柴岡弘郎

柴岡 弘郎

日本の生物学者（1934-2018）。大阪大学名誉教授として、植物細胞の形態形成や細胞壁の生合成に関する研究をリードし、植物生理学分野に多大な貢献を果たした。東京都出身。

柴岡弘郎氏は、1934年1月26日に東京都で生まれた。兄は数学者の柴岡泰光（青山学院大学名誉教授）。幼少期から植物への関心を抱いていた柴岡氏は、都立十三中学校（現在の東京都立豊多摩高等学校）に在学中、生物部に所属。ヒマワリが太陽を追って動くという通説について、生物部の顧問に「ヒマワリは本当に太陽の方向へ回るのですか」と尋ねた。顧問は「私は回ると思っているが、どうだ、君自身で確かめてみないか」と勧め、柴岡氏は自ら実験に取り組んだ。この経験が、生物の仕組みを探究する面白さを強く意識させ、後に生物学、特に植物生理学を志す決定的なきっかけとなったという。

東京大学理学部生物学科に進み、1956年に卒業。同大学大学院生物系研究科の植物学専門課程に進学し、1961年に博士課程を修了して理学博士の学位を取得した。大学院修了後、東京大学理学部助手に採用され、附属小石川植物園に勤務。その後、研究活動の幅を広げるため、1967年にはアメリカ合衆国のカリフォルニア大学サンタクルツ校へ留学した。帰国後の1974年からは東京都立大学理学部助教授として教育研究に携わる。

1981年、大阪大学理学部教授に就任し、植物生理学研究室を主宰した。1996年には大阪大学理学研究科教授となり、翌1997年3月に大阪大学を定年退官。同年4月には大阪大学名誉教授の称号を授与された。退官後もカリフォルニア大学デイヴィス校にてVisiting Esau Fellowとして研究交流を続けた。

柴岡氏の研究は、特に植物細胞が特有の形を作る仕組みに焦点を当てていた。植物細胞の形態は、その細胞壁の構造と密接に関わっている。柴岡氏は、植物細胞が細長く伸びる方向が、細胞壁を構成する主要な成分であるセルロース繊維の配列によって決まることに着目。植物ホルモンであるジベレリンが、このセルロース繊維の配列を制御することで、細胞の伸長方向を決定する上で極めて重要な働きをしていることを分子レベルで明らかにした。

また、植物のセルロース合成に関する研究過程で、柴岡氏は予期せぬ重要な発見をした。当時、畑などで広く使用されていた除草剤であるジクロロベンゾニトリル（化合物名ジクロベニル）が、植物のセルロース合成を非常に特異的に阻害する物質であることを、世界に先駆けて解明したのである。このジクロベニルは、現在でもセルロース合成阻害剤として、植物生理学や細胞生物学の研究において広く利用されており、その特異性の高さから標準的な阻害剤としての地位を確立している。この発見は、除草剤の作用機構解明や、植物細胞壁の生合成研究に大きな影響を与えた。

さらに、植物体内で水分や養分を運ぶ重要な組織である道管の細胞が成熟していく過程における、細胞壁の形成機構も研究対象とした。道管細胞の細胞壁には、二次細胞壁と呼ばれる厚い壁が特定のパターンで沈着する。柴岡氏はこの過程において、細胞内の骨格構造をなすアクチン繊維が、二次細胞壁が沈着する場所やパターンを決定する上で重要な役割を担っていることを発見した。これらの研究成果は、植物細胞の形態形成、細胞壁合成、細胞分化といった、植物生理学の根幹に関わる知見を大きく進展させるものであり、国内外で高く評価された。

教育者としても多くの研究者を育成したほか、学会活動にも積極的に貢献した。日本植物生理学会、日本植物学会、植物化学調節学会など、関連する主要な学会で重要な役割を果たし、特に1996年から1997年にかけては日本植物生理学会会長を務めた。その長年の研究活動と学術振興への貢献に対し、国内外から数々の栄誉が贈られた。主なものとして、植物化学調節学会賞（1992年）、日本植物生理学会論文賞およびアメリカ植物生理学会Corresponding Membership Award（1994年）、国際植物生長調節物質学会（IPGSA）Distinguished Research Award（1997年）、みどりの学術賞（2004年）、南方熊楠賞および日本植物学会学会賞大賞（2005年）、日本植物生理学会功績賞（2011年）がある。没後の2019年には、瑞宝中綬章が追贈された。

著書には、専門家向けの書籍から一般読者向けの啓発書まで多岐にわたる。共著書として『Controlling Factors in Plant Development』（1978年）、『植物生理学入門』（1980年）、『図説細胞骨格』（1985年）などがある。また、編著書として『生物と分化 現代植物生理学3』（1990年）、共編著として『植物ホルモンと細胞の形』（1998年）を出版している。自身の研究人生の原点を振り返り、植物の世界への好奇心を綴った随筆集『キミ見てみんか―この素晴らしき植物の世界』（2000年）や、植物の生存戦略について論じた『植物は形を変える―生存の戦略のミクロを探る』（2003年）といった著書は、幅広い読者に植物科学の面白さを伝えた。

晩年、柴岡氏は趣味として登山をしていた。2018年3月31日、奈良県の信貴山へ単独登山中に体調不良を訴え、下山中に消息を絶った。約1年4ヶ月後の2019年7月、登山者によって山中で遺体が発見され、その死が確認された。享年84。

柴岡弘郎氏は、生涯を通じて植物細胞の謎に挑み続け、その優れた洞察力と粘り強い研究によって、植物生理学の重要な扉を数多く開いた。特に、植物細胞の形態形成における細胞壁と細胞骨格の役割、そして植物ホルモンや化学物質の作用機構に関する研究は、後続の研究者に多大な影響を与えている。中学生時代の純粋な好奇心から始まった探求心は、日本の植物科学研究の発展に確かな足跡を残した。

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