津軽 (小説)

太宰治『津軽』：故郷の風景と心の旅路

『津軽』は、作家・太宰治の代表作の一つであり、1944年（昭和19年）に刊行された紀行文風小説です。太平洋戦争末期、死を意識した太宰が、自身の故郷である青森県津軽地方を旅する様子を描いています。単なる紀行にとどまらず、故郷への深い愛着、人々との温かい交流、そして自身のアイデンティティや生きることの意味を問う、深い内省が織り込まれた作品となっています。多くの研究者から自伝的小説として高く評価されており、太宰文学を理解する上で重要な作品と言えるでしょう。

執筆の背景と旅の行程

本書は小山書店の依頼を受け、「新風土記叢書」の一冊として執筆されました。1944年5月12日から6月5日にかけて、太宰は実際に津軽地方を旅行し、その体験をもとに作品を執筆しています。当時、日本は戦争のまっただ中であり、人々の関心が南方戦線に集中する中、太宰はあえて故郷である北へと向かいました。それは、差し迫った死の影の中で、自身のルーツを確かめ、故郷の風景を心に刻み付ける旅でもあったのです。

旅の行程は、東京を出発し、青森、蟹田、三厩、竜飛、金木、五所川原、深浦、鯵ヶ沢、小泊などを経て、再び東京へ戻るものでした。この旅の過程で太宰は、様々な人々と出会い、故郷の温かい人情に触れ、忘れかけていた大切な記憶を呼び覚ましていきます。

主要登場人物：越野タケ

『津軽』において、最も重要な人物と言えるのが、越野タケです。タケは、幼少期の太宰（作中では「修治」）の子守りをしていました。14歳で津島家（太宰の生家）に奉公に入り、8歳まで修治の世話をし、読書や道徳を教えた、太宰にとってかけがえのない存在でした。縁談を機に小泊村へ嫁ぎ、その後消息不明となったタケとの再会が、この小説のクライマックスを飾ります。

小説では、事前の連絡もなく小泊を訪れた太宰が、通行人に尋ねながらタケの家を探し当て、国民学校の運動会で会えなかったものの、タケの娘の節の助けを借りて、四半世紀ぶりに再会を果たす様子が描かれています。この再会の場面は、太宰にとって深い感動と心の安らぎをもたらしたと推測できます。

現実とフィクションの交錯

『津軽』は、紀行文風の小説であり、実際に太宰が行った旅の記録を基に書かれていますが、同時に、フィクションの要素も含まれています。例えば、越野タケとの再会場面について、相馬正一や長部日出雄といった研究者からは、作中では二人が言葉を交わしていない、あるいは太宰が周囲の景色を眺めるだけでタケとの直接的な交流が描かれていないという指摘があります。これは、太宰が自身の記憶や感情を基に、小説として作品を構成したためと言えるでしょう。

作品の解釈と影響

『津軽』は、単なる旅の記録ではなく、太宰自身の内面世界を深く反映した作品です。故郷の風景や人々との交流を通して、自身の存在意義や人生の意味を問い続け、戦争の影の中でなおも希望を見出そうとする太宰の姿が描かれています。「平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか」というラストシーンは、読者に深い余韻を残します。この作品は、多くの読者や研究者に影響を与え、太宰文学の重要な一作として現在も読み継がれています。また、小泊村には現在も太宰ファンが訪れ、越野タケとの交流を偲ぶ場所となっています。

脚注

本文には、太宰自身の直筆による津軽略図と挿絵4点が収録されています。
初版発行部数は3,000部、定価は3円でした。
作品には、志賀直哉との確執や、津軽要塞に関する記述など、太宰を取り巻く当時の社会情勢も反映されています。
後年、本書をモチーフにした楽曲や、コラボ商品なども登場しています。

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