ムー、アトランティスといった古代文明で崇拝されていた神々も、永い時を経て名を変え、このゾティーク大陸に再来していると語られます。
物語は、クシュラクの首都ウッマオスで始まります。幼い孤児だったナルトスは、傲慢な王子ゾトゥッラによって無残にも馬に踏みつけられるという、深い屈辱を味わいます。この出来事が、彼の心に消しがたい恨みを植え付けました。やがて時が流れ、王子は皇帝ゾトゥッラとして国を専制的に支配し、ナルトスは故郷を離れ、名をナミッラと改めた強大な魔術師へと変貌を遂げます。皇帝ゾトゥッラの悪政と、妖術師ナミッラの恐るべき力は、いずれも民衆にとって脅威として語られるようになります。かつての復讐を果たすべく、力を蓄えたナミッラは、ついに皇帝のいる首都へと舞い戻ります。
都に戻ったナミッラは、王宮の眼前に、一夜にして巨大で異様な館を出現させます。その姿を見せないナミッラの真意を測りかねた皇帝ゾトゥッラは、これを無視することを決め込みます。一方、堕落しきった市民たちは、悪の妖術師の到来をむしろ歓呼の声で迎える有様でした。しかし、平穏は長く続きません。やがて王宮の庭園が、「見えない馬」によって激しく踏み荒らされるという奇怪な事件が発生します。これに激怒した皇帝は、翌夜には宮殿の前廊や露台が、さらに翌々夜には宮殿内部の廊下までが同様に荒らされ、傷つけられる事態に見舞われます。混乱の最中、皇帝のもとへ、ナミッラから館への招待状が届きます。
ナミッラの館に足を踏み入れた皇帝は、部屋に安置された魔神タサイドンの像を目にします。ナミッラは自信満々に振る舞い、自らをタサイドンと対等であるかのように語ります。彼は、皇帝ゾトゥッラへの復讐のために魔神タサイドンの助力を願います。しかし、悪徳と堕落を司るタサイドンは、ゾトゥッラの邪悪さや民衆の退廃をむしろ称賛し、ナミッラの個人的な復讐という動機を否定し、その願いを拒絶します。タサイドンは、あの屈辱的な出来事があったからこそナミッラは強大な魔術師に大成できたのだと説き、恨みを忘れるよう諭します。タサイドンの言葉に納得できないナミッラは、別の魔神であるタモゴルゴスと契約を結びます。
タモゴルゴスに仕える異形の従者がゾトゥッラのもとへ現れると、宮殿にいた全ての者たちが操られるようにナミッラの館へと引き寄せられ、皇帝ゾトゥッラ自身も後に続きます。館での宴の席で、ナミッラはついにゾトゥッラと直接対面します。ナミッラは凄まじい妖術を駆使し、皇帝の臣下たちを瞬く間に滅ぼし去ります。生き残ったのは皇帝ゾトゥッラと、その側室オベクサーの二人だけでした。さらに魔術師は、タモゴルゴスが使役する巨大で不可視の軍馬を召喚します。この軍馬は宮殿を含む帝国全土を容赦なく蹂躪し始めます。
クライマックスにおいて、ナミッラは特別な薬品を取り出し、ゾトゥッラに飲ませると同時に自身も飲みます。これにより、ナミッラの魂はゾトゥッラの肉体に転移し、ゾトゥッラの魂はタサイドン像の中に封じ込められ、身動きが取れなくなります。魂を乗っ取られた皇帝の肉体（中身はナミッラの魂）は、その手足が馬の蹄へと醜く変貌し、唯一残っていたオベクサーを踏み殺します。その時、タサイドンの予期せぬ助力を得て、像に囚われていたゾトゥッラの魂はタサイドン像を動かせるようになり、魔神の戦棍でかつての自分の肉体（今はナミッラに乗っ取られた体）を打ち据えます。用済みとなったゾトゥッラの魂は、タサイドンによって像から追放され、ゾトゥッラはここに絶命します。これによりナミッラの魂は元の自らの肉体に戻ります。しかし、タサイドンが与えた呪いによって、ナミッラの記憶はひどく混乱し、ついには狂気に陥ります。彼は金剛石の鏡に映る自分自身の姿を、現実の敵と見誤って攻撃し続けます。そうしているうちに、帝国全土を踏み荒らし尽くしたタモゴルゴスの軍馬が館へと戻ってきます。そして、ゾティークに唯一残っていたかのように見えたナミッラの館をも無慈悲に踏み潰し、物語は凄惨な終焉を迎えるのです。
