沖永良部台風

沖永良部台風は、1977年（昭和52年）に発生した台風第9号（国際名：Babe）です。特に鹿児島県の沖永良部島において、日本の陸上観測史上最低となる気圧を記録したことで、気象災害史に名を刻んでいます。

この台風は、1977年9月2日12時にカロリン諸島付近で発生しました。当初は西北西に進んでいましたが、9月5日頃には進路を北北西に変えて勢力を増し、その後さらに北東から北へと向きを変えながら北上を続けました。そして、9月9日の23時前に、当時猛烈な勢力で沖永良部島を通過しました。

台風の中心が通過した際、沖永良部島の和泊町にある測候所では、9月9日22時50分に907.3ヘクトパスカルという驚異的な最低気圧が観測されました。これは、現在に至るまで日本の陸上観測地点で記録された最も低い気圧の値です。風も極めて強く、同日22時過ぎには最大風速39.4m/s、最大瞬間風速60.4m/sを観測しましたが、その後の猛烈な風圧によって風速計の支柱が傾いてしまい、正確な観測が継続できなくなりました。沖永良部測候所による推定では、最大瞬間風速は80m/sに達していた可能性も指摘されています。

沖永良部島では、この記録的な低気圧と強風により、島内の住家の約半数にあたる2,829棟が全壊または半壊・流失するという壊滅的な被害に見舞われました。また、東シナ海では、台風による荒波で多数の漁船が遭難寸前の状況に陥りました。

さらに、台風の北上に伴って、日本列島に沿う形で停滞していた前線の活動が活発化しました。これにより、九州地方から東北地方にかけての太平洋側を中心に、記録的な大雨となりました。場所によっては期間降水量が400mmを超える地域もあり、広範囲にわたる土砂災害や浸水被害が発生しました。全体としての被害は多岐にわたり、死者1名、負傷者139名を出したほか、住家浸水4,118棟、住家一部破損1,937棟、田畑の冠水・流埋333ヘクタール、山がけ崩れ206箇所などが報告されています。

気象庁は、この甚大な被害をもたらした台風が沖永良部島を通過した4日後の9月13日に、正式に「沖永良部台風」と命名しました。これは、その後2019年に発生した令和元年房総半島台風や東日本台風まで、実に42年もの長きにわたり、気象庁が台風に命名する最後の事例となったという点で、日本の気象災害史において特別な意味合いを持つ出来事でした。

沖永良部台風は、日本の気象観測体制の進歩とも関連が深い台風です。日本初の静止気象衛星「ひまわり」が、1977年9月8日に地上へ送った最初の雲画像が、この沖永良部台風の姿でした。この経験が契機となり、「ひまわり」による気象観測は、同年9月17日から1日2回の本格的な運用を開始することになりました。また、この台風と同じ国際名「ベイブ」を持つハリケーンが、同時期に大西洋北部にも存在していたことも記録されています。

被害を受けた沖永良部島は離島であるため、特に発災直後の救援活動は困難を極めました。医薬品、飲料水、食糧といった必要物資が不足する中、大しけにより定期船が接岸できなかったため、緊急の空輸が要請されました。これに応え、当時の東亜国内航空（TDA）はYS-11型機2機を手配し、旅客用客室スペースにも物資を積載して沖永良部空港への輸送を実施しました。また、倒壊した電柱など電力設備の迅速な復旧を支援するため、電力工事に必要な大型車両を航空自衛隊のC-1輸送機が空輸するなど、関係機関が連携して救援活動にあたりました。この台風での厳しい経験は、離島災害における初期対応や緊急輸送の重要性を改めて認識させるものとなり、現在では九州電力など関係組織が、台風接近が予想される場合に早期に災害復旧部隊を現地へ派遣するなどの教訓が活かされています。

沖永良部台風は、日本の陸上における歴史的な気圧記録を樹立すると同時に、広範な地域に甚大な被害をもたらしただけでなく、気象庁の命名方針や衛星観測体制、そして離島災害における救援体制にも影響を与えた、日本の気象災害史上、忘れることのできない台風の一つです。

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