浅川マキの世界

1970年 9月5日、東芝音楽工業のエキスプレス・レーベルからリリースされた『浅川マキの世界』は、シンガーソングライター、浅川マキのキャリアの幕開けを飾ったデビュー・アルバムである。その深い闇を感じさせる独自のサウンドと世界観は、当時の日本の音楽シーンに鮮烈な印象を与え、後の世代にも多大な影響を与える記念碑的な作品と位置づけられている。

このアルバムの大きな特徴は、収録曲がスタジオ録音とライブ録音で半々に構成されている点にある。A面に収められた楽曲と、B面の一曲目である「かもめ」はスタジオで緻密にレコーディングされた音源が使用されている。一方、B面の大半を占める楽曲は、1968年 12月に新宿にあったアンダーグラウンドな小劇場「蠍座」で行われたライブパフォーマンスを捉えた実況録音となっている。研ぎ澄まされたスタジオテイクと、張り詰めた空気感がそのまま真空パックされたかのようなライブテイクが混在することで、アルバム全体に独特の緊張感と奥行きが生まれている。

アルバムの制作には、様々な分野の才能が結集している。スタジオ録音部分の構成と演出は寺沢圭が、蠍座での実況録音部分の構成は劇作家・詩人の寺山修司が担当。二人の異なるアプローチが、アルバムの二面性を生み出す要因となっている。全体を統括するトータル・プロデュースは寺本幸司が手掛けた。また、楽曲のアレンジは全て山木幸三郎が担当し、アルバム全体の音楽的な統一感と深みを支えている。レコーディングおよびミキシングは吉野金次が担当しており、その卓越したエンジニアリングによって、浅川マキのヴォーカルと演奏陣の緊迫感あふれるアンサンブルが見事に捉えられている。演奏には、今田勝（ピアノ、オルガン等）、原田政長（ベース）、市原宏祐（フルート）、稲垣次郎（フルート）、横内章次（ギター）、チコ菊池（ドラムス）といった実力派ミュージシャンたちが参加し、その演奏がアルバムの重厚なムードを形成している。

収録曲には、浅川マキ自身のペンによる楽曲に加え、寺山修司が詞を手掛けた作品、さらには黒人霊歌である「時には母のない子のように」や、アダモのシャンソンに安井かずみが日本語詞をつけた「雪が降る」といったカバー曲も含まれている。特に「夜が明けたら」はデビューシングルA面曲（シングル版はライブ録音、アルバム版はスタジオ録音）、「ふしあわせという名の猫」は2ndシングルB面曲として発表されており、それぞれアルバム版とシングル版で異なるサウンドアプローチが試みられている（「ふしあわせという名の猫」は、シングル版が空間的な音作りに対し、アルバム版はより閉塞的で陰鬱なサウンドとなっている）。「赤い橋」はアルバム発表後に3rdシングルB面としてシングルカットされた楽曲である。アルバム全体を通じて、曲間に効果音（SE）や浅川マキ自身へのインタビュー音声が挿入されており、単なる楽曲集にとどまらない、コンセプチュアルな作品としての性格を強めている。

『浅川マキの世界』は、その歴史的な重要性から、後年にも様々な形で再リリースされている。初CD化は1990年、10枚組CD-BOX『浅川マキの世界 CD10枚組BOX 自選作品集』の一枚として実現した。その後、1992年には東芝EMI（当時）の“音蔵シリーズ”として単独でCD化され、より多くのリスナーが入手可能となった。2011年には、70年代のオリジナルアルバム群と共に、デジタルリマスタリング音源による紙ジャケット仕様で復刻。オリジナルレコードのアートワークや歌詞カード、レーベルデザインなどが再現されたものの、帯に関しては新規デザインに変更された点が特徴として挙げられる。さらに、アナログレコードへの再評価が高まる中、2016年3月にはユニバーサルミュージックより限定アナログLP盤としても再び発売されている。

発売から時を経てもなお、その独自の表現力と孤高の世界観で多くの人々を惹きつけ続ける『浅川マキの世界』は、日本の音楽史において決して欠かすことのできない、重要な作品の一つと言えるだろう。

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