東昇

東昇（ひがしのぼる、1912年 10月10日 - 1982年10月26日）は、日本の傑出したウイルス学者であり、京都大学名誉教授です。彼は国産第一号の電子顕微鏡を開発し、ウイルス学の研究に画期的な進歩をもたらしました。その生涯は、科学への深い探求と、熱心な念仏者としての信仰生活が調和したものでした。

生い立ちと学問への道程

大正元年（1912年）、東昇は鹿児島県川辺郡（現在の南九州市）の農家に八番目の子として生を受けました。両親は敬虔な念仏信者であり、特に母のケサ亀は読み書きができませんでしたが、常に念仏を口ずさむ篤い信仰を持つ人でした。

幼少期から学業に秀でていた東昇は、将来の海軍兵学校進学を目指し、優秀な生徒を選抜して送られる東京の麻布中学校に学びました。ここでは東郷平八郎や山本権兵衛といった歴史的人物から直接指導を受ける機会に恵まれます。しかし、翌年、耳の障害が判明し、海軍兵学校への道が閉ざされたことで、故郷へ帰郷することとなり、深い挫折感を味わいました。その後、第七高等学校造士館に進学しますが、この挫折感は長く尾を引き、精神的に追い詰められる時期を過ごします。

人生の暗闇の中にあった東昇は、金子大榮校訂による『歎異抄』に出会います。この書は彼の人生観に決定的な影響を与え、後の生き方を方向づけることになります。東京帝国大学医学部への進学を望んでいましたが、母ケサ亀の「親鸞聖人の誕生地であり、法然上人との出会い、そしてご往生なさった地である京都の大学へ行ってほしい」という強い願いを受け、昭和9年（1934年）に京都帝国大学医学部に入学し、ウイルス学を専攻することを決めました。

革新的な研究と功績

大学卒業後、京都帝国大学医学部の微生物学教室に進んだ東昇は、当時の日本に光学顕微鏡しかなかったことに研究上の限界を感じます。世界の最先端を行く電子顕微鏡はドイツとベルギーにわずか2台しか存在しませんでした。そこで彼は、自費で東京の理化学研究所へ留学し、国産電子顕微鏡の開発に挑みます。

この困難な挑戦を支えたのは、故郷で暮らす母ケサ亀でした。息子のため、先祖伝来の土地を売却して研究費を捻出したのです。母の献身的な支援のもと、昭和16年（1941年）、東昇はついに日本で第一号となる電子顕微鏡を完成させました。この快挙は当時の新聞でも大きく取り上げられ、「祖先伝来の田畑を売って、電子顕微鏡と取り組む」という見出しで報じられました。

電子顕微鏡の開発により、東昇はウイルスの微細構造研究を本格的に進めることが可能となりました。彼は、発疹チフスの原因となるリケッチアや、トラコーマの原因となるクラミジアなど、様々な微生物の研究に従事し、微生物進化の問題にも光を当てました。特に、日本脳炎ウイルスが細胞内で結晶を形成する様子を世界で初めて写真に捉えることに成功したことは、その後のウイルス研究や各種ワクチンの開発に多大な影響を与える重要な業績となりました。

職務と学会活動

東昇は京都大学において、助教授を経て教授に昇任し、昭和38年（1963年）には京都大学ウイルス研究所（現在の京都大学医生物学研究所）の所長に就任しました。昭和51年（1976年）に京都大学を定年退官した後は、京都大学名誉教授の称号を受け、さらに川崎医科大学の教授としても教鞭を執りました。

また、学会活動においても指導的な役割を果たし、日本電子顕微鏡学会会長、日本ウイルス学会会長を歴任。さらに国際電子顕微鏡学会連合会頭も務めるなど、国内外の科学分野の発展に貢献しました。彼の著書である『ウイルス』は、小松左京原作の映画『復活の日』（1980年公開）の着想源の一つとなったことでも知られています。

科学と信仰の調和：念仏者としての歩み

熱心な浄土真宗の家庭に育った東昇は、科学者として道を究める一方で、生涯を通じて深い信仰心を抱き続けました。特に後年は、科学者としての視点と宗教者としての視点を統合し、人生や生命の根源について探求しました。

京都大学在学中には、「京都学生親鸞会」や「京都大学仏教青年会」に入会し、多くの同志と交流を深めました。「京都学生親鸞会」では、『歎異抄』の研究で知られる池山榮吉氏と出会い、『歎異抄』を通して親鸞聖人の教えを深く学びました。彼は、池山氏との出会いを「如来より賜りたる信心」であると語り、浄土真宗の信徒としての自己を確立しました。また、「京都大学仏教青年会」では、世界的な仏教学者である鈴木大拙氏に出会い、アメリカでの講演会で前座を務めるなど、交流を深めました。

晩年には、全国各地の寺院や大学、高校、さらには朝日カルチャーセンターなどで活発に講演活動を行い、「念仏者」として広く知られるようになりました。NHK教育テレビの番組「宗教の時間」（現在の「こころの時代」）にも度々出演し、科学と宗教という一見対立するような領域を横断しながら、独自の人生観や信仰について語りかけました。

受賞歴と著作

東昇はその卓越した研究業績に対し、京都文化賞、日本細菌学会賞、日本電子顕微鏡学会賞瀬藤賞、日本医師会医学賞などを受賞し、昭和50年（1975年）には紫綬褒章を受章しています。

彼は医学関係、仏教関係の双方で多くの著作を残しています。医学書としては、『ウイルス』『電子顕微鏡の世界』など専門書から啓蒙書までを手がけました。仏教書としては、『力の限界』『心ゆたかに生きる』『念仏を力として』などを執筆し、科学者としての知性と信仰心を織り交ぜた独自の思想を展開しました。

昭和57年（1982年）10月26日、70歳でその生涯を閉じました。科学と信仰、この二つの道を深く探求し、両者を統合しようとした東昇は、日本の学術界、そして精神世界に大きな足跡を残した人物といえるでしょう。

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