主要な登場人物と用語には以下のようなものが挙げられます。
ナミッラ: 物語の主人公である大妖術師。かつては孤児ナルトスとして皇帝に虐げられた過去を持ち、復讐のために強大な力を得る。
ゾトゥッラ: クシュラクの皇帝。ナルトスを虐げた傲慢で邪悪な人物だが、退廃した民衆からは歓迎されている。
タサイドン: ゾティーク世界における悪徳を司る強力な魔神。黒い甲冑姿の像を介して魔術師と対話する。ナミッラの私的な復讐には加担せず、物語の結末に影響を与える。
タモゴルゴス: 「深淵の王」と称される別の魔神。巨大で不可視の軍馬を使役し、ナミッラに力を貸す。
オベクサー: ゾトゥッラの側室。拷問者の島ウッカストログ出身。
ピタイム: ゾトゥッラの父で先代皇帝。ゾトゥッラによって暗殺された後、死体としてナミッラに仕える。
* キュントロムの若者: オベクサーのかつての愛人。海難事故の後オベクサーに救われるが、飽きられ拷問で殺害された。死体としてナミッラに仕える。
本作は、ゾティーク譚の中でも比較的長尺であり、魔神タサイドンが重要な役割で登場する点が特徴です。クトゥルフ神話要素は控えめながら、スミス独特の終末的な世界観とグロテスクな描写、そして救いのない結末が強く印象に残る作品と言えます。評論家からも、ブラックブックの筋書きとの関連や、タサイドンとナミッラの対話、そしてナミッラの物語構造への巧みな組み込みなどが評価されています。
日本語版は、『ゾティーク幻妖怪異譚』（創元推理文庫）に大瀧啓裕訳で「暗黒の魔像」として、また『魔術師の帝国1 ゾシーク篇』（ナイトランド叢書）に安田均訳で「暗黒の偶像」として収録されています。
物語の舞台となるゾティーク大陸は、遥か遠い未来の地球に位置します。太陽の輝きは衰え、かつて隆盛を極めた科学文明は滅び去り、その代わりに太古から伝わる妖術や魔法が再び力を取り戻しています。ハイパーボリア、ムー、アトランティスといった古代文明で崇拝されていた神々も、永い時を経て名を変え、このゾティーク大陸に再来していると語られます。
物語は、クシュラクの首都ウッマオスで始まります。幼い孤児だったナルトスは、傲慢な王子ゾトゥッラによって無残にも馬に踏みつけられるという、深い屈辱を味わいます。この出来事が、彼の心に消しがたい恨みを植え付けました。やがて時が流れ、王子は皇帝ゾトゥッラとして国を専制的に支配し、ナルトスは故郷を離れ、名をナミッラと改めた強大な魔術師へと変貌を遂げます。皇帝ゾトゥッラの悪政と、妖術師ナミッラの恐るべき力は、いずれも民衆にとって脅威として語られるようになります。かつての復讐を果たすべく、力を蓄えたナミッラは、ついに皇帝のいる首都へと舞い戻ります。
都に戻ったナミッラは、王宮の眼前に、一夜にして巨大で異様な館を出現させます。その姿を見せないナミッラの真意を測りかねた皇帝ゾトゥッラは、これを無視することを決め込みます。一方、堕落しきった市民たちは、悪の妖術師の到来をむしろ歓呼の声で迎える有様でした。しかし、平穏は長く続きません。やがて王宮の庭園が、「見えない馬」によって激しく踏み荒らされるという奇怪な事件が発生します。これに激怒した皇帝は、翌夜には宮殿の前廊や露台が、さらに翌々夜には宮殿内部の廊下までが同様に荒らされ、傷つけられる事態に見舞われます。混乱の最中、皇帝のもとへ、ナミッラから館への招待状が届きます。
ナミッラの館に足を踏み入れた皇帝は、部屋に安置された魔神タサイドンの像を目にします。ナミッラは自信満々に振る舞い、自らをタサイドンと対等であるかのように語ります。彼は、皇帝ゾトゥッラへの復讐のために魔神タサイドンの助力を願います。しかし、悪徳と堕落を司るタサイドンは、ゾトゥッラの邪悪さや民衆の退廃をむしろ称賛し、ナミッラの個人的な復讐という動機を否定し、その願いを拒絶します。タサイドンは、あの屈辱的な出来事があったからこそナミッラは強大な魔術師に大成できたのだと説き、恨みを忘れるよう諭します。タサイドンの言葉に納得できないナミッラは、別の魔神であるタモゴルゴスと契約を結びます。
