河豚鍋

河豚鍋（ふぐなべ）

古典落語の演目の一つで、「河豚汁（ふぐじる）」とも呼ばれます。かつてフグが今ほど厳格な管理下に置かれていなかった時代、その毒による事故が多発した背景を踏まえ、毒の恐ろしさと食欲の間で葛藤する人々の姿をコミカルに描いた噺です。

この噺の源流は、江戸時代の作家、十返舎一九が著した笑話集『落咄臍くり金（おとしばなしへそくりきん）』に収められた「鰒汁（ふくとじる または ふぐじる）」にあるとされています。これを基に、上方の落語家である二代目林家染丸が噺としてアレンジしたと言われています。現在では、東西を問わず多くの落語家によって演じられる人気の演目の一つとなっています。

主要な演者としては、上方では三代目林家染丸をはじめ、初代森乃福郎、四代目林家小染、六代目笑福亭松喬、桂吉朝といった名だたる噺家たちが得意としてきました。一方、東京では二代目桂小南の口演が知られています。

あらすじ

物語は、まず昔はフグが比較的容易に入手できたこと、そして現代のようなふぐ調理師の免許制度がなかったために、フグの中毒による死亡事故が後を絶たなかった、といった当時の社会状況に触れるところから始まります。ここでは、松尾芭蕉の句「あら何ともなや きのふは過て ふくと汁」などが引用されることもあります。

ある日、ひとりの男の家に、普段から出入りしている馴染みの幇間（たいこもち）が久しぶりに顔を出します。男の家ではちょうど酒と酒肴の支度をしていたため、男は幇間を座敷に招き入れ、一緒に飲み食いしていくよう勧めます。「あんた、鍋は食べるか？」と男が尋ねると、幇間は「あいにく歯があまり丈夫ではないもので……」と歯切れの悪い返事をします。

食卓に出されたのは、もちろん鍋料理でした。白菜やシイタケ、豆腐といった様々な具材の中に、見慣れない白身の魚が入っています。男が「思いがけず、フグが手に入ったのだ」と明かすと、二人の表情が一変します。男も幇間も、これまでフグを食べた経験がなく、その毒の恐ろしさを知っているため、なかなか箸をつけられずにいます。お互いに食べることを勧め合いますが、譲り合うばかりで、鍋を前に途方に暮れてしまいます。

二人が困り果てていると、そこへ男の妻が座敷に顔を出します。「おこもさん（＝乞食）が『お余り（＝残飯）を恵んでください』と言って、なかなか帰らないのです」と告げます。これを聞いた男は、ある妙案を思いつきます。「それならば、このフグをその乞食に食べさせて、もし何も起こらなければ、安心して我々もこの鍋をいただこうではないか」。男は幇間に、フグを与えた乞食の様子を尾行してくるよう頼みます。

しばらくして戻ってきた幇間は、男に報告します。「乞食は道端に座り込んで、気持ちよさそうに眠っていました。（演者によっては、その上「食器が空になっていた」という描写も加わります）」この報告を聞き、二人は乞食が鍋を食べてしまったのだろうと考えますが、それでもなおフグの毒に対する不安は拭えません。再び、お互いに食べるのを躊躇して譲り合いを始めます。

しかし、いつまでもこうしていても仕方がないと、男は意を決して提案します。「よし、こうなったら『1、2の3』で一緒に口に入れよう！」。二人は覚悟を決めて同時にフグを口に運びます。すると、想像を絶する美味しさに、二人とも驚きの声を上げます。一度その味を知ると、先ほどの毒への恐怖はすっかり忘れ去られ、二人は夢中になって鍋をあっという間に平らげてしまいます。

そこへ、先ほどの乞食が、今度は座敷の庭先に再び姿を現します。乞食は男に向かって尋ねます。「先ほどいただいたものは、すべてお召し上がりになりましたでしょうか？」。男は、乞食がフグを食べて無事だったことを知り、味をしめたのだろうと考え、「残念だったな。この通り、もう全部食べてしまったよ」と答えます。

すると乞食は、意外な言葉を口にします。「そうですか。それならわたしは、これからゆっくりいただきます」。この乞食の言葉に、男と幇間は呆然とするのでした。

バリエーション

上方の落語では、幇間を「大橋さん」という固有の名前で呼ぶ演出が見られます。これは、三代目林家染丸の本名が「大橋駒次郎」であったことに由来すると言われています。

関連情報

この噺は、毒物を摂取する前にその安全性を確かめる「毒見」という行為を主題の一部として含んでいます。また、他の落語演目としては、フグ毒で命を落とした人物について言及される「らくだ」があります。漫才コンビの夢路いとし・喜味こいしの演目『ジンギスカン』には、「わたし、鍋ばっかり食うてる」「あんた、鍋食べてンの？ 丈夫な歯ァしとるねぇ」といった、この噺の冒頭部分のやり取りに似たクスグリが登場することも知られています。

（脚注は原文からの情報ですが、辞書記事の形式では省略します）

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