東方への衝動

東方への衝動（Drang nach Osten）

「東方への衝動」（ドイツ語: Drang nach Osten）とは、19世紀に生まれた、スラヴ人居住地域へのドイツの勢力拡大を目指すスローガンです。この言葉は、19世紀後半にドイツ国家主義運動の標語となり、歴史的な議論の中で、東ヨーロッパへのドイツ人の移住（東方植民）、中世のドイツ騎士団による遠征、ナチス・ドイツの生存圏（レーベンスラウム）構想など、ドイツの東方政策と関連付けて語られてきました。

このスローガンは、ドイツ側では中世のドイツ人の東方移住を賛美し、ドイツ文化の優位性を示すものとして、国家主義的な議論の一部となりました。一方、ポーランドでは、ドイツを敵国とする受難の歴史を象徴するものとして捉えられました。また、「東方への衝動」に対抗するものとして、「西方への衝動」（Drang nach Westen）という言葉も生まれ、ポーランドの西への進出を牽制するために用いられました。

由来

「東方への衝動」という言葉が最初に使用されたのは、1849年のポーランド人ジャーナリスト、ユリアン・クラチュコによるものとされています。ただし、彼がこの用語を考案したかどうかは定かではありません。この用語は、英語、ポーランド語、ロシア語、チェコ語など、ドイツ語以外の言語でもドイツ語の形で用いられることが多く、ドイツ起源であることが示唆されています。

ドイツにおける議論

ドイツでは、このスローガンはドイツ文化の優位性と東方植民の業績を称える国家主義的な議論と結びついていました。1891年に設立された全ドイツ連盟は、「過去の東方への衝動は復活しなければならない」というスローガンを掲げ、ドイツ国家主義運動を推進しました。ナチス・ドイツも、1938年のズデーテン危機において、チェコ人を「東方進出に対するスラブ人の砦」と呼ぶ際にこのスローガンを利用しました。

しかし、東方進出政策とは裏腹に、東側の工業化が遅れた地域から、ドイツ西部の工業地帯へ人々が移動する現象も見られました。これは「Ostflucht（オストフルフト、東方からの離脱）」と呼ばれています。

汎スラヴ主義における議論

ヘンリー・コード・マイヤーの著書によれば、「東方への衝動」というスローガンは、ドイツよりもスラヴ民族の間で広く使用されていました。ドイツの学者の多くは、このスローガンを汎スラヴ主義運動に対するものとして拒絶しました。しかし、ソビエト連邦では、歴史書やプロパガンダの頼みの綱として利用されました。この概念は、第二次世界大戦後、スラヴ民族の歴史書で広く受け入れられるようになりましたが、必ずしも正確であるとは限りません。この言葉は、ドイツの歴史の連続性や、ドイツ人とスラヴ民族の固定観念を強調するために用いられることが多かったのです。

19世紀のナショナル・ロマンティシズムの発展に伴い、ポーランドやロシアの知識人は、ドイツの東方植民を「東方への衝動」と表現するようになりました。また、ドイツ帝国とオーストリア＝ハンガリー帝国は、バルカン半島への領土拡大を通じて、オスマン帝国（東方問題）に対する影響力を増大させようとしました。

ポーランドにおける議論

ポーランドでは、汎スラヴ主義とは一線を画し、独自のコスモポリタニズムを追求していました。しかし、「東方への衝動」というスローガンは、19世紀中頃にはすでに使用されており、ドイツ騎士団や中世の東方植民との関連から、ドイツ国民の国民性や地政学的な計画を連想させるものとして用いられました。特に、ドイツがポーランドを苦しめる存在であるという国家的議論と結び付けられました。

ドイツ帝国は、カトリックに向けられた文化闘争の一環として、「東方への進出」を志願するドイツ人をポーランドの領域に植民させようとしました。しかし、志願者が少なかったため、この試みは失敗に終わりました。現在発行されているポーランドの百科事典には、1896年にこのスローガンを「ポーランドの人々を私物化するためのドイツ人の東への移動」と定義付けたものが記載されています。

ポーランドは、ポーランド・リトアニア共和国の設立理念に基づいたコスモポリタニズムを貫き、汎スラヴ主義とは距離を置きました。1848年と1867年に開催された世界スラヴ会議にも、ポーランドの社会組織は代表団を派遣しませんでした。

西方への衝動

ドイツの国家主義者は、ポーランドの「西方への衝動」に対抗するため、「東方への渇望」を新たに主張しました。第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって、ポーゼン、プロシア西部、上シレジアなどのドイツ帝国領土がポーランドに割譲され、ダンツィヒが自由都市となりました。

エリック・ヨゼフ・ゴールドバーグの著書では、「西方への進出」という言葉が、ルートヴィヒ2世の東への野心（実際には西へ進出した）を皮肉を込めて表現するために用いられています。

ナチス・ドイツの生活圏概念

ナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーは、ヨーロッパ東部の国々を犠牲にして、ドイツ人のための領域（レーベンスラウム）を獲得するために、東方進出を主張しました。第二次世界大戦中、ドイツ国防軍はポーランドとロシアのヨーロッパ地域を征服し、東部総合計画に基づいて、これらの地域からスラブ人を排除し、ドイツ人と入れ替えようとしました。しかし、1943年までにソビエト連邦がドイツ占領地域を奪還し始め、1945年にドイツは敗戦を迎えました。

第二次世界大戦後、東方からのドイツ人追放

東方植民の人口統計学的・文化的影響は、第二次世界大戦後にほぼ終結しました。ポツダム会議の決定に基づいて、1945年から1948年にかけて行われたオーデル・ナイセ線以東のドイツ人追放は、「東方への渇望」の逆転現象として正当化されました。東ドイツの東側国境であるオーデル・ナイセ線は、徐々にすべての戦後ドイツの州（再統一後、東西ドイツを含む）の境界線として受け入れられ、この線より東への拡大や移住の計画は放棄されました。

東方への衝動