タモゴルゴスに仕える異形の従者がゾトゥッラのもとへ現れると、宮殿にいた全ての者たちが操られるようにナミッラの館へと引き寄せられ、皇帝ゾトゥッラ自身も後に続きます。館での宴の席で、ナミッラはついにゾトゥッラと直接対面します。ナミッラは凄まじい妖術を駆使し、皇帝の臣下たちを瞬く間に滅ぼし去ります。生き残ったのは皇帝ゾトゥッラと、その側室オベクサーの二人だけでした。さらに魔術師は、タモゴルゴスが使役する巨大で不可視の軍馬を召喚します。この軍馬は宮殿を含む帝国全土を容赦なく蹂躪し始めます。
クライマックスにおいて、ナミッラは特別な薬品を取り出し、ゾトゥッラに飲ませると同時に自身も飲みます。これにより、ナミッラの魂はゾトゥッラの肉体に転移し、ゾトゥッラの魂はタサイドン像の中に封じ込められ、身動きが取れなくなります。魂を乗っ取られた皇帝の肉体（中身はナミッラの魂）は、その手足が馬の蹄へと醜く変貌し、唯一残っていたオベクサーを踏み殺します。その時、タサイドンの予期せぬ助力を得て、像に囚われていたゾトゥッラの魂はタサイドン像を動かせるようになり、魔神の戦棍でかつての自分の肉体（今はナミッラに乗っ取られた体）を打ち据えます。用済みとなったゾトゥッラの魂は、タサイドンによって像から追放され、ゾトゥッラはここに絶命します。これによりナミッラの魂は元の自らの肉体に戻ります。しかし、タサイドンが与えた呪いによって、ナミッラの記憶はひどく混乱し、ついには狂気に陥ります。彼は金剛石の鏡に映る自分自身の姿を、現実の敵と見誤って攻撃し続けます。そうしているうちに、帝国全土を踏み荒らし尽くしたタモゴルゴスの軍馬が館へと戻ってきます。そして、ゾティークに唯一残っていたかのように見えたナミッラの館をも無慈悲に踏み潰し、物語は凄惨な終焉を迎えるのです。
主要な登場人物と用語には以下のようなものが挙げられます。
ナミッラ: 物語の主人公である大妖術師。かつては孤児ナルトスとして皇帝に虐げられた過去を持ち、復讐のために強大な力を得る。
ゾトゥッラ: クシュラクの皇帝。ナルトスを虐げた傲慢で邪悪な人物だが、退廃した民衆からは歓迎されている。
タサイドン: ゾティーク世界における悪徳を司る強力な魔神。黒い甲冑姿の像を介して魔術師と対話する。ナミッラの私的な復讐には加担せず、物語の結末に影響を与える。
タモゴルゴス: 「深淵の王」と称される別の魔神。巨大で不可視の軍馬を使役し、ナミッラに力を貸す。
オベクサー: ゾトゥッラの側室。拷問者の島ウッカストログ出身。
ピタイム: ゾトゥッラの父で先代皇帝。ゾトゥッラによって暗殺された後、死体としてナミッラに仕える。
* キュントロムの若者: オベクサーのかつての愛人。海難事故の後オベクサーに救われるが、飽きられ拷問で殺害された。死体としてナミッラに仕える。
本作は、ゾティーク譚の中でも比較的長尺であり、魔神タサイドンが重要な役割で登場する点が特徴です。クトゥルフ神話要素は控えめながら、スミス独特の終末的な世界観とグロテスクな描写、そして救いのない結末が強く印象に残る作品と言えます。評論家からも、ブラックブックの筋書きとの関連や、タサイドンとナミッラの対話、そしてナミッラの物語構造への巧みな組み込みなどが評価されています。
日本語版は、『ゾティーク幻妖怪異譚』（創元推理文庫）に大瀧啓裕訳で「暗黒の魔像」として、また『魔術師の帝国1 ゾシーク篇』（ナイトランド叢書）に安田均訳で「暗黒の偶像」として収録されています。
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