槙原覚

槙原 覚は、1894年（明治27年）3月1日に岡山県の農家に生まれ、1942年（昭和17年）5月8日に逝去した日本の実業家です。貧しい生い立ちから三菱財閥の中枢に近い地位まで上り詰めた彼の生涯は、近代日本の経済発展期と戦時下の困難が交錯するものでした。

生い立ちと青年期

槙原は、岡山県神代村（現在の真庭市の一部）で小作農を営む槙原柳太郎の次男として生まれました。幼い頃から苦労を重ね、14歳で親戚を頼って上京。働きながら学業を続けるという厳しい生活を送ります。しかし、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎が設立した学生寮「雛鳳館」の寮生に選ばれたことで、経済的な心配がなくなり、学業に専念できる環境を得ました。彼は東京高等商業学校（現一橋大学）に進学し、熱心に勉学に励む一方、テニスにも親しみました。同校の専攻部を卒業しています。

三菱商事でのキャリア

東京高等商業学校を卒業後、槙原覚は三菱商事に入社します。彼は国際的な感覚とビジネス手腕を発揮し、社内で重要な役職を歴任しました。特に海外での経験は豊富で、激動の時代のロンドン支局長として三菱の海外事業を指揮しました。帰国後は水産部長を務めるなど、多角的な分野で貢献しました。

彼はまた、岩崎久弥（岩崎弥太郎の長男で三菱財閥の3代目総帥）からの奨学金を受けて学んだという縁があり、戦前の三菱財閥における最後の社長であった高垣勝次郎の有力なライバルと目される存在でした。

ロンドンでの受難

ロンドン支局長在任中の1940年8月2日、槙原はスパイ容疑で突如逮捕され、ブリクストン刑務所に収監されるという予期せぬ事態に直面します。しかし、日本文化に造詣が深く、当時のイギリス政界や情報機関とも関係があったとされるセンピル卿など、イギリス国内の支援者たちの尽力もあり、わずか3日後の同年8月5日には「証拠不充分」として釈放されました。この出来事は、第二次世界大戦勃発直後の緊迫した国際情勢を如実に示すものでした。

帰国、そして悲劇的な最期

ロンドン支局の閉鎖に伴い、1940年10月に日本へ帰国した槙原は、引き続き三菱商事の中核を担いました。しかし、太平洋戦争の戦局が悪化する中、1942年5月8日、彼は悲劇的な死を遂げます。日本へ向かう特務艦「大洋丸」に乗船中、船が長崎県の男女群島付近でアメリカ海軍の潜水艦による魚雷攻撃を受け沈没（大洋丸事件）し、帰らぬ人となったのです。享年48歳でした。

彼の突然の死は多くの人々に惜しまれ、生前の交流のあった友人や知人たちの手によって、追悼文集『槙原覚君の憶出』が編纂され、1943年に刊行されています。

家族と著作

槙原覚の妻、治子は東京・牛込余丁町の裕福な薬商の娘でした。夫妻の間には一人息子の槙原稔がおり、1930年1月12日にロンドンで生まれています。稔氏は後に父と同じ三菱商事に入社し、社長、会長といったトップの地位に就きました。また、槙原の義理の兄にあたる秦豊吉は、三菱商事に勤務する傍ら作家としても活動した人物です。

実業家として多忙な中でも、槙原は翻訳や執筆活動も行いました。ドイツの経済学者ロバート・リーフマンの著書『企業形態論』の共訳（1922年）や、雑誌『ダイヤモンド』に寄稿した「空襲下のロンドンから」（1941年）などの著作があります。

槙原覚の生涯は、明治から昭和初期にかけての日本の激動期を生き抜き、三菱グループの発展に貢献した一人の実業家の足跡として、今日に伝えられています。